2017年12月30日土曜日

なぜ私は茨の道を行くことを選ぶのだろう

皆が歩いている舗装された道を行けばいいじゃないか

敷かれたレールを辿ればいいだけではないか

普通に、良い大学を出て、人気の会社に入って、

普通に、自分の慣れた土地で、昔からの友達と付き合い、家族と支え合いながら、

普通に、良い人をみつけ、結婚して、その人の子供を産み、育て、その土地の学校に入れ、

普通に、入った会社で定年まで働いて、子供を大きく育て、孫を授かり、老後を平和に過ごせばいいじゃないか。

そういった選択をしてきたら、どれだけ楽だっただろう。

なぜ私は、人が通らぬ、厳しい道を、選んで通るのだろう。

思いもよらない、自分ではどうにもならないことが起こることも、人生だからある。私の人生にもあったし、そのアクシデントのせいで厳しい道を通らざるをえなくなったという事もできる。

でもそのアクシデントに際して、容易な道ではなく、あえて厳しい道を選んだは、私だったのだ。

1人で育てる、という道を選んだのは、私だった。

経済的に自立しながら勉強も続ける、という道を選んだのは、私だった。

日本に残るという選択肢もあったのに、あえてオランダ行きに挑戦したのは、私だった。

子供の父親とやり直す機会もあったのに、それを選ばず、自分の納得できる関係を築きたいと苦しみながら道を模索している

自分が決断したことだから、

自分の行動と選択に責任をもって、

と自分に言い聞かせるのだけれど

弱音をはきたくなる時も

普通の道を行っていればどんなに楽だったろうと思う時も

辛い時も孤独な時もある

子供にも普通の人生を送らせてあげられないことを悔しく、情けなく思う時もある

幸い、幸せに賢く強く優しく溌剌と育ってくれている娘がそばにいる。

でも、弱気になっている時は不安になる。今はよくても、この先、普通じゃない人生を送らせたツケが来るのではないか。彼女の人生に、何かしらの悪い影響が及ぶのではないか。

道なき道を行く私には、答えがない。

彼女を幸せにできているのだろうか?この道これから、私は歩き続けていられるのだろうか?

答えは出ず、他の人の助言をできる限り集めながら、躓きながら、疲れた時は立ち止まりながら、後ろを振り返り来た道を時折懐疑的に眺めながら、

私は歩き続ける。

2017年6月14日水曜日

ひずみ

インドネシアに来てから、いや、準備期間の間から、フィールドワークで成果をあげるという目的を果たすことに必死で、自分の体や心のニーズに耳を傾けることをおろそかにしていた。フィールドワークを初めて3ヶ月経った今、その結果としてひずみがでてきている。だから、書くということの力を少し借りてみようと思う。

いろんなことが一度におこっている。大きな渦も、小さな渦も、たくさんの渦が合わさって、飲まれそうになる。自分の立ち位置や行先が、見えにくくなる。

決めたことだから、大丈夫、あと⚪︎ヶ月だから、大丈夫、頑張れる、私がしっかり立って娘を守らなければ、と自分に言い聞かせながら、やってきたのだけれど、数日前、前に進みたくても足が動かなくなってしまった。

頑張りすぎないように、というのは、ここに来る前も来てからも、たくさんの人に言われたことだったのに、頑張りすぎない、というのは、私はどうもとても苦手なことのようだ。

「頑張りすぎないって、どうすればいいんですか?」と聞く私に、

「自分を褒めてあげること。よくやってる、頑張ってる、と、自分に言ってあげること。」という答えが帰ってくる。

 フィールドワークが体力的にも精神的にもかなり大変なプロセスだというのは、前から聞いていて覚悟していた。きっと忙しいんだろうな、とか、言語とか文化の理解に苦労するかな、とか思っていたけれど、一番大変なのは、いろいろなことが起こる「渦」に巻き込まれて、客観性を失うということかもしれない。

なぜ、私が今、ここにいて、がむしゃらにインフォーマントを探して、インタビューをして、ということを続けているのか。

目的を見失わないように、自分の日々の活動を大きな視点でみるようにしよう。

目の前の日々の小さな幸せには、目を逸らさないまま。

夜のうちに落ちたまだ新鮮な花たちを、朝家から出てひとつひとつ拾い集めるように。

常連になってしまった近所のカフェで、おいしいコーヒーを一杯、丁寧に味わうように。






2017年5月27日土曜日

母の日






フランス式では、明日が母の日。


バリでフランスの学校に行っている娘は、1週間ほど前から何やら学校で母の日のための準備をしているらしい。

You know mommy, I have a present for you on fete de maman! And it is a SURPRISE!
「そうなんだ(笑)What is the present then?
「えーっと・・・its a SURPRISE!
「(笑)Is it a flower?
No! It is a SURPRISE!

というようなやりとりを1週間ほどして、金曜日に学校から持って帰って来たのは綺麗にルミネートされた彼女の写真・手形にフランス語の詩が貼ってあった。

Maman, quand tu es en colère,
Je t’aime de travers
Maman, quand tu t’en vas,
Je t’aime couci-couça
Maman, quand tu es de bonne humeur,
Je t’aime de tout mon cœur
Maman, quand tu me cajoles,
Je t’aime sans parole
Maman, quand je te dis ce poème,
Comprends tu combien je t’aime ?
Bonne fete de maman!

簡単に翻訳要約すると、どんな時でもママが大好きだよ、ということを伝える詩。

帰りの車の中で、その詩を見て娘が暗唱し始めた。学校でみんなと何回も練習して覚えたのだという。完璧に暗唱し終わった後、英語に翻訳までしてくれた。

彼女がこれほどの詩を暗唱できるなんて思っていなかった私にとって、予想外のプレゼント。

母になってよかったなあ、と思う瞬間のひとつだった。





1年ほどかけて準備をしてきたフィールドワークを始めて約3ヶ月、中盤戦。

特にこっちにフィールドワークに来てからは毎日必死で生きている感覚なのだけれど、毎日必ず娘と一緒にいられる幸せを噛み締めている。

最初は、娘をヨーロッパに残し一人でしようと思っていたフィールドワーク。その方が住む場所を転々とすることもなく彼女にとって良いと思っていた。

でも、連れて行きなさいという指導教官の一言で決断することができた、娘と二人でフィールドワークに来ること。

ただでさえ不安だらけだった出発2週間前に、娘にホルモンの異常があり普通の健康状態ではないこととすぐに毎日の治療が必要なことがわかったこと。

皆が混乱する中で、きっと心配でたまらなかっただろう娘の家族も、私の決断を信じて「行くな」とは言わないでいてくれたこと。

同僚たちも、薬や注射の針を持ち運ぶのに必要な書類の作成にこぞって協力してくれたり、指導教官は心から心配して知り合いの専門家のお医者様と特別にアポイントメントをとってそれに同行して一緒に話を聞いてくれた。

もちろん、リスクを考えて、フィールドワークを中止あるいは延期することも考えた。そしてやっぱり娘をヨーロッパに置いていくことも。

でも、予定通り行くことに決めたのは、本当にいろんな人の協力のおかげである程度の安全な環境を築いてあげることが可能だと判断したこと、そして私のことを信頼し決断を任せてくれ、それをサポートしてくれる周りの人のおかげだった。





こちらに来てからまずすぐにバリで一番という評判の病院に行き、娘の安全のための必要事項を確認したにも関わらずそれがうまく全体に伝わっておらず病院が信頼できなかったり、同時に始めた研究がなかなか思う通りにいかずヤキモキしたり、時間と約束を守らないこちらの文化にがっかりしたり、 綺麗にしていてもネズミがでた棚を開けるたびに怖かったり、自分のインドネシア語がもっとできればと思うことがあったり、車を運転する度に命知らずで運転しているバイクたちに神経をすり減らされたり・・・と文句をあげればきりがないけれど。

でも、娘が学校でもすぐ友達をつくり毎日楽しく行ってくれて、たまに風邪をひいたり熱をだしたりしながらもまあ健康でいてくれて、気候や食事にもうまく順応してくれ、最初はそこらじゅうにいるトカゲ(ヤモリ?)などを怖がっていた娘が最近では触れるようになっていたり・・・。

幸運にも隣近所のお家にも同じくらいの年齢の子供がいて、私が朝寝ている間に隣に勝手にお邪魔して朝ごはんを一緒に食べているくらい仲良くなっていたり。

私の研究も、思うように進まなかった最初の1〜1.5ヶ月を過ぎたら、その間に用意していたクモの巣に獲物がひっかかってくるように、ポロポロと結果が得られたり。研究を手伝ってくれているアシスタントも、楽しんで研究を一緒にしてくれている。

こちらでかなりの人数から選んだ1人のナニーも、辛抱強くコミュニケーションをした結果今では彼女と娘を2人で残して夕方にインタビューに出かけることも安心してできるくらいに信頼できるようになった。



もちろんまだまだ課題や文句はたくさんある(インドネシア語がもっとできたらな、研究で頭がいっぱいの生活じゃなくて娘と向き合って楽しむ時間をつくらないとな、蚊にさされるのもデング熱が怖いわ、やっぱりみんないつも遅れてくる文化は私には合わないな約束は守ってくれよ、反対車線で猛スピードで突っ込んでくる車とかバイクとかは死にたいの?)けど、そういうのは二の次。



娘と一緒にいるのが当たり前で、助けてくれる夫や家族が近くにいるのが当たり前な家庭もあるのだろうけれど。

私はこうやってある意味特殊な道を選び、それでもこうやって娘と二人でいられるというシンプルな幸せが、本当に幸せ。

普通の道では決してない道だけれど、自分で選んだ道だから、何があっても進んでいける。