2016年1月4日月曜日

2016年の抱負

私が高校の頃毎日テニスに明け暮れていた時も、大晦日と元日だけはテニススクールも休みで家で家族と過ごした。

それくらい、お正月というイベントは日本人として日本で育ってきた私にとって大切なものとして染みついているんだなあと思う。

今年は絶対に日本で年越しをして、家族とできる限りの時間を過ごそうと1年前から決めていた。

昨 年亡くなったおばあちゃんの代わりにおせちを用意してくれるおじいちゃん。勉強の合間にお茶を入れて持っていくと泣いて喜ぶ妹、夜勤の合間にせっせとお雑 煮を用意している母、私の娘と楽しそうに遊ぶ父。フランスから大きな段ボール箱いっぱいのプレゼントを送ってくれるフランスの家族。そして私の娘のパパが 暇さえあれば絵本の読み聞かせをしている姿を見ると、歳をとるということは大事なものが増えるということなのかな、なんて思う。

大事なものが増えると、難しい決断も増える。

ずっ と夢のように思っていたオランダライデン大学の研究機関での仕事が思いがけず決まった時も、娘の学校のこと、寂しくなると言う日本の家族のこと、新しい生 活のこと・・・を考えると、嬉しいはずの移住もなんだか後ろ髪をひかれるような思いでやっぱり断ろうかと思うこともあった。

それでも最終的にむこうに行く決断をしたのは、結局のところ「きっとこの道にいけと言われているんだ」という導かれているような感覚と、あと不安要素は「なんとかなる」だろうという自信のおかげなんだと思う。

娘にも、言語や友達、食べ物までいろいろな変化を経験させることになる。申し訳ないと思う反面、そんな変化のネガティブな面を最小限に抑えながら、ポジティブな面を最大限に活かす方法はないかと日々模索している。

そんな大きな変化が待ち構えている、今年の抱負。

1)余裕をもつ
また新しい土地で娘と共に生活や人間関係を築いていくことは間違いなくエネルギーの要ることだし、学術的にも仕事という意味でも今までよりもチャレンジングな環境に身を置くことなる。
だからこそ、あえて余裕をもつことを今年の目標にしたい。母親に時間的精神的余裕があることは、娘にとっても必要なことだと思うから。

2)謙虚に学ぶ
25年前、私に名前をつけてくれたのは私の父だったそうだ。
「実るほど、頭の垂れる稲穂かな」という言葉のように、えらくなるほど謙虚になれる人になってほしいと。
えらくなるほど謙虚になるというのは自然なことなのだと思う。
実際に、物事を知れば知るほど、本を読めば読むほど、いろんな人に会えば会うほど、自分がいかにまだ何も知らないか、未熟かを痛感する。
これから4年間続けようとしている研究においても、この姿勢を忘れずにいたい。

3)わずかなもので、豊かに生きる
「わずかなものしか持たずに 生きられる人ほど豊かである。」というヘンリー・デイヴィッド・ソローの格言がある。
物質的な所有物もそうだが、人間関係も、多くを持たず、淘汰された後に残ったわずかな物を大切にしたいと思う。
それが私なりの心豊かに生きる方法だと思うから。