2014年11月28日金曜日

助けてもらうこと




新しい土地名古屋での生活を始めてからもう1年がたつ。

それ以前の数年間は外国へ行っては日本に帰って来て、数ヶ月滞在してはまた別のところへ行く、という生活をしていたので、こうやって自分の「ホーム」みたいな場所ができることは新鮮で、嬉しい。

18年間関西を出たことがなかった私が、東京で一人暮らしを始め、オランダで1年弱勉強し、こうして今は名古屋にいる。

信頼のおける友達や知り合いがいて、お気に入りの場所がある、そんな「ホーム」が増えていくのが嬉しいし、自分は恵まれているなあと実感する。

特に、子供がいると「ホーム」をつくることは大事になるのかもしれない。

名古屋での生活を始めた時は、知り合いも友達もおらず、いざという時に頼れる人がいなかった。

今では、友達、クラスメイト、一緒に住んでいる人たち、ご近所ママさんなど、いざという時に助けてくれそうな人に囲まれている。この安心感は私たちにとって大きなものだと思う。

土日の研究会で娘を連れて行けない時にベビーシットしてくれる友人も。

私も娘も風邪でダウンしていた時に電話をかけたら駆けつけてくれる友人も。



今、大学で共同研究のプロジェクトを進めている。メンバーはウズベキスタン人、台湾人、中国人、バングラデシュ人、そして私を含め日本人が2人。
以前、研究発表の都合で急遽、土曜日にミーティングを入れなければならないことになった。しかもそれが決まったのは金曜日。

もともと土日は基本的に娘との時間と決めていることもあり、娘を連れてミーティングに行くことに決めた。もちろん、メンバーの許可をとって。

すると、面白いことがおこった。

ミーティングをしている間、いつの間にかみんなが代わる代わる娘の面倒をみてくれているのだ。

私がディスカッションをリードしている時は、それを聞きながら娘をだっこしてくれている人がいる。

私が議論に夢中になっている時は、娘が椅子から落ちないか気を配ってくれている人がいる。

挙げ句の果てには、通りかかった研究チーム外の友達が、娘をみて「遊んで来て良い?」と言って娘を連れ出してくれた。

30分くらいだっただろうか。ミーティングも大詰めで、みんなも疲れて来ているときだったので、本当に助かった。

それまで娘と何度も会っている人たちだからか、娘もいやがることなく代わる代わる抱かれていた。

もちろん、こんな風にうまくいかない場面の方が多いだろうから、場面、その仕事の重大さ、周りの人たちとの関係、娘のこと、いろいろなことを考慮して決めなければいけないことだと思う。

でもこうやっていざというときに助けてくれる友達ができたのはとても貴重なことだし、そういう関係を築けたという事実が自信にも繋がった。



「助けて」と言うことは、自分ができることとできないことを明確に理解し、さらに他人を信用して仕事を委ねることができることに等しい、と思う。

私は、基本的に人に助けてというのが苦手だ。

1つには、その人に割いてもらう労力、時間に値するほどの価値のあるものなのか、と考えてしまうこと。例えば、悩んでいることがあってもなかなか他人に相談する、ということに踏み出せないのはこの理由がある。

2つ目は、自分は一人でできる、と信じたいから。自分にはそれだけの力があると信じたいからだと思う。

でも、一人でできることなんてしれているのかもしれない。

自分でベストを尽くして、できるところまでやってみて、それでもだめなら助けを求めてもいいじゃないか。

そうして助けてもらった分は、いつか返せばいい。

その助けてくれた本人に返せなくても、自分の周りの人に、自分ができるときにできることで返していけばいい。

最近亡くなった私の祖父は、よく「人生は借りを返すために生きていくようなもんだ」と言っていた。情にあつく、人間関係を一番に大事にする人だった。それで若い頃に始めた小さな薬局を大きくし、成功を納め、今ではその薬局は大きな組織になり私の母を含めた祖父の子供たちに受け継がれている。



テニスも、ダブルスよりシングルスの方が好きだった。

今でも何においても個人プレー派だけれど、子供が産まれたことで「助けて」と言わなければならない状況におかれることも増えた。

自分のバウンダリーを広げて、少しづつチームプレーも学ぶ時なのかもしれない。