2022年12月20日火曜日

誰のための研究か

関西にいる今のうちに、と思い、10年来の研究者仲間(であり、先輩であり、友人)に連絡をとり、週末にお茶をご一緒した。

研究分野が同じ、というわけではないのだけれど、研究に対する姿勢が似ているのか共感することが多く、今回もそういう話になった。「誰のために研究をしているのか」という視点を大事にしている、という彼女。それを聞いて最近自分の研究課題について迷いやもやもやする気持ちがあったことの原因がわかった。「誰のための研究か」が自分の中ではっきりとしていなかったからだ。

自分自身が興味がある問いだから研究をする。気になる、知りたいと思うからその問いを追求する。社会で起こっていることで気になることをテーマにする。トレンドやキャリア戦略といった視点で研究テーマや方向性を決める同僚が多い中、私はそういう移り行くものには関係ないものをテーマにしたいと思ってやってきた。

それはつまり、自分の心が動くテーマであり、問いであり、その背景にはずっと自分の信じるものや達成したいことや社会との繋がりがあったはずなのだけれど、「誰のために」という問いを投げかけられたことは今までなかったので、自分の中で明確になっていなかった。

彼女と会っていた時は「あれ、私の研究は誰のための研究なんだろう・・・」と答えが出なかったのだけれど、その後数日間考えていると答えが浮かんできた。「声が届きにくい社会的弱者(marginalized people)」のため。そして彼らの声を拾い上げて、一つの意見や視点として議論の机上に持ってくること。これ掘り下げると「平等」や「多様性」にも繋がっていて、声の大きな人たち(社会的強者、つまり力や富、資源、名声、地位がある人たち)の意見が支配してしまいやすい議論や社会的論調的なものに、そういう「マジョリティー」だけでない「マイノリティー」の意見を入れて風通しをよくしていきたいと思っているから。「普通」や「常識」の枠にそって人生を送るのは楽だから、大抵の人はそういう生き方を選ぶ。でも人間なんだからそれぞれの違った考え方や生き方があって当たり前だし、その違いが受け入れられる環境があってこそ、人は自由に生きられるのではないか。だから社会的弱者や、マイノリティーとされる人たちの声を拾い上げて、個性として理解すること、社会の中に位置付けていくこと、は私にとって大事なのだ。

多様性って何だろう、と考えた時に、最近よくヨーロッパで謳われているダイバーシティーポリシーなるものについて考えてみた。よくいわれるのは、採用基準の話で、人種や性別でバイアスがかかった採用をしてはいけない、とか、同じ経歴で役職でも収入が違うとか。だから収入の差を埋めるとか、アファーマティブアクションとかクオータ制導入という話になってくる。でも私はそういう、数字で測れるようなものは真の多様性とは違うと思う。というのも、そうすると「白人男性ばっかりだとまずいから、黒人女性を一人入れておけ」みたいな話になってくるし、そうやって参加した「マイノリティー」は、たしかに目に見えるところでは「マイノリティー」かもしれないけれど、結局マジョリティーの「ような」人か、その環境でマジョリティーに染まるしかないからである。

日本社会でわかりやすい例でいうと、女性の社会進出!幹部の女性比率○%!と謳ってそれを数字の上で達成した会社があるとしても、結局出世する女性はマジョリティである男性の「ような」人である必要があったり(育児休暇をとらずに働くとか、男性的な態度や振る舞いをするという点で)、そうでなくてもマジョリティの行動規範に染まっていったりと、結局真の「多様性」には繋がらない。

真の多様性は、一人一人がそれぞれその人らしくいられる、長いものに巻かれたり、強い者に組み伏せられたり合わせたりする必要のない環境がある時に達成されるものだと思う。その人が思うこと、考えること、感じることを、周りとの「違い」を気にせずに、マジョリティーに合わせるプレッシャーを感じる必要なく、表現できれば、その環境は一人一人の「違い」を尊重してそれを活かしていける環境になれる。

ではそういう真に多様性のある環境には何があるのか、何が必要なのか?私は、「対話」と「相互理解」に尽きると考える。

先日、数年前に話を聞いてずっと気になっていた「はっぴーの家ろっけん」という一風変わった介護施設に伺って、施設の視察+ケアマネジャーの方とのインタビューのためのお時間をいただいた。詳しくはまた別にまとめようと思うけれど、ここで言いたいのは、
1)共同生活で他人と暮らす上で考え方や行動に違いがあるのは当たり前。トラブルも、個人のニーズのすり合わせが必要になってくるのも、理解し難いことがあるのも、当然のこと。
2)そこでルールをつくったり罰則を与えたり、あるいは「普通は」「一般的には」という言葉を使って他人の行動を管理したり変えようとしたりするのではなく、
3)とにかく話し合う。話し合うことで問題が解決するわけではないけれど、対話によって、新しい側面をみることができる。いろんな側面をみることで、他の人や問題に対する見方が変わってくる。
4)そうすることで、他人を変えようとすることなく、違いを「排除」することなく、それぞれがそれぞれのままで、共同生活ができる。

ルールをつくるのは簡単。力や圧力で人の行動を変えようとするのは手っ取り早い。対して、対話による相互理解は、手間も時間もめっちゃかかる。それでもそちらを選ぶのは、彼らの一番の優先事項が、主体的に自由に暮らせること、それぞれの意志と希望とニーズに沿った生き方ができることだから。

自由と多様性は表裏一体なのだ。


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