2016年2月21日日曜日

書くことと考えること


子供を持つと、自分のやりたいことをたくさん我慢しないといけないよ〜。いろんなことができなくなるよ〜。

なんて世間では言われているけど、私は正直あまりそう感じない。

この2週間、娘と離れて暮らしているけれど(娘はパパの実家で家族と時間を過ごしている)、一緒にいる時とすること、したいことはそんなに変わらない。一人になったからといって夜でかけたいとも別に思わないし、仕事をしていても結局6時以降(娘を保育園に預けて仕事をする時は、この時間にお迎え)にしても効率が悪い気がする。

これは娘のパパも言うことだけれど、「一人で生活している時よりも子供がいる時の方が仕事がはかどる」気さえする。無限大に時間がある時よりも、何時から何時、とメリハリをつけて、その時間に集中し、その後に愛する子と過ごす時間を楽しみにしている時の方が、たしかに効率はぐんとあがる。




ただ、子供と一緒の生活と、いない生活の一番の違いは、「自分のことを考える時間」だと思う。

2週間前、娘がパパと一緒にフランスへ一足先に旅立った後、一番戸惑ったのは何を食べるか決めることだった。

バカみたいに聞こえるかもしれないけれど、いつも娘のニーズに合う食事を選んでいたので、自分のニーズに耳を傾けるのに慣れていなくて、一人になると「あれ、私は今何が食べたいんだろう」となってしまったのだ。

最初に言った通り、娘がいない生活で特に「時間がたくさんできた!」と感じるわけではないけれど、何をしていてもその合間にちょっとした「空き時間」ができる。

例えば電車を待っている時間。例えばお茶を沸かしている時間。

そういうちょっとした時間に、娘がいると「なんか静かだけど今向こうで何してるのかな」「あの段差が危ないから見ておかないと」となるところを、一人だと自分のことを考える。

その証拠?に、この2週間で私のノートブックは着々と文字で埋まっている。

その日考えたことを、1日の終わりにノートに書き連ねるのが日課になった。

私にとって「書くこと」は、大切で、難しくて、奥深い。

「私がブログを書く理由」でも書いたけれど、書くことは私にとって考えることでもある。書くことで頭の中にある思考を形にする、という方が正確かもしれない。

大切だけれど、とってもとっても難しい。村上春樹が読者の質問に答えるという企画で、彼が「僕が自分のいいたいことをうまく文章で表現できるようになったのは、小説家になってから20年くらいたってからです」というようなことを言っていたけれど、本当にそれくらい経験と練習が必要なものなんだと思う。私も一応書くことが仕事だけれど(研究者としての最も大切な仕事のひとつは、研究を書いて出版すること)、1文1文、ああでもないこうでもないと苦しみながら書いている。

トルストイの文章を読んだりすると、「こんな風にかける日なんて一生こない」と絶望的な気分になったりする(というとドラマチックに聞こえるけれど、要は感動しているだけ)。

日々のメールのやりとりなんかでも同じで、「こういうふうに書いたら相手はこういうふうにとってしまうかもしれないから、やっぱりこう変えよう」といろいろ考えて書いている(時が多い)。

そうやっていろいろ考えて書いても、結局それは読む人があってこその書物で。

読む人それぞれによって解釈も感じ方も違う。

だから、奥が深い。

このブログも、なかなか更新できない時が多いけれど、励まされるといって読んでくれている人もいるみたいだし、自分のためにも、できるだけ書いていこうと思う(あまり自分でハードルをあげないように、「できるだけ」・・・)。

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