2020年1月8日水曜日

遠距離の人間関係、と、時間

私が所属している研究機関には世界各国をまたぐ形で生活をしている人が多い。

例えば、ウガンダの難民キャンプでフィールドワークをしているオランダ人の同僚は彼女がドイツ人で今コンゴで人道支援に関わっている。私自身もその一人で、日本人としてオランダで働きながらインドネシアでフィールドワーク、娘の家族は日本とフランスにいる。

今日、そのオランダ人の同僚を含め数人と、コンゴにいる彼女と過ごしたクリスマス休暇や次にコンゴで会う計画やらの話になった。私自身遠距離恋愛をしてきたこともあり、私の遠距離恋愛のルールは、3ヶ月に1度は会うようにすること。それはその期間パートナーが「恋しい」とかその人がいなくて「寂しい」という気持ちがあるうちはいいのだが、それ以上になるとその人がいないことに「慣れて」しまうから。

そんな話をしていると、お隣の機関のポルトガル人の同僚が「3ヶ月でも長いよ。特に遠距離恋愛でもヨーロッパ内にいるなら、1ヶ月に1回は会わないと。僕はパートナーがロンドンにいて1ヶ月に1回は会ってたけどそれでも続かなかった。去年の末に別れを告げられたよ。」と話に入ってきた。詳しく聞いてみると、そのパートナーとは2年間付き合って、1年間以上はライデンとロンドンの遠距離だったわけだが、結局彼が仕事でライデンに移ったことが、パートナーにとっては「置いて行かれた」と感じられ、うまくいかなかったという。彼自身は、オランダで家も買い、いつでもパートナーに来てもらい共に生活をしていくつもりはあったという。

「とにかく、たくさん会ったほうがいい。結局最後にあるのは時間だけなんだから。」と彼は言う。

実際に彼が言った言葉をそのまま書くと、「In the end we only have time」となるのだが、考えてみると面白い。時間はただ過ぎ去ってしまうだけで、手元には残らない、という意味で彼の言葉は逆説的だ。時間を「使う」ことで手元に残るのは思い出や記憶。時間を仕事などに使うことで地位や名誉を得ることも、結局は自分の脳が認識できる「記憶」となるに過ぎない。

でも人生とは究極的には自分の身体と時間の2つでできているのかもしれない。だから、私たちが本質的な意味で「持っている」のはその2つだけなのだ。そして時間は残らず、戻らない。だからこそ大切に真剣に考えて使っていくべきものであり、仕事や生活に追われて考える暇もなく時間が過ぎていくのは、あまりにも勿体無い。

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