2017年6月14日水曜日

ひずみ

インドネシアに来てから、いや、準備期間の間から、フィールドワークで成果をあげるという目的を果たすことに必死で、自分の体や心のニーズに耳を傾けることをおろそかにしていた。フィールドワークを初めて3ヶ月経った今、その結果としてひずみがでてきている。だから、書くということの力を少し借りてみようと思う。

いろんなことが一度におこっている。大きな渦も、小さな渦も、たくさんの渦が合わさって、飲まれそうになる。自分の立ち位置や行先が、見えにくくなる。

決めたことだから、大丈夫、あと⚪︎ヶ月だから、大丈夫、頑張れる、私がしっかり立って娘を守らなければ、と自分に言い聞かせながら、やってきたのだけれど、数日前、前に進みたくても足が動かなくなってしまった。

頑張りすぎないように、というのは、ここに来る前も来てからも、たくさんの人に言われたことだったのに、頑張りすぎない、というのは、私はどうもとても苦手なことのようだ。

「頑張りすぎないって、どうすればいいんですか?」と聞く私に、

「自分を褒めてあげること。よくやってる、頑張ってる、と、自分に言ってあげること。」という答えが帰ってくる。

 フィールドワークが体力的にも精神的にもかなり大変なプロセスだというのは、前から聞いていて覚悟していた。きっと忙しいんだろうな、とか、言語とか文化の理解に苦労するかな、とか思っていたけれど、一番大変なのは、いろいろなことが起こる「渦」に巻き込まれて、客観性を失うということかもしれない。

なぜ、私が今、ここにいて、がむしゃらにインフォーマントを探して、インタビューをして、ということを続けているのか。

目的を見失わないように、自分の日々の活動を大きな視点でみるようにしよう。

目の前の日々の小さな幸せには、目を逸らさないまま。

夜のうちに落ちたまだ新鮮な花たちを、朝家から出てひとつひとつ拾い集めるように。

常連になってしまった近所のカフェで、おいしいコーヒーを一杯、丁寧に味わうように。






2017年5月27日土曜日

母の日






フランス式では、明日が母の日。


バリでフランスの学校に行っている娘は、1週間ほど前から何やら学校で母の日のための準備をしているらしい。

You know mommy, I have a present for you on fete de maman! And it is a SURPRISE!
「そうなんだ(笑)What is the present then?
「えーっと・・・its a SURPRISE!
「(笑)Is it a flower?
No! It is a SURPRISE!

というようなやりとりを1週間ほどして、金曜日に学校から持って帰って来たのは綺麗にルミネートされた彼女の写真・手形にフランス語の詩が貼ってあった。

Maman, quand tu es en colère,
Je t’aime de travers
Maman, quand tu t’en vas,
Je t’aime couci-couça
Maman, quand tu es de bonne humeur,
Je t’aime de tout mon cœur
Maman, quand tu me cajoles,
Je t’aime sans parole
Maman, quand je te dis ce poème,
Comprends tu combien je t’aime ?
Bonne fete de maman!

簡単に翻訳要約すると、どんな時でもママが大好きだよ、ということを伝える詩。

帰りの車の中で、その詩を見て娘が暗唱し始めた。学校でみんなと何回も練習して覚えたのだという。完璧に暗唱し終わった後、英語に翻訳までしてくれた。

彼女がこれほどの詩を暗唱できるなんて思っていなかった私にとって、予想外のプレゼント。

母になってよかったなあ、と思う瞬間のひとつだった。





1年ほどかけて準備をしてきたフィールドワークを始めて約3ヶ月、中盤戦。

特にこっちにフィールドワークに来てからは毎日必死で生きている感覚なのだけれど、毎日必ず娘と一緒にいられる幸せを噛み締めている。

最初は、娘をヨーロッパに残し一人でしようと思っていたフィールドワーク。その方が住む場所を転々とすることもなく彼女にとって良いと思っていた。

でも、連れて行きなさいという指導教官の一言で決断することができた、娘と二人でフィールドワークに来ること。

ただでさえ不安だらけだった出発2週間前に、娘にホルモンの異常があり普通の健康状態ではないこととすぐに毎日の治療が必要なことがわかったこと。

皆が混乱する中で、きっと心配でたまらなかっただろう娘の家族も、私の決断を信じて「行くな」とは言わないでいてくれたこと。

同僚たちも、薬や注射の針を持ち運ぶのに必要な書類の作成にこぞって協力してくれたり、指導教官は心から心配して知り合いの専門家のお医者様と特別にアポイントメントをとってそれに同行して一緒に話を聞いてくれた。

もちろん、リスクを考えて、フィールドワークを中止あるいは延期することも考えた。そしてやっぱり娘をヨーロッパに置いていくことも。

でも、予定通り行くことに決めたのは、本当にいろんな人の協力のおかげである程度の安全な環境を築いてあげることが可能だと判断したこと、そして私のことを信頼し決断を任せてくれ、それをサポートしてくれる周りの人のおかげだった。





こちらに来てからまずすぐにバリで一番という評判の病院に行き、娘の安全のための必要事項を確認したにも関わらずそれがうまく全体に伝わっておらず病院が信頼できなかったり、同時に始めた研究がなかなか思う通りにいかずヤキモキしたり、時間と約束を守らないこちらの文化にがっかりしたり、 綺麗にしていてもネズミがでた棚を開けるたびに怖かったり、自分のインドネシア語がもっとできればと思うことがあったり、車を運転する度に命知らずで運転しているバイクたちに神経をすり減らされたり・・・と文句をあげればきりがないけれど。

でも、娘が学校でもすぐ友達をつくり毎日楽しく行ってくれて、たまに風邪をひいたり熱をだしたりしながらもまあ健康でいてくれて、気候や食事にもうまく順応してくれ、最初はそこらじゅうにいるトカゲ(ヤモリ?)などを怖がっていた娘が最近では触れるようになっていたり・・・。

幸運にも隣近所のお家にも同じくらいの年齢の子供がいて、私が朝寝ている間に隣に勝手にお邪魔して朝ごはんを一緒に食べているくらい仲良くなっていたり。

私の研究も、思うように進まなかった最初の1〜1.5ヶ月を過ぎたら、その間に用意していたクモの巣に獲物がひっかかってくるように、ポロポロと結果が得られたり。研究を手伝ってくれているアシスタントも、楽しんで研究を一緒にしてくれている。

こちらでかなりの人数から選んだ1人のナニーも、辛抱強くコミュニケーションをした結果今では彼女と娘を2人で残して夕方にインタビューに出かけることも安心してできるくらいに信頼できるようになった。



もちろんまだまだ課題や文句はたくさんある(インドネシア語がもっとできたらな、研究で頭がいっぱいの生活じゃなくて娘と向き合って楽しむ時間をつくらないとな、蚊にさされるのもデング熱が怖いわ、やっぱりみんないつも遅れてくる文化は私には合わないな約束は守ってくれよ、反対車線で猛スピードで突っ込んでくる車とかバイクとかは死にたいの?)けど、そういうのは二の次。



娘と一緒にいるのが当たり前で、助けてくれる夫や家族が近くにいるのが当たり前な家庭もあるのだろうけれど。

私はこうやってある意味特殊な道を選び、それでもこうやって娘と二人でいられるというシンプルな幸せが、本当に幸せ。

普通の道では決してない道だけれど、自分で選んだ道だから、何があっても進んでいける。


2016年12月31日土曜日

2016年の終わりと2017年の始まり





2016年は走り続けた年だった。


2−3年のうちに挑戦できたらいいかな、と思っていたようなポジションが気づいたら自分の手の中にあり、背伸びをしているような感覚で始めたライデンでのPhD。

背伸びをしながら、信頼して雇ってくれた上司や支えてくれた同僚の期待に応えられるように、と9ヶ月がむしゃらに走って研究をした。

そうしているうちに、周りの同僚からも少しづつ、認められているのがわかる。

一番感謝している指導教官(上司)から、「1年弱でこんなに発展したPhDは見た事がないし、その発展のプロセスに貢献できて幸せだ。この冬休みは、仕事をしないで、ゆっくり骨を休めなさい。」とあたたかいメールをもらい、今は一度、少しだけ立ち止まってみる時なのかなと思う。

また走り出すことのことを考えると立ち止まってしまうのは怖いけれど、今は娘というかけがえのない存在があって、自分の体も心も自分だけのものではないから、この3週間の休みは足と心を休める努力をしよう。

来年も、インドネシアでのフィールドワークがあったり、慌ただしく変化の多い年になる。 だからこそ、軸を決めて安定させられるところはさせたい。

2017年の目標

1)減らすこと。選択と集中。
たくさんのことを同時にしようとするのではなく、意識して選択して選んだものに集中する。しっかりした土壌作りをするには近道はないし、時間がかかるから、自分が選んだところを時間とエネルギーを費やして耕していきたい。それは研究もそうだけれど、人間関係も。

2)ぶれない。揺れない。
ぶれない軸をもつには、自分のことをもっと理解する必要がある。自分が好きなこと嫌いなこと、妥協できるところ受け入れられないところ、ほしいもの要らないもの、心地よいこと不快なもの、大事なものそこまで大事でないもの。そういうものの区別をして、些細なことには影響されないように。

3)日々の小さな幸せを噛みしめて感謝する。 
娘はもう3歳8ヶ月だけれど、一瞬の間に大きくなったような感覚だし、これからもこういう成長の速度は変わらないのだと思う。彼女ともそうだけれど、他の大切な人たちとも、今の瞬間を共にできるのは今しかないから、一緒に食べるごはんとか、毎日のお風呂の時間とか、絵本の時間、一つ一つ、丁寧に、大事にする。

Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever. (Mahatma Gandhi)
来年もいろんなところを転々とする予定ですが、大切な人は大切にして関係を紡いでいけますように。

2016年11月29日火曜日

冬の夜と、小包

 
今朝は、私たちがオランダに来てから初めて気温が零度を下回っていた。

道路には霜が張っていた。もしかしたら、朝方に降った雪の残りだったのかも。

あっという間に冬が来て、いつの間にか日も短くなり、夕方の5時にはもう真っ暗。

日が短くなるとみんな早いうちにいそいそと帰っていくようになる(オランダで早く帰る、というのは本当に早い。みんな10時に出勤で5時にはオフィスを出ている人がほとんど・・・)

できるだけ早くお迎えに・・・と思いながらも、仕事が多いのと楽しいのとで私がオフィスを出るのは大抵6時過ぎ。そうすると帰り道はもう真っ暗。

帰り際、先週「小包が届いていたけどいなかったので、ここまで取りに来てください」というような趣旨の(もちろん手紙類はオランダ語なので、だいたい当てずっぽうで読む)手紙が届いていたのを思い出し、郵便局にとりにいく。

愛知からの小包だった。

家に帰って開けてみると、コーヒーと、あんこと、写真と、絵葉書と、手紙が入っている。

「(・・・)正解のない決断ばかりかと思います。出産経験のない私が何を言うこともできませんが、私は⚪︎⚪︎さんの決断を応援します。世界で一人は、味方がいます。忘れないでください。(・・・)オランダでもどこでも、お二人は、お二人の道を。」

はじめは私がおんぶやだっこをしながら歩き始めた道だったけれど、今では娘も立派に一人で歩き、手を繋いで、ゆっくりでも、少しづつ前に進んでいる。

たった二人だけれど、それでも二人。心細くなる時もあるけど、困った時は喜んで手を差し伸べてくれる人に囲まれている感覚もある。

しばらく会ってなくてもこうやって気にかけてくれ、こんなに離れた場所からでも支えてもらえること、改めて実感する。

http://www.nytimes.com/2013/12/01/fashion/coming-out-as-a-modern-family-modern-love.html?_r=0

英語の記事だけれど、女性の「パートナー」がいることについて12歳の息子に告白する母親の話。話自体は正直共感できるところは多くないのだけれど、最後の一文が気に入っている。「Maybe, in the end, a modern family is just a more honest family.」

前例のない、正解のない道だけれど、自分に嘘をつかずに、難しいことから逃げずに、自分が正しいと思う道を歩んでいければいい、と思う。

今日は、シナモンとナツメグを使ったパンプキンスープを作って、明日の寒さに備えよう。




2016年11月16日水曜日

この一球は絶対無二の一球なり




最近、何かとスポーツをする機会に恵まれている。


期間限定でオーストラリアから来ている研究者のJは最高のテニスパートナーだし(同じくらいのレベルのプレーヤーで、しかも場所と時間が合う人を見つけることはなかなか難しい)、

職場のランチタイムを使ってスタッフ総出の卓球トーナメントが開催されていたり

他のPhDの学生と仕事終わりにスカッシュをする機会ができたり。

本当は、その仕事終わりの1時間も惜しいくらいやることが多いのだけれど、そういうストレスフルな時期こそスポーツをたまにするのは大事だと思って機会を見つけては参加している。



どんなスポーツでもそうだと思うけれど、自由に打ち合いをしている時と、試合でプレッシャーの下プレイする時では、打て方が全く変わってくる。

どう違うかというと、プレッシャー下でプレイする方が、遥かに思い通りに打てない。

つまり、勝ち負けが決まる試合をする時は、普段のレベルにプラスして、心を平静に保つこと、余計なことに気を散らさないことが必要とされるからだ。

毎日テニスに明け暮れていた頃、コーチがこう言っていた。

「練習で10回中10回入るまでになって、初めて試合でそれが入るようになる」

その時はテニス以外は頭になかったし生活のほぼ全てをテニスに捧げられたからそういうやり方もできたししていたけれど、今の生活ではもちろんそれはできないしやるつもりもない。

でも、試合となるとやっぱり負けたくはないので、それなりに頑張るのだけれど、同レベルくらいの相手と試合をすると、最初はリードしていてあと一歩で勝ちが見えるというところで、追いつかれるという自分のパターンに気づく。


なんでなんだろう、と考えていると一つのことに気づく。

一球一球をその一球だけに集中してプレイしていれば、リードしていても追いつかれてもプレイがぶれることはないはず。

リードしたとき、追いつかれている時に、先を想像したり、点数を気にするから、打ち方が変わってしまうのだ。


この一球は絶対無二の一球なり
されば心身を挙げて一打すべし
この一球一打に技を磨き体力を鍛え
精神力を養うべきなり
この一打に今の自己を発揮すべし
これを庭球する心という


もともと福田雅之助というテニス選手が残した言葉なのだけれど、テニス選手の間では語り継がれている有名な言葉。

この言葉がすごく好きで、大切な試合の前には全文を呟いていた。試合中にもプレッシャーに負けそうになった時には、最初の一文を呪文のように唱えていた。




人生にも同じことが言えると思う。

この一日は、絶対無二の一日なり

この一日に今の自己を発揮すべし



不安なことはいっぱいあるけれど、後でも考えられることは今は忘れてもいい。

3歳7ヶ月28日目の娘と一緒に過ごせるのは、今日しかないから。3歳の娘と一緒に過ごせるのは365日しかないから。

4年間しかないPhDは、1日1日が大事だから。

いっぱいいっぱいで生きていても(もうこれは否定できない)、一日一日を丁寧に大切に生きることはできるから。

2016年10月13日木曜日

ホーム


オランダは夏が終わったと思ったらもう冬が来たような気候で。

日も短くなり、仕事場を出る6時頃にはもう薄暗く、朝も私たちを自然の光で起こしてくれていた朝日が出るのは8時頃。

私の目覚まし時計である娘の起床が少し遅くなったので、私も以前より少し遅くベッドをでて朝食の準備をする。

最初の頃は不安そうで嫌がっていた保育園も、先生にも慣れ、友達も増え、言語も話せるようになった今は楽しみにして行っている(もちろん、まだたまに「ママがいい〜〜〜」と泣くけれど)。

私も、「気のおける」友達が増え、職場でもやっと自信と手応えがついてきた。同僚が集まる場で発言するのも怖くて自信がなかった、自信がなかったから無理をして長時間オフィスに残っていた最初の頃と比べたら、かなりの進歩。

PhDの3年目くらいにできたらいいな、と思っていた講義も、なんだか突然任されて修士の学生を相手に講義をしてみたり

職場の機関の小さなプロジェクトを任されたり

無理して話題を探さなくても気軽に立ち話をできる(始めの頃は立ち話がすごく苦手だった)同僚が増えたり

そんな小さなことが心地よくて、嬉しい。

朝自転車に乗りながら、河川の近くにいるアヒルたちが何をしているのか娘と話したり

夕方はいろんな色に染まる空をみながら、「きれいだね〜」と何色がみえるか話あったり

きっと質素でシンプルな生活だけど、それがとても心地よくて幸せで。

ブレイクスルー、というか、あ、最初の山、とりあえず登りきったな、という感じがする。

ほっとする間もなく、インドネシアでのフィールドワークの準備を始めなければならない。

家を決めて、シッターさんやお手伝いさんを探して、学校の手続き、ビザ、保険や予防接種・・・・

オランダに来るためにしていた準備と同じように、また山積みの「不確定事項、要検討事項」。

は〜せっかくこの土地に慣れてきたのに、また引越しかあ。

というのが本音。でも、これは私の研究のために必要なことで、それは前からわかっていたこと。わかっていて、それでも娘を連れていくと決めたのは、私で、準備が何倍も大変になっても、その決断は全く後悔していない。

でも正直、保育園のお迎えの時に、仲のいい友達に「バイバイ〜!」といってハグをしにいくのをみたり、オランダ語や英語をうれしそうに話しているのをみると、

あ〜また新しい土地で新しい学校、新しい言語にさらされるの、かわいそうかもしれない

という思いがよぎる。

同じように移動が多い研究者の先輩ママさんが息子さんのことを「最初は誰にでもすっごくフレンドリーなんだけど、彼は誰に対してもあるところで壁をつくるみたい。」と言っていたのを思い出す。

彼女にとって「安心できる」人間関係や場所は、果たしてできるのだろうか・・・。

そんなことを考えていると、なんだか見透かしたように娘が家の話をし始める。

「インドネシアのお家の話?」と聞く私に「うん!」と答える娘。

「クリスマスはぱぷう達とパリでお祝いして、それから日本に帰ってばあば達と会って、それからママとはインドネシアにいくんだよ。大丈夫?怖くない?楽しみ?」

「うん!それで?」笑顔で聞く娘。

「それから、またオランダに戻ってくるよ。」

「わかった〜!」とまた笑顔の娘。

ああ、そうだった。

ヨーロッパにいるパパに娘を任せて一人でフィールドワークに行く選択肢もあったのに、それでも連れていくと決めた時、場所や友達や言語が変わっても、私自身が娘の「ホーム」でいようと決めたんだった。

娘の笑顔に、「ママと一緒なんでしょ?だったら大丈夫!」という言葉を見た気がした。

2016年9月21日水曜日

ベルギー:ビーチ、ビールと学会



1年ほど前に参加を決め、半年ほど前から発表のための論文に取り組みあたためてきた学会が終わった。

ベルギーでの開催なので、パリからフランスのおじいちゃんおばあちゃんに来てもらい、学会の数日間娘と一緒に過ごしてもらうことに。

協力的な家族が遠くないヨーロッパにいることと、他の人に預けても柔軟に楽しんでくれる娘に感謝。「私だけでなく、多くの人に愛されて育ってほしい」という一心で、 毎週スカイプをしたりしてフランスの家族と娘の関係をあたためてきたけれど、こうやって私が一緒に居られない時に彼らだけで時間を存分に楽しんでくれるので、面倒なこともあったけど頑張ってよかったなあと思う。

親しんでいる言語の数とか、産まれてから今まで飛行機に乗った(いわゆる移動の)数とかを差し置いても、関わる人の数においても彼女は特殊な環境で育っていると思う。

日本の家族、フランスの家族との関係はもちろん、名古屋にいる時も今も、友達や同僚、教授や上司とご飯を食べに行ったりする時も、彼女を連れて行っている。

私一人だから、連れて行く以外に選択肢がないといえばそうなのだけれど。

でも、こうやって彼女を含めた友人関係を築くことで、「関係をあたためる」ということを意識してするようになった。それにあたためたひとつひとつの関係は、より深く、大切で、長持ちするものになった。これは、彼女のおかげ。


 ベルギーの学会の話に戻る。学会後、フランスのおじいちゃんに「学会はどうだった?」と聞かれ、「すごくためになった、(娘の名前)をみてくれていて本当にありがとう。でも、英語をもっと勉強しなければいけないと、痛感した。 語彙もそうだし、自分の複雑な考えをシンプルにわかりやすく説明できるくらいのレベルの言語力がほしいと、他の発表者を見ていて思った。」

実際、英語が「何をしても困らない程度」にできるようになってから、フランス語やインドネシア語の勉強を優先して英語の勉強がおろそかになっていたのだけれど、こっちに来てからは自分の英語力もまだまだ足りないことを実感していた。書くことにおいても、話すことにおいても、言葉を自由に操り自分の考えを明確に表現する、ということをゴールにすると、必要な語彙力もぐっとあがる。

でも、そういうとフランスのおじいちゃんは「自分が10年後、20年後、30年後に、同じような会議で彼らと同じようなレベルで発表できるようになることを目指せばいいじゃない。」という。

そうだ、そうだ。

私は、会議の発表者でもたぶん最年少、今の研究機関で働いている人の中でも最年少で、ふだん何十年も歳が離れた人たちと仕事や話をしている。経験値も知識量も違うのは当たり前なのだけれど、私の職場(というより職種?)では上下関係がなくあまりにもフラットなので、思わず忘れてしまう。

そうそう、うんと上を見て、ずっとずっと前にあるゴールを見るのもいいけれど、気が遠くなってしまったら、足元を見て、一歩一歩歩いているのを確かめればいい。私が前に見ている人たちも、そこにいるのはこうやって一歩一歩を積み重ねてきた結果なのだから。