2018年3月25日日曜日

信念

人間って複合的に物事を見ることはできないので、日常的に何かを経験したり解釈したり感じたり判断したりするということは、常に虫眼鏡を通して世界を見ているようなものなの。そして私の頭の中には2つの虫眼鏡がある。

1)ひとつは自分の内側をみる虫眼鏡。

2)もうひとつは外側から自分をみる虫眼鏡。

1)の自分は今の生活を結構気に入っている。素晴らしい娘を授かり彼女の母親であることがこの上なく幸せで、満たされている。おしゃれしたり贅沢したりすることはないけれど、全ては事足りていて服装も生活スタイルもシンプルなもの。このシンプルさがなんだか自分たちにフィットするような感覚で心地がいい。

でも、2)の自分はスティグマとか世間体とかに悩まされている。周りに認められたい、どこかに属したい、馴染みたいと思っている。一人で、若くして母親になり、アジア人で、女性。民族的にも、性別も、今住んでいるヨーロッパの国ではいわゆる被差別分類に属する。それに加えて若くしてシングルマザーでPhDやってます、なんていう私は、この男性社会、白人社会のアカデミアではパワーレスな存在。スティグマ、といってしまうと大げさに聞こえるかもしれないけれど、結局は同じこと。女だから、アジア人だから、とかいう括りでラベルを貼られ相対的に下の方に置かれ軽んじられてしまうことは、残念ながらあると思う。

人間は、他人との関係性の中に生きることを避けては通れないので、2)の視点やその視点から生み出される苦しみや悩みなんていうのは、かなり切実なもの。だから多くの人は世間体を整えようと必死になったり、周りの人に認められるような仕事についたり、「きちんとした」服装をしたり、ある程度の年齢になったら結婚したり出産したりすることに精を出す。

でも、これには3つ問題点がある。

1つめは、2)の視点は自分自身が創り出した幻想でしかないということ。私はいろいろなラベルを貼られて下の方に置かれてしまう、なんて書いたけれど、それは現実ではない。正確にいうと、それが現実であるという保証はない。2)はあくまでも自分が外側から自分を見ている視点であり、それが周りの視点と一致しているとは限らないーむしろ、一致していない可能性の方が圧倒的に大きいのだ。

2つめの問題点は、2)で見る「外側からの視点」は無限に多様であること。100コミュニティーがあれば100の違った見方感じ方があるし、その中の1つのコミュニティの中に100人いればまた100の違った見方がある。つまりあなたが同じことをしていても、良いように見て賞賛する人(やコミュニティ)もいれば悪いように見て批判中傷する人もいるのだ。上記の、他人との関係性という意味でいうと自分と他人との関係性は無数にあり、その関係性次第であなたの行動や人となりの見え方も無数に多様であるということ。

最後に3つめは、その無数にある関係性の中で、一番大事なのは自分自身との関係性であるということ。考えてみると、2)で外側から見ている自分も、結局自分の視点なのだ。

周りにいる同僚や上司、友人や知り合いでも、1)の自分の内側を見る視点を軸にして生きている人は(本当にごくごく少数しかいないのだけれど)素敵だな、と思う。

私にとって1)を軸に生きるとはどういうことかと考えると、結局は信念ということろに行き着く。信念とは、私はこうやって生きる、という決断と覚悟のこと。失敗しながらでも、転びながらでも立ち上がって這いずりながらでもカッコ悪くても前に進むこと。誰が何を言おうと批判されようと私が正しいと思う道をまっすぐに進むこと。それが私にとっての強さである、と信じること。そして2)に揺らがされることのないくらい確固たる1)をもつー自分の内側にある幸せと充実感を思う存分に楽しみ味わう。私にとって本質的に生きるとはこういうこと。

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