2016年9月21日水曜日

ベルギー:ビーチ、ビールと学会



1年ほど前に参加を決め、半年ほど前から発表のための論文に取り組みあたためてきた学会が終わった。

ベルギーでの開催なので、パリからフランスのおじいちゃんおばあちゃんに来てもらい、学会の数日間娘と一緒に過ごしてもらうことに。

協力的な家族が遠くないヨーロッパにいることと、他の人に預けても柔軟に楽しんでくれる娘に感謝。「私だけでなく、多くの人に愛されて育ってほしい」という一心で、 毎週スカイプをしたりしてフランスの家族と娘の関係をあたためてきたけれど、こうやって私が一緒に居られない時に彼らだけで時間を存分に楽しんでくれるので、面倒なこともあったけど頑張ってよかったなあと思う。

親しんでいる言語の数とか、産まれてから今まで飛行機に乗った(いわゆる移動の)数とかを差し置いても、関わる人の数においても彼女は特殊な環境で育っていると思う。

日本の家族、フランスの家族との関係はもちろん、名古屋にいる時も今も、友達や同僚、教授や上司とご飯を食べに行ったりする時も、彼女を連れて行っている。

私一人だから、連れて行く以外に選択肢がないといえばそうなのだけれど。

でも、こうやって彼女を含めた友人関係を築くことで、「関係をあたためる」ということを意識してするようになった。それにあたためたひとつひとつの関係は、より深く、大切で、長持ちするものになった。これは、彼女のおかげ。


 ベルギーの学会の話に戻る。学会後、フランスのおじいちゃんに「学会はどうだった?」と聞かれ、「すごくためになった、(娘の名前)をみてくれていて本当にありがとう。でも、英語をもっと勉強しなければいけないと、痛感した。 語彙もそうだし、自分の複雑な考えをシンプルにわかりやすく説明できるくらいのレベルの言語力がほしいと、他の発表者を見ていて思った。」

実際、英語が「何をしても困らない程度」にできるようになってから、フランス語やインドネシア語の勉強を優先して英語の勉強がおろそかになっていたのだけれど、こっちに来てからは自分の英語力もまだまだ足りないことを実感していた。書くことにおいても、話すことにおいても、言葉を自由に操り自分の考えを明確に表現する、ということをゴールにすると、必要な語彙力もぐっとあがる。

でも、そういうとフランスのおじいちゃんは「自分が10年後、20年後、30年後に、同じような会議で彼らと同じようなレベルで発表できるようになることを目指せばいいじゃない。」という。

そうだ、そうだ。

私は、会議の発表者でもたぶん最年少、今の研究機関で働いている人の中でも最年少で、ふだん何十年も歳が離れた人たちと仕事や話をしている。経験値も知識量も違うのは当たり前なのだけれど、私の職場(というより職種?)では上下関係がなくあまりにもフラットなので、思わず忘れてしまう。

そうそう、うんと上を見て、ずっとずっと前にあるゴールを見るのもいいけれど、気が遠くなってしまったら、足元を見て、一歩一歩歩いているのを確かめればいい。私が前に見ている人たちも、そこにいるのはこうやって一歩一歩を積み重ねてきた結果なのだから。