2023年1月1日日曜日

2023年にむけて

移動や出入国の規制が大幅に緩和されたこの1年。私が身を置くアカデミアの世界では、世界中の大学の同僚たちが堰を切ったように対面での学会やワークショップ、出張を企画・実行した年だった。私自身も2022年は1−4月はオランダ、5−6月は日本、7−8月の数週間はインドネシア、9−10月はオランダ+カナダとフランスに1週間ずつ出張、11月−12月は日本、そして年が明けたらすぐシンガポール、と、移動に忙しいダイナミックな一年だった。

3週間半のインドネシア出張も、二ヶ月間のオランダ滞在の時も、娘にはついてくるか聞いたのだけれど、「学校あるし日本にいる」と言って自ら日本に残る選択をした。二ヶ月間も娘と離れるのは生後初めてのことだったので不安だったのだけれど、彼女はそんな壁をひょいと乗り越えてしまったようだった。もう9歳。もうすぐ10歳になる娘は頼もしく見えるし、私は彼女が赤ん坊だった頃からずっと変わらず彼女を尊敬している。私はあまり「母親らしい」母親ではないと思うし、親として人間として未熟なところもたくさんあると自覚しているけれど、こうやって逞しく溌溂としている彼女をみると、大事な部分は体現して教えてこれたのかなあと思う。

赤ん坊や子供、ではなく、一人の人間として対等に接する。

必要なことは、「言うことを聞かせる」のではなく、それが必要な理由を彼女が納得するまで、彼女がわかるように、きちんと説明する。

感情的になったり何か悪いことをしたなと思った時は、自分の間違いを認めて、きちんと謝る。

彼女の気持ちを大事にして、理解しようと努力する。

彼女が辛い時、悲しい時、困っている時、悩んでいる時は、全力で力になる、サポートする。


今思いつく限りでだけれど、こういうことは意識してやってきた。見栄えのいいお弁当を作ってあげる、とか、学校の行事に積極的に参加してPTAにも関わる、とか、小さいうちから色んな習い事をさせる、とか、そういう子育てはしてこなかったけど。

この十年、肩肘張って子育てとキャリアをやってきた。一心不乱に、娘のために、自分のために、周りに批判されないように。でももう要らないものは捨てる。周りの目を気にすることとか、自分や他人をジャッジすることとか、自分や自分の行動を正当化することとか。余計なものを削ぎ落として、自分の好きなこと、信じること、心地いいことをする。他のものは要らない、追わない。

で、今年の目標。

(1)自分や他人や状況に理想を求めるのをやめて、現実を受け入れる。「ま、いっか」を心にとめる。

(2)堂々とする。自分の積み上げてきたものに自信をもつ。足りないものじゃなくて、持っているものに目を向ける。

(3)笑って一緒に過ごせる人と、安心できて居心地のいい人と、一緒に心地いい環境を作っていく。家を心地よい空間にするために工夫する。娘と一緒に、あたたかく心地の良い家庭をつくっていく。

そして最後だけど一番大切にしたいのが、

(4)人との出会いを大切にする。偶発的な出会いを「縁」に高めて、縁を、愛を、友情を、あたためる。哲学者アドラーやフロムがいう「愛する」技術と勇気を実践していく。フロムは著書「愛するということ」で愛やGiveすることについてこう説いている。


「自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分のなかに息づいているもののあらゆる表現を与えるのだ。このように自分の生命を与えることによって、人は他人を豊かにし、自分自身の生命感を高めることによって、他人の生命感を高める」。


肩肘張ってキャリアと子育てに必死だったここ10年間、なかなか優先できなかった、目の前の人にフォーカスしてGiveする、そして関係性を豊かにする、ということ。この10年間も土台作りに必要不可欠だったのだけれど、やっぱり人生は人と繋がるから面白い。繋がりを豊かにしていくのが醍醐味だと思う。




2022年12月20日火曜日

誰のための研究か

関西にいる今のうちに、と思い、10年来の研究者仲間(であり、先輩であり、友人)に連絡をとり、週末にお茶をご一緒した。

研究分野が同じ、というわけではないのだけれど、研究に対する姿勢が似ているのか共感することが多く、今回もそういう話になった。「誰のために研究をしているのか」という視点を大事にしている、という彼女。それを聞いて最近自分の研究課題について迷いやもやもやする気持ちがあったことの原因がわかった。「誰のための研究か」が自分の中ではっきりとしていなかったからだ。

自分自身が興味がある問いだから研究をする。気になる、知りたいと思うからその問いを追求する。社会で起こっていることで気になることをテーマにする。トレンドやキャリア戦略といった視点で研究テーマや方向性を決める同僚が多い中、私はそういう移り行くものには関係ないものをテーマにしたいと思ってやってきた。

それはつまり、自分の心が動くテーマであり、問いであり、その背景にはずっと自分の信じるものや達成したいことや社会との繋がりがあったはずなのだけれど、「誰のために」という問いを投げかけられたことは今までなかったので、自分の中で明確になっていなかった。

彼女と会っていた時は「あれ、私の研究は誰のための研究なんだろう・・・」と答えが出なかったのだけれど、その後数日間考えていると答えが浮かんできた。「声が届きにくい社会的弱者(marginalized people)」のため。そして彼らの声を拾い上げて、一つの意見や視点として議論の机上に持ってくること。これ掘り下げると「平等」や「多様性」にも繋がっていて、声の大きな人たち(社会的強者、つまり力や富、資源、名声、地位がある人たち)の意見が支配してしまいやすい議論や社会的論調的なものに、そういう「マジョリティー」だけでない「マイノリティー」の意見を入れて風通しをよくしていきたいと思っているから。「普通」や「常識」の枠にそって人生を送るのは楽だから、大抵の人はそういう生き方を選ぶ。でも人間なんだからそれぞれの違った考え方や生き方があって当たり前だし、その違いが受け入れられる環境があってこそ、人は自由に生きられるのではないか。だから社会的弱者や、マイノリティーとされる人たちの声を拾い上げて、個性として理解すること、社会の中に位置付けていくこと、は私にとって大事なのだ。

多様性って何だろう、と考えた時に、最近よくヨーロッパで謳われているダイバーシティーポリシーなるものについて考えてみた。よくいわれるのは、採用基準の話で、人種や性別でバイアスがかかった採用をしてはいけない、とか、同じ経歴で役職でも収入が違うとか。だから収入の差を埋めるとか、アファーマティブアクションとかクオータ制導入という話になってくる。でも私はそういう、数字で測れるようなものは真の多様性とは違うと思う。というのも、そうすると「白人男性ばっかりだとまずいから、黒人女性を一人入れておけ」みたいな話になってくるし、そうやって参加した「マイノリティー」は、たしかに目に見えるところでは「マイノリティー」かもしれないけれど、結局マジョリティーの「ような」人か、その環境でマジョリティーに染まるしかないからである。

日本社会でわかりやすい例でいうと、女性の社会進出!幹部の女性比率○%!と謳ってそれを数字の上で達成した会社があるとしても、結局出世する女性はマジョリティである男性の「ような」人である必要があったり(育児休暇をとらずに働くとか、男性的な態度や振る舞いをするという点で)、そうでなくてもマジョリティの行動規範に染まっていったりと、結局真の「多様性」には繋がらない。

真の多様性は、一人一人がそれぞれその人らしくいられる、長いものに巻かれたり、強い者に組み伏せられたり合わせたりする必要のない環境がある時に達成されるものだと思う。その人が思うこと、考えること、感じることを、周りとの「違い」を気にせずに、マジョリティーに合わせるプレッシャーを感じる必要なく、表現できれば、その環境は一人一人の「違い」を尊重してそれを活かしていける環境になれる。

ではそういう真に多様性のある環境には何があるのか、何が必要なのか?私は、「対話」と「相互理解」に尽きると考える。

先日、数年前に話を聞いてずっと気になっていた「はっぴーの家ろっけん」という一風変わった介護施設に伺って、施設の視察+ケアマネジャーの方とのインタビューのためのお時間をいただいた。詳しくはまた別にまとめようと思うけれど、ここで言いたいのは、
1)共同生活で他人と暮らす上で考え方や行動に違いがあるのは当たり前。トラブルも、個人のニーズのすり合わせが必要になってくるのも、理解し難いことがあるのも、当然のこと。
2)そこでルールをつくったり罰則を与えたり、あるいは「普通は」「一般的には」という言葉を使って他人の行動を管理したり変えようとしたりするのではなく、
3)とにかく話し合う。話し合うことで問題が解決するわけではないけれど、対話によって、新しい側面をみることができる。いろんな側面をみることで、他の人や問題に対する見方が変わってくる。
4)そうすることで、他人を変えようとすることなく、違いを「排除」することなく、それぞれがそれぞれのままで、共同生活ができる。

ルールをつくるのは簡単。力や圧力で人の行動を変えようとするのは手っ取り早い。対して、対話による相互理解は、手間も時間もめっちゃかかる。それでもそちらを選ぶのは、彼らの一番の優先事項が、主体的に自由に暮らせること、それぞれの意志と希望とニーズに沿った生き方ができることだから。

自由と多様性は表裏一体なのだ。


2022年12月19日月曜日

人との出会い

先学期初めて、ライデン大学法学部で成績トップの生徒だけが受けられる、Honours Collegeというプログラムの中のLaw, Gender, Race and Sexualityというコースを受け持った。私が普段受け持っている通常の講義は毎回50人を超える生徒がサインアップするのだけれど、Honours Collegeは少数精鋭という考えなのかその半数くらいがマックスだそうで、50ほどあった受講希望の中から26人ほどの生徒が参加した。

やはり少人数だと授業でできることの幅も広がる。講義もよりインタラクティブになったし、グループワークを課題にして各グループの研究発表を最後に企画したりした。そのおかげか、たくさんの生徒から嬉しい言葉、講義を始めた数年前の自分が聞いたら嘘かと思うような素晴らしいコメントをもらったりしたのだけれど、その中でも、生徒の一人がくれた、

Your lectures have changed my perspective on life and society, which I will take with me for the rest of my life. (先生の講義で社会や人生に対する視点が変わりました。今後の人生にずっと影響を与える講義になりました。)

というコメントを読んだ時には少し震えた。

そもそも私がアカデミアで仕事をしようか迷っていた時に決定的となったのが、今の上司であり私の博士時代の指導教官であったオランダ人教授との出逢いだった。私が学士時代オランダに留学した時に受けた「インドネシアの法と統治」や「法と文化」といった講義を受け持っていたのがその教授であった。その時に彼の講義を受けて学問は楽しいと実感したし、垣間見た彼の人間性は私の人生観にも影響を与えた。つまり、彼という教授が大学にいたことで、私の「人生が変わった」のだ。

振り返ってみると、私の人生の分岐点といえるようなところにあったのはいつも人との出逢いとその人たちから受けた感銘であった。小学校3年生の時担任だった先生。高校時代数週間きていた実習生。部活の顧問だった先生のアドバイス。上記の指導教官。他に友人や、本当に一度会っただけの人でも、彼らの言葉が今でも心に残っているものもある。こうやって挙げてみると教育者が多いことにも気がつく。色々な人との出会いが点となりそれが繋がって今の私がある。

学生を終え、娘を産み、この10年間、本当にがむしゃらに走ってきたけれど、そのおかげでなのか、世界中探してもこれ以上望むものは考えられないほどのポジションをもらえることになった。所謂、ドリーム・ジョブが、すとん、と、まるで当然そこにあるべきものように、私の手の中に落ちてきた。成長すること、学ぶことを貪欲にやってきたけれど、30代、これから10年は、もう少し、「私は他の人に何を与えられるのか」「どのようなポジティブな影響を与える存在になれるのか」ということにフォーカスをずらしていく時期かなと思う。それは学びとか知識の伝達という意味もだけれど、それだけじゃなく、人間的な、人格的な意味でも。私が今の上司に影響を受けたように。ただ彼が彼であることで、周りに良い影響を与える、人格者、あるいはもっとシンプルに、「善い人間」であること。

今ちょうど私の受け持つ講義がないタームで、充電中&次の講義に向けていろいろ構想を練っているところ。2月に始まる講義でも、生徒と、限られた時間で自分にできることを精一杯伝えたい、と、まだ会わぬ生徒たちに想いを馳せている。

2022年12月14日水曜日

逞しく育つ

 今日は、家族揃って何年も通っているイタリアンのお店にふらっと寄って夕飯を食べに行った。ご夫婦で経営されているレストランで、旦那さんがシェフ、奥さんがウエイターをされていて、子供の歳も私の娘と同い年なので手が空いているときには奥さんと話に花が咲くこともある。今日も、ふと奥さんと話になったのが、「子供たちを逞しく育てたい」という彼女の想い。私自身の研究テーマにも関連するのでその点でも興味深かったのだけれど、今の社会で子育て、子供にたいするアプローチは「守る」ことに徹底している。皆が、社会が、先生が、親が、「子供を守る」「安全な環境に」ということに必死だけれど、でもそれだけでは子供は強く育たないよね、という彼女。確かに、安全な鳥籠の中にずっと入れて保護しているだけでは、いざ大人になって自由になり自立してその籠から出ていくときに、自分で自分を守ることができないという状況に陥るかもしれない。

そんな話になったのも彼女自身が今娘さん(私の娘と同じ歳)への接し方で考えるものがあったからかもしれない。9歳、小学3年生になっている娘さん。仲のいい友達が最近遠くへ引っ越して転校してしまったり、今学校でいる友達で意地悪してくる子がいるとかで、泣いて学校に行きたくないという朝もあるらしい。私自身も小学校では軽いいじめにあったこともあったし、小学校くらいの年頃の女の子の友達関係ってなかなか複雑で難しくなってくる。子供たちも、親である私たちに辛いことを全て話しているわけじゃないと思う。一人で抱えてることもあるのだろうと感じる。そんな時にどうやって娘に接して、どれだけ守って話を聞いてアドバイスをしてでも子供たちを信じて・・・というのはたしかに親として悩むところなのかもしれない。

娘が痛い思いをしたり、辛い思いをしているのを見ると、私自身が切り刻まれるような気持ちになることもある。彼女の辛さや痛みを、できるだけ取り除いてあげたい、できるだけ経験してほしくない、と願う気持ちは当然ある。でも、それを排除しようとするのが真の親の役目だろうか?傷つけないように守って守って、安全な籠の中に入れておくことが、彼女たちにとって最善なのだろうか?「守るより、逞しく、強い子に育てたい」そう言うママさんの声には確信があり、目はまっすぐで、私も納得してしまった。賛同せずにはいられなかった。

シェフに呼ばれてパタパタと厨房に帰っていくママさんを見て、私の娘が「ママトークしてたの」と聞くので笑った。話してたことについてどう思った、と聞くと娘は「私は強いから大丈夫」と迷わず言う。少しびっくりして、そうか、○○は強いのか、それはどうやって育ったから強くなったと思う?と聞くと、また彼女は即答する。「それはママが強いからでしょ」。

ちょっと嬉しかったけれど、娘には弱いところもたーくさん見せてるので、そうか、○○はママが強いと思うのか、弱いところもあるけどね。さっき話してた強さがどんな強さかっていうと、「打たれ強さ」っていう意味でもあると思うんだよね。生きてたらいろんなことがあって、辛いこととか嫌なこともあるから、大人になってから一人でそれに立ち向かえるように練習しとかないとね。と言うと、娘は「うん。失敗しても辛くても諦めないってことでしょ。ママがそうでしょ。」と言ってのける。

ここで私は日本語では「打たれ強い」という言葉を選んだけれど、もともとは「Resilient」という言葉が浮かんでいた。転ばない、失敗しない、傷つかない強さじゃなくて、そこから立ち直る強さ。転びながら、立ち上がって、疲れたら休んで、学習しながら、前を向いて進んでいく強さ。だから今のうちに、たくさん転びなさい。たくさん失敗しなさい。たくさん傷ついておきなさい。私がいるから、安全なところに戻ってきなさい。傷が癒えたら、また前に進む勇気が出たら、またいろんなことを試して経験しに行きなさい。これも、そこに愛があるからこそなのです。汚れひとつない綺麗なドレスのままでいるより、転んで泥んこになるくらいの方が、人生楽しいかもしれない。



2022年11月18日金曜日

苦しい気持ち

ここ数年、10代の若者のメンタルサポートケアをLINEで行う団体のボランティアとして活動している。毎日何十人もの若者が助けを求め、何百通ものメッセージが団体に送られてくる。私が担当した子の一人に、父親から性的虐待を受けていた女の子がいる。初めて彼女とLINEで話したのは数年前だったか、その時は毎日のように死にたいとメッセージが来て、その度に彼女の気分がなんとかおさまるまで何時間も話に付き合うこともあった。父親がいる家に帰りたくなくて、寒い中ずっと外にいるという彼女になんとか安全な場所に移動してもらおうとやきもきしたことも何度もあった。

様々な自傷行為をしていた彼女、何度目かの自殺未遂で彼女は病院に送られそこから緊急入院することになった。入院中は携帯を触れないとのことでメッセージも途絶えたのだけれど、退院した時にメッセージをくれた頃には彼女はだいぶ落ち着いたようだった。入院期間にあたたかいサポートを受けて心も体も休息できたとのことで安心した。まだまだ苦しみは絶えないようだったけれど、通院してサポートを受けながら少しずつ前に進んで落ち着いてきているようだった。と思ったら最近音沙汰がなくなり。音沙汰なしで数ヶ月が経った数日前、また彼女から丁寧なメッセージが届いた。内容は、連絡ができてなくて申し訳ない気持ちだったこと、両親が離婚して家に父親がいなくなったこと、学校にはいけてないけど幸せを感じられていること。環境の変化はプラスの変化でもマイナスの変化でも大変な労力を使うことだけれど、父親が家にいなくなったことで環境は良くなったのだと思う。

少し話していると、彼女は、幸せだけど、すごく辛いし苦しいという。弱音を吐きたくなくて、迷惑をかけたくなくて、だから辛くて苦しい気持ちを自分で抱えこんでしまう。どんな気持ちになるのかと心に手をあてて聞いてみるように彼女にいうと、とにかく「死にたい」「苦しい」気持ちに翻弄されてしまうという。「死にたい」「苦しい」気持ちの奥には何か他の気持ちがあることが多い。それは不安だったり、怒りだったり、悲しみだったり、いろんな気持ちが隠れているのだけれど、その子の傷が深ければ深いほど、深いところにある気持ちに気づいてあげることは難しくなる。

でも辛い時にその気持ちを掘り下げて(または、人に話を聞いてもらうことで気持ちを掘り下げるのを助けてもらって)、自分の気持ちに気づいてそれを認めてあげることは、大変な癒しになる。

それから・・・他の誰かに、その気持ちを受け止めてもらうこと。辛かったね、怖かったね、不安だったね、と、認めて受け入れてもらうこと。その過程を経て苦しみは和らいでいくのだと思う。

私が自分自身の子育てで意識していることも同じ。娘が苦しい時や辛い時、ネガティブな感情を感じて表現している時には、そうだね嫌だったね、といって抱きしめる。それだけで、彼女の苦しさが昇華されるのが伝わってくる。

2022年11月14日月曜日

「良い人生」とは?

十年来の友人が関西に一ヶ月滞在している。

彼と初めて出逢ったのも関西。その時私は名古屋で勉強しながら1歳の娘を育てていたのだけれど、大学での活動や勉強に少し物足りなさを感じ、もう少し自由な議論ができる場所を求めていた頃だった。そんな時彼が友人たちと企画運営していたディスカッショングループを見つけ参加したのがきっかけだった。

そのディカッショングループでは時には哲学的、また別の時には政治的なトピックについて話し合いそういう議論が好きな仲間とも出逢えた。その中でもオーガナイザーであった彼は一際哲学的探求に熱心で好奇心に溢れている印象だった。

それから約9年。彼はその後イギリスで修士課程を終え、アメリカに渡りPhDを終え、その間台湾に短期滞在したり、日本に遊びに来たり、ヨーロッパに帰省(彼はポーランド系フランス人)したり。私は日本、インドネシア、オランダとお互いいろんな場所を行ったり来たりの生活だったのだけれど、なにかと連絡をとっては葉書を送りあったり、会えるタイミングを見つけてばオランダ、フランス、日本でちょくちょく会ったりしていた。でも、今のように数週間同じ場所に滞在するのは九年ぶり。(九年前も私は名古屋で彼は大阪だったから、その距離を考えると同じ場所に滞在するのは初めてかも)。

共通の趣味である山登りに行ったり、美術館を訪れたりとこの貴重な数週間を楽しんでいるのだけれど、その中でも一番嬉しいのが、また9年前のようなディスカッションを二人で何回かホストしていること。特に彼はこの9年間もいろんな場所でディスカッションをホストしていたので、経験も豊富。先週京都で行ったセッションでは、私のアイデアで、「良い人生とは何か」について話し合った。少人数制なので定員は10名なのだが、キャンセル待ちが出るくらいの盛況ぶり。

私はソクラテスの "Unexamined life is not worth living."「吟味されざる人生では生きる価値がない」という言葉から。彼が思いついたのはカミュの「シーシュポスの神話」。神々の怒りを買ってしまったシーシュポスは、大きな岩を山頂に押して運ぶという罰を受ける。彼は神々の言い付け通りに岩を運ぶのだが、山頂に運び終えたその瞬間に岩は転がり落ちてしまう。同じ動作を何度繰り返しても、結局は同じ結果にしかならない。というなんともいえない話なのだが、カミュはここで人生の不条理について、そしてそれにも関わらず生き続ける人間の姿を描いている。

「良い人生」について考えると「意味のある人生」とは、そしてその意味とは何かという問いにもぶつかる。私はディスカッションの初めに皆で意見交換をした時には個人の見解として「成長すること、理解しようと努めること、繋がりをもって深めること」が良い人生、意味のある人生だとシェアした。それぞれの参加者が十人十色の「意味」をシェアして、議論はいろんなところに派生していったのだけれど、一番難しいなと思った問いは、「意味」は個人一人で決められるものなのかということだ。

自分の人生の意味や価値は自分で決める、というのは一見正義であり真理であるかのように聞こえる。でも、それが真ならば、どんなに他人や社会にとって悪であり、疎まれ蔑まれ馬鹿にされるような人生であっても、本人自身が満足していればそれで「良い人生」「意味のある人生」であるということになる。また、人生の意味は本人が決めるものでありだからそれはどんなに些細なことでも意味になりえるということになる(例えば毎日歯を磨くことを人生の意味とすることも可能になる)。その人自身の人生なのだからそれでいいのではと思う反面、それではあまりにも独りよがりにならないかという気持ちも湧いてくる。


今回のディスカッションは友人がリードして、とてもうまくいった。さすが経験豊富な彼はリードもうまく充実した2時間だったと思う。さすがだね、と彼の技量を褒めると、練習すれば誰でもできると謙遜し、過去の経験で彼が失敗した時のことなんかをシェアしてくれる。そのイベントの翌日である今日、毎日のように他愛のないやりとりをしているメッセージの中で、彼が「一時的な思考だから無視してくれていいんだけど、僕は自分の苦しみに意味がないことに憤りを感じる。僕の苦しみに意味や理由があれば、それは耐えられるものになるのに。」という。

たぶん頭が良過ぎて、優し過ぎて繊細で、傷つきやすい彼は10代の頃からずっと精神的に苦しんできた(一般的に鬱と呼ばれるようなもの)。私自身も数年前に彼を傷つけてしまいそれから2年ほど連絡をとってなかった時期もあった(もう彼は絶交するつもりだったのかもしれないけれど、私から謝罪のメッセージを彼に送ってから、また友人関係が復活して今に至る)。自分自身の苦しみの意味のなさが憎い。意味があれば少しは耐えられるものになるのに。そういう彼の真意を慎重に汲み取ろうとしながら、理解しようとしてみる。

人生は不条理だ。苦しみも同じように不条理だ。その無意味(meaninglessness)の箱の中に生きる私たちは、それでも生き続ける。何度も同じように岩を転がしては元の場所に戻ってしまうことを繰り返すシーシュポスにとって、人生の意味はその岩を転がし続けることだった。意味は行為によって作られるものなのではないか。私たちは私たちなりに意味を「つくる」ことでこの「無意味」な人生を生きているのではないか。

彼は今週末まで関西にいて、毎日何かしら会ってご飯を食べたりまたディスカッションイベントをしたりする予定になっている。どんな他愛のない日常でも、少しでも意味を見出せたら、または意味を「つくる」ことの手助けができたなら、少しは彼のような優しい人の救いになるのだろうか。



2022年1月3日月曜日

コロナの上にも何年、いつのまにか新年

節目に、自分のブログを読み返す。自分の言葉に救われることがある。 
良本を読む。顔も知らない誰かの言葉に心癒される。 
映像が美しい映画をみる。その世界観に心洗われる。 
かけがえのない友人たちと年末年始を静かに過ごす。たわいもない事から、世界の時事、人生の課題まで、心ゆくまで話す。 
フランスの家族とクリスマスを過ごす。 
離れたところにいる日本の家族とは、スカイプで声を聞いたりラインで写真をシェアし合う。 ライデンにも、関西にも、帰る家がある。 
私の講義を楽しみにしてくれている生徒たちがいる。
 intellectually stimulatingな研究を共にできる同僚兼友人がいる。 
自分の能力を必要としてくれ、それを良い待遇で提示してくれる職場がある。
遠く他の国から会いに来てくれる友人がいて、 遠くても近くても足を運んで会いたい、話したいと思える友人がいる。
五体満足で健康で、フルマラソンに向けてのトレーニングができる。
大好きなテニスを通じて仲間ができる。 
血を、生活を、喜びと悲しみを、分かち合える、何よりも大事な娘がいる。 

また急足でざっと駆け抜けてしまったこの一、二年だけれど、振り返ると今私の周りには感謝すべきことがたくさんある。 
肩肘張って、目標に向かって邁進するのも私だけれど、たまにはこうやって立ち止まって振り返るのもいい。 
なんでも効率的にやりたい性分だけれど、時間をかけてひとつひとつのことを丁寧にしてみるのもいい。 
誰も読んでいないだろうブログを、自分の頭の中の整理と内省のために文字にしてみるのもいい。 
先々まで計画して企画してそれを実行・達成していくのもいいけど、こうやって行き当たりばったりに、徒然なるままに思いを書いてみるのもいい。 
考えることは好物だけれど、考えてもどうにもならないことを諦めてもいい。


 "Especially do not feign affection Neither be cynical about love; for in the face of all aridity and disenchantment it is as perennial as the grass." - Max Ehrmann 

"The unexamined life is not worth living." - Socrates

 2022年の抱負。 
繋がりを大事にする。 
たくさん書く。 
自分を信じる。

2020年12月28日月曜日

前を向く。

1、2ヶ月まえくらいから少しの間、大きな決断を迫られることがあった。

詳しくはここには書けないけれど、選択肢の1つは、日本の大学で、私の年齢やPhD取得後1年も経っていないことを考えると普通はあり得ないほどの良いポジションのオファーがあった。環境としても、日本の大学では他に比がないほど国際的で、私の興味分野にも合い、日本の大学で働くならここ以上にいい環境はないだろうと思うところだった。今の大学業界、特に社会科学分野、安定したポジションは世界中をみても本当に少なく、優秀な人であっても「運」がないとつけない。そんな今の状況のこの業界にいる人なら「喉から手が出るほど」ほしいポジションだと言われた。

そしてもう一つの選択肢は、オファーを受けずに、今私が取り組んでいる研究と講義をそのまま進めていくこと。難しい内容だけれど興味を持って取り組める研究をかなり自由にやらせてもらえ、でも講義や他の仕事もある程度責任をもって任されているという今の環境は自分ではかなり気に入っていた。それでもこのポジションは数年の契約なので、その後のポジションがどうなるかという確証はない。いわゆる「ポスドク」といわれる期間には、こういった短期のポジションをいくつか渡り歩きながら、安定したポジションを探すというのがセオリーで、安定したポジションが見つかればそっちをとるというのが普通の考え方だ。

どちらを選ぶかによって人生は大きく変わる決断だし、めちゃくちゃ考えて、悩んで、最後の最後まで悩んで、結局1つめの選択肢を選ぶことにした。「どう考えてもそっちを選ばない理由がない」と言われたし、自分でもそれはそうだと思った。

で、オファーを受けますと連絡してから、説明のしようのない気持ちに襲われた。今でも、それを「気持ちがついていかなった」としか言い表せず、なぜそんな気持ちになったのかよくわからない。でも、頭では受けよう、受けたい、と思っても、心がどうしようもなく逆らっていた。で、数時間後、「やっぱりできません」というメールを、その時に自分にできる最大限に正直な説明と、謝罪の言葉とともに、お送りした。

返事がギリギリになったことで迷惑をかけたことや、ひとつを選ぶことで手放さなければいけなかったものの重みもずっしりとのしかかり、わかっていたものの、うじうじと悩んだ時期がその後数週間あって。今は、やっぱりあの時自分の気持ちに従っていてよかったと思う。自分の今までの人生を振り返ってみると、向こうみずで、周りから見たら無鉄砲で馬鹿らしい選択でも、自分でも説明できなくても、自分が直感でこれでいいと思える選択肢の方をとってきたし、それで後悔したことはない。

自分で選んだこと、それは自分の頭や固定概念や理性やリスクを考えて計算して選んだという意味ではなく、自分の中にあるそういったものには影響を受けながらも、それでもそれらの枠の外で、少し離れたところで決断すること。そういうふうに選んだことならその道がどんなに険しくても不安でも大変でも頑張っていける、と、思う。それは、人がいうように「まだ若いから」なのか、「私らしい」生き方(これはまた別の人に言われた)なのか、わからないけれど。

ご縁も大切にしたい。自分がはじめたことは最後までやり通したい。自由は必要。でも安定も自由をうみだす。名声や世間体のようなものに惹かれる自分もいる。そんなに若くして未婚で子供を産んで、せっかく前途があったキャリアがもったいない、という人たちを見返したいという変な反骨精神みたいなのもあった(る)。でも結局は、そういうのは「残らない」ものなんだろうなと思った。

出産後に読んだこの記事。https://www.theatlantic.com/magazine/archive/2012/07/why-women-still-cant-have-it-all/309020/ 今回の決断で悩んでいた時にも読み返してみた。女性(母親)とキャリアについて書かれた記事で、長時間労働を強いられがちないわゆる「キャリアを積む」ということと、女性が母親であり子供と時間を過ごし「たい」と思うことがいかに矛盾しているかということが書かれている。

「キャリアを積む」ということは、「自分が楽しんでできる仕事を選びとっていける」という意味だと私は思っているけれど、世間一般的には「キャリア」とは名声や収入のある仕事に就くことと同意義で使われることが多い気がする。そしてよくよくみてみると、そういった名声のある仕事は、仕事以外の時間がなくなるほどの長時間労働だったり、ストレスの多い仕事であることが多いと思う。そのせいで比較的収入が多くても、時給にするとマクドナルドのバイト並み、というような話も聞く。そんな「キャリア」は、それで名声を得たとしても、それだけの価値のあることだろうか。ストレスにまみれ時間に追われ、本当の意味で「生きる」ことを疎かにしてしまわないだろうか。

娘が産まれてから、私の中の優先順位一番目は揺るぎなく疑いなく彼女で、彼女との時間で、彼女の成長を傍で見守りその過程を助けることだ。彼女との時間を大切にしたくて、多忙になる「キャリア」の階段を登らないことを選ぶのは、女性として、母親として、「キャリア」を犠牲にすることなのだろうか?

私は違うと思う。たしかに、「キャリア」というものを名声や収入など世間一般で使われるようなものとして捉えると、子供との時間を優先して昇進などを断るのは「キャリアを犠牲に」しているということになるのかもしれない。でも、私はそういった一般常識や固定概念のようなものとは離れたところで自分にとっての人生や楽しさを見出したい。そして、私にとっての「キャリア」とは、自分が楽しんでできて、自分と娘を養っていけるだけの収入が手に入り、やりがいはあるけれど自由で、仕事にのまれてしまわないほどに時間が確保できる。そんな仕事であり、それはたぶん、世間一般にハイキャリアと呼ばれるものとは別物な気がする。そういう仕事をつきつめていった結果、いわゆるハイキャリアと呼ばれるようなものに行き着くことはあるかもしれないけれど。

今年、私は、2人もの友人を亡くした。一人は今年の初めごろ、胃癌だった。50歳で亡くなった友人は、タバコはやらない人だし、3人のまだ幼い子供と奥さんを残して逝かなければならなかった。もう一人も50代で、白血病と類似する病気だったという。彼らと会って話ができること、彼らへ送ったメッセージに返事が来ること。そういう当たり前に思っていたことが、ある日突然できなくなってしまうこと、そして彼らがこの世界にいないということが自分の世界が変わってしまうような自分の存在感を揺るがすような出来事であっても、それでも世間は、世界は何もなかったようにいつも通り続いていくこと。

だから生きているということは奇跡で、「生き残る」ためだけに使うよりも、きちんと「生き」たい。

ここ数ヶ月、ジムへ行くまでの道でよくBIG ISSUE(ホームレスの自立支援のための雑誌)を購入する。450円の雑誌を1冊売る毎に、販売員の方には200円程が収入になる仕組みらしい。私がお釣りはいいですと500円玉を渡すと、「大切に使わせてもらいます」という返事が返ってくる。そのBIG ISSUEの最新号に、作家の西加奈子のインタビューが載っていた。「選ぶということは選ばなかった方を捨てるというふうに考えがちだけれど、本当は、選ばなかったほうに支えられるということもある」。正確な文言は覚えていないけれど、そんな趣旨のインタビューだった。

そう、だから、とにかく、前を向く。楽しく過ごせる方法を探し、見つけ、創造し実行していく。自分の周りに溢れている美しいものを愛でる。多くを望まない。けれど妥協はしない。

2021年の抱負。
(1) 前を向く。晴れの日は晴れを愛し、雨の日も雨を愛す。
(2) 美しいものに触れ、自由と感性を大切にする。
(3) 自分の理想を描いていく。楽しいことを創り、実行していく。

2020年1月8日水曜日

遠距離の人間関係、と、時間

私が所属している研究機関には世界各国をまたぐ形で生活をしている人が多い。

例えば、ウガンダの難民キャンプでフィールドワークをしているオランダ人の同僚は彼女がドイツ人で今コンゴで人道支援に関わっている。私自身もその一人で、日本人としてオランダで働きながらインドネシアでフィールドワーク、娘の家族は日本とフランスにいる。

今日、そのオランダ人の同僚を含め数人と、コンゴにいる彼女と過ごしたクリスマス休暇や次にコンゴで会う計画やらの話になった。私自身遠距離恋愛をしてきたこともあり、私の遠距離恋愛のルールは、3ヶ月に1度は会うようにすること。それはその期間パートナーが「恋しい」とかその人がいなくて「寂しい」という気持ちがあるうちはいいのだが、それ以上になるとその人がいないことに「慣れて」しまうから。

そんな話をしていると、お隣の機関のポルトガル人の同僚が「3ヶ月でも長いよ。特に遠距離恋愛でもヨーロッパ内にいるなら、1ヶ月に1回は会わないと。僕はパートナーがロンドンにいて1ヶ月に1回は会ってたけどそれでも続かなかった。去年の末に別れを告げられたよ。」と話に入ってきた。詳しく聞いてみると、そのパートナーとは2年間付き合って、1年間以上はライデンとロンドンの遠距離だったわけだが、結局彼が仕事でライデンに移ったことが、パートナーにとっては「置いて行かれた」と感じられ、うまくいかなかったという。彼自身は、オランダで家も買い、いつでもパートナーに来てもらい共に生活をしていくつもりはあったという。

「とにかく、たくさん会ったほうがいい。結局最後にあるのは時間だけなんだから。」と彼は言う。

実際に彼が言った言葉をそのまま書くと、「In the end we only have time」となるのだが、考えてみると面白い。時間はただ過ぎ去ってしまうだけで、手元には残らない、という意味で彼の言葉は逆説的だ。時間を「使う」ことで手元に残るのは思い出や記憶。時間を仕事などに使うことで地位や名誉を得ることも、結局は自分の脳が認識できる「記憶」となるに過ぎない。

でも人生とは究極的には自分の身体と時間の2つでできているのかもしれない。だから、私たちが本質的な意味で「持っている」のはその2つだけなのだ。そして時間は残らず、戻らない。だからこそ大切に真剣に考えて使っていくべきものであり、仕事や生活に追われて考える暇もなく時間が過ぎていくのは、あまりにも勿体無い。

2020年1月6日月曜日

帰路にて

今回の日本滞在は娘と日本の繋がりという意味で実りの多いものだった。

オランダでは、2019年に始めた進研ゼミの教材などでひらがなやカタカナを頑張ってやりながらも、学校でのオランダ語の読み書きとも重なりどうしても日本語は彼女にとって優先順位が低くなっていた。2021年ごろに一年間日本の小学校に「留学」させようと企んでいることもあり、今回の日本滞在で何かきっかけになることがあれば、と思い、家族にも日本語を徹底してもらうようにして私抜きで(私がいると英語にスイッチしてしまうので)それぞれ家族と過ごしてもらう時間もかなりつくった。

3週間の滞在が終わり、帰路に着く空港で、私の目をまっすぐ見て、何を言うのかと思ったら、いつも私には英語で話し日本語で話すのを面倒がる娘が、少したどたどしい日本語で、「わたし日本語はなすのがんばる。」と言うのだ。それだけでも胸がいっぱいになりながら、なぜそう思ったのか聞くと、「まこちゃんとばあば大好きだから、いっぱいお話したいから。」とまた日本語で答える。

空港まで来てくれた家族に見送られる時は泣かなかった彼女が、飛行機の中に入ってひと段落すると私の膝の上に顔を伏せる。私に甘えるような形で、でも私に見られないように、泣いている。どうしたのと聞いても大丈夫、という。どうした、泣いてもいいよ、というとばあばとまこちゃんがいないのが寂しいとぼろぼろ涙をこぼす。彼女の気持ちを思うと、そして日本での安穏日々とオランダでの忙しく厳しい生活のコントラストを思うと、私も泣けてくる。今までもフランスの家族と日本の家族とも別れる時はこういうことがあり、その時は、また次会えるから、とかスカイプしよう、とかいう慰めをしていたように思う。でも今回は、私も彼女と同じ気持ちだったからか、こんな言葉が出た。
「なんで悲しいかわかる?それは、まこちゃんとばあばのことが大好きだからだよ。大好きだから離れると悲しいし寂しいけど、そうやって大好きな人がいることはすごくいいことだよ。」



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飛行機の中では遠藤周作の沈黙を読んだ。キリスト教の話ということで、宗教にあまり個人的思い入れのない私は入り込みにくいかな、と思ってあまり期待せず読んだのだが、さすがの作家...宗教関係なく繋がるテーマが散りばめられており、すごく印象深い本となった。表題の通り、沈黙、日本において信徒がむごむごしく迫害される中で救いの手を差し伸べないキリスト教の神の沈黙、というのが核心的なテーマとなってくるのだけれど、最後には、それも神の愛のひとつだという結びになる。つまり、「愛とは、苦しみや悲しみを取り除くことではなく、それを共に感じ共有することである」と。




日本で家族のいるところでぬくぬくした休暇を過ごした後は、オランダに帰って彼女と二人の暮らしに戻ることへのとてつもない不安と孤独に襲われる。フランスでの休暇から彼女が戻ってきて、ある意味気楽な一人の時間から彼女と二人の生活に戻る時も、似たような不安を感じる。それはもちろん一人だと不安だから、という風に説明もできるのだけれど、掘り下げていくとそこにはプレッシャーや責任といったものが出てくる。娘のことが大事で大切で仕方がなくて、その尊いものを一人で守る責任の重さに胸がつぶれそうになるのだ。守るというのは生命や健康を守るという基本的なところはもちろん、彼女が産まれる時に私が彼女にした「彼女を幸せにする」という約束を守ることでもあった。幸せにするというのは今だけじゃなくて、将来のことも含めてなので、今私がしていることもしくはしていないことで、何か彼女を傷つけてしまい将来の幸せにダメージを与えていたらどうしよう、と、常に怯えながら彼女を育てていたように思う。

実は去年、彼女との関係をもっと良くしたいと思ってゲシュタルトセラピーというセラピーを何度か受けた。そこでその話題になり、その時の先生に、「子どもを幸せにする、っていうのはあまりにも難しい約束だ。幸せにする、っていうのは無理な約束だから、ただ愛する、ということで十分だよ。」と言われたことは目から鱗だった。

人生、苦しいことも悲しいことも山ほどある。人を愛するなら、必然的に辛さや悲しさもついてくる。誰かを愛すれば、その人を何らかの形で失う痛みを受け入れる形で生きていくことになる。例えば私は今年85歳になる祖父のことを昔から慕っている分、小さい頃から今までずっと、彼を失う恐怖と生きてきた。特に最近は高齢になり会うたびに弱っていくのをみながら、もしかしたら会うのはこれで最後かもしれないと覚悟をしながら毎年別れる。でもだからといって、彼を愛するのを止めるなんてことはできないししたくない。

そうやって生身の心をもつあたたかい人間として生きるためには、苦しみや悲しみはつきものであり、愛とは、その人が悲しみ苦しんでいる時に側にいて共有することなのだと。去年のセラピーでなんとなく感じ、頭でわかっていたことが、飛行機での会話で実感し、沈黙を読んだことで言語化されはっきりと輪郭をもった。

私自身も強がりでなかなか自分の中の脆い部分を認められないところがあるけれど、寂しい時は寂しいし、不安な時は不安だ。「強い者が弱い者よりも苦しまなかったというわけではないのだから、強い者も弱い者もないのかもしれない。」これも沈黙の中で印象に残った一節である。 

つまり、こういうことなのかもしれない。強さも弱さもないのだから、苦しみや悲しみはただそれに寄り添えばいい、それが唯一可能な愛の形なのだから。

2020年1月1日水曜日

2019年の振り返りと2020年の抱負

今年は、いつもに増してあっという間に過ぎた年だった。

忙しかった、というか、まっすぐ前を見て進み、充実した年だったからかもしれない。
  
集中して取り組んだもののひとつは、博士論文。夏以降の数ヶ月は仕上げに費やし、仕上がったものが今reading committeeの手にある。トラブルが起こらなければ2020年春にはディフェンス(口頭試問を兼ねた学位授与式)ができるはず。

ふたつめは、一からつくりあげた講義。日本の法と社会という新しいコースのための資金を集めた同僚が重い病気になってしまい、彼の代わりにそのコースの設計から講義まで担当してくれないか、と2月頃に打診されたのが始まりだった。私の専門はインドネシア法や人権法で、日本法は専門外、それにコースを一からとなるとかなりの時間を費やすことになるので博士論文の仕上げと両立していけるのか、と今思えば懸念要素もたくさんあった。けれど、その時はビックリされてしまうほどすぐに、「やります」と答えていたように思う。

そうやって「専門外」としてはじめたコースだったけれど、コースのラーニング・オブジェクティブ、トピックを考え、文献を探し、読み込み、選び、シラバスをつくっていく中で、なんとなく「しっくり」くる感覚を覚えた。

というのも、今まではたぶん日本人としてライデンで「インドネシア法」を研究することに対して感じていたほんの少しの違和感があったのだと思う。インドネシア法の研究は楽しいし、インドネシアという国も好きだし、インドネシア研究をする同僚は好きだし、インドネシア法を研究するならライデンは最適な環境なのだけれど、「なぜ自分でなければいけないなのか」という理由は見当たらなかった。インドネシア研究をしているインドネシア人もオランダ人も周りにたくさんいて、その中でそれに加えてなぜ私なのだろうと、心のどこかでひっかかりを感じていたのだと思う。それに比べて、日本法、特に日本の法と社会をオランダで教えられるのは、本当に数人しかいない。それに、オランダで日本の法と社会を教えたい、という志半ばで病気になってしまった同僚の思いを前進させられるのは私しかいなかった。

だからそれが降ってきたもの、使命みたいなものに感じたし、そういったものに取り組むのもしっくりきた。私は、「こうやってキャリアを積んで、こういった方向に進んで・・・」と計画してガツガツと達成していくよりも、与えられたことを全うしている人の方が、美しいと感じる。そういう意味で欲のない人が好きだし、自分もそういう風に生きたいと思う。

結局そのコースには55人(定員人数50人を超える大盛況・・・)の生徒が集まり、12回の講義が終わる頃には生徒全員の顔、名前や特徴がわかるくらい生徒ときちんと向き合えたと思う。課題も多くかなりdemandingなコースだったと思うのだけれどドロップアウトする生徒も少なかった。

今年を振り返ると、他には、
今まで数年借りていた家を買うことになり(職場の人や娘の父親にもかなり協力・相談させてもらった・・・ありがたい)。
次のポジションも決まり(新しい研究をかなり自由にさせてもらえるのと、今までの講義の担当を継続する)。
そうだ、テニスも本格的に再開して、トーナメントなどにも15年ぶりに出場した。その繋がりで、仕事・大学以外にも人間関係が広がった。

娘への愛は、フランスの家族と日本の家族と共にあたためた。愛し愛されることができる子に育っていること。健康であること。それが一番大事で、それさえあれば他は要らないと思う。他の彼女が優しく賢い子に育っていることなどは、すごく幸運なことであると、ありがたく思う。彼女と、そして彼女に愛情を注ぐ人たちと、一緒に人生を歩めていること以上の幸せはないと思う。

そんなところで振り返りは終わりにして、2020年の抱負。
1)堂々とする。

今、自信がないかあるかといえばあると思う。自信があっても、謙虚でありたいという思いが邪魔してか、それを進んで外にみせるようなことには抵抗があった。でも、自信をもつことは過信や傲慢とは違うし、堂々とすることもまた、傲慢になるのとは違う。自分の能力や価値、自分の考え、行動、生き方に堂々としていればいい。そして堂々とできるように、自分にとっての価値に忠実に生きる。自分が信じていることを信じていい。でも頑なに頑固になるのとは違って、異なる意見、他の人の意見には必ず真剣に耳を傾けてオープンではあり続けたい。

自分にとって価値に忠実に生きる、とは他人の価値ではなく自分のとって価値のあることに拘ることでもある。ここ数年ではっきりと気づいたのだけれど、娘を産んでからかな、それから今まで私は「証明する」ことにかなりのエネルギーを費やしてきた。「若くして産んだから」とか「未婚の母だから」とかいう理由でごちゃごちゃ言われたり偏見を持たれたりすることを(勝手に)恐れて、「それでも」経済的に自立してやっていける、キャリアも積める、諦めなくていいし、子どももきちんと育つ、と、周りの人に「証明」したかったし、そのために肩肘はって頑張ってきた。そういった努力が悪かったとも、無駄だったとも思わない。むしろ今までは必要だったのかなとも思うし、そうやって努力し続けることができて結果も出せた自分と、そしてそれについてきてくれた娘は誇らしく思う。でもそうやって何かを「証明する」ために費やしたきたエネルギーを、これから「自分にとって価値のあることのため」に使ったら、もっと楽しく、もっとポジティブな生き方ができるんじゃないだろうか。

2)他人にポジティブな影響を与えられることをする。

そうやって自分の価値に忠実に、楽しく、ポジティブな生き方は、自己中心的な生き方なのだろうか?堂々と自分の道を進むことは、自分を中心に生きることであっても、他人を顧みない気にかけない自己中心的な生き方とは違う。自分のために、自分の価値のためにする何かが、他人にポジティブな影響を与えていればすごくいい。そして自分の価値に忠実に気持ち良く生きている人は、周りにもポジティブな影響を与えることになると思う。自分が楽しくないと、本当の意味で他人に良い影響を与えることはできない。自分を幸せにできない人は、他人も幸せにできない。関わる人に、なんらかの形でポジティブな影響を与えられるようにしたい。それは優しさをもって接することだったりとか、目の前にいる生徒に新しい視点を魅せることだったりとか、偽りなく素直に人に気持ちを伝えることだったりとか。それはやる気のない生徒でも、やる気のある生徒でも、不機嫌そうな通りすがりの人でも、同僚でも、友達でも、愛する人でも、家族でも、同じこと。それは全ての人に対して同じように接するということではなく、どんな形の接点でも関わりでも、相手が発するものがネガティブでもポジティブでも、私から他人へ発するものは、ネガティブよりもポジティブなものでありたい、ということ。そしてそういう形で目の前の人を大切にすることで、人を大切に、縁を大切にすることにも繋がるはず。

3)頭じゃなくて、心や直観で決める。
 
仕事柄もあり、頭を中心に生きることが癖になっているのだけれど、人生の中心を少し心におろしてこようと思う。もっと心や直観を使って生きる、そして大切な決断をする。心で生きるために頭を使う。

2019年1月2日水曜日

2019年の抱負



「書く」ということの力はすごい。

毎年、年の節目には次の一年の抱負をここに書くことに決めている。大概次に抱負を書く1年後には何を書いたかぼんやりとしか覚えていないのだけれど、1年を振り返りながらその抱負を見返してみると、そういえばできていたな、というふうに感じるものが多い。

1年前に書いた抱負3つ。
1)自分の内面に目を向けること。
2)感をすること。
3)自然体でいること

自分の内面に目を向けることで、自分の限界もなんとなくわかるようになったけれど、そうすることで逆に自分にできることとできていることも見えるようになった。そして、自信がついた。母として、研究者として、講師として、生徒として、女として。我武者羅に走って来た道を、振り返ってみたら、いつの間にか結構なところまで来ていたーそんなに焦らなくても目標にたどり着けそうだ、という、私自身が山登りをしていてよくある状況。自信がついた、というか、自分の力を認められるようになったら、仕事をする上でも「背伸びをしている」という感覚がなくなった。自然体で、等身大で、仕事をしていると、リラックスして仕事をできるようになり、そうすると今まで以上に成果を出せるようになった。周りの多くの人からも認められるようになった。こうしてするすると縄がほどけていくように、自信の循環が生まれた。


だから2019年の目標は次の3つにしようと思う。

1)アウトプットすること。
今までたくさん調べ、読んで、考え、あたためてきた自分の研究。ここ3年はインプットの部分が多かったけれど、今年(PhD最後の年!)はアウトプットを意識した年にする。アウトプットといっても書いたり発表したりというのは今までもやってきたけれど、そういった過程でだんだんとはっきりとしてきた自分の考えを、より多くの人に、アカデミアだけじゃなくていろんな業界の人に、積極的に発信していく。人に伝えようとすることで自分の考えがクリアになっていくように、発信を意識して制作に取り組むことで作るものの質もあがると思う。それは自分の取り組んでいることがそれぞれ他の人にとってどういうふうに役立つのか、どのような価値を生み出せるのか、ということを意識してアウトプットすることだから。

2)丁寧に生きること。
いつだったか、友人に「いつも走ってるイメージがある」と言われたことがある。中高時代の友人だから、昔からそうなのだろう。たしかにそれはそうで、走り続けられることは大きな強みでもあるし、娘が産まれてからのここ数年は走り続ける他になかったのかもしれないとも思う。でも歩調をゆるめることで見えてくる景色もあるわけで。一度にいろんなことをしようとするよりも、目の前のこと、もの、ひとに心を注ぐこと。いろんなことを考えて「心ここにあらず」になってしまうよりも、自分の五感が感じることに目を向けてみること。仕事でどうしても頭ばかり使いがちなので、その他の生活分野ではでは体を意識した活動をしてバランスをとりたい。あと、これは「自分のやりたいことをする」という目標にも関係するのだけれど、それは、頭でこねくりまわして考えるよりも、体を意識して直観を信じる方が、「自分のやりたいこと」に近づけると思うから。大学との今の契約もあと1年ちょい。PhD後のことも考えたり人と話したりし始めている時期。自分が信じる道、自分がやりたいことにはっきりと気づいてあげるのが大切が時期でもある。

3)気持ちよく頼れるようになること。
私は昔から人に頼るのが得意ではない。人を助けたり役に立ったりするのは楽に自然にできるのだけれど。でも、人の助けを借りずに生きてきたかというと、そういうわけでは全くない。毎年のことなのだけれど、去年も、本当に人に助けられて支えられて生きていることをひしひしと実感した。ただ、それでも頼るのが苦手というのは、助けてもらうとなんだか悪い気がしてしまうということだ。だから信頼できる周りの人に助けてもらっても、心から「本当にありがとう、嬉しい!」という気持ちでは感謝できていないと思う。どちらかというと、「迷惑かけて申し訳ない、ありがとうね」という感じ。助けを求めることもなかなかできずに限界まで自分一人でなんとかしようとしたり。だから、たまに人に頼ること助けを借りることが上手だな、と思う人をみると、いいな、すごいな、と感じる。そういう人は、人に甘えておんぶに抱っこしてもらっているというわけではなく、助けを求める相手を「助けてもらっている」とみるのではなく「協力者」にしてしまう才能がある。そういう風に頼みごとをして接して感謝すれば、私自身も相手も気持ちよい良い「協力関係」が築けるのではないだろうか。





2018年4月25日水曜日

節目


娘が5歳になった。

5歳になったからといって何かが劇的に変わるわけではないのだけれど、母親としてはやはり感慨深く、節目を迎えたような気持ちだった。

同時に、私も母親として5歳になった。

今まで女性として、自分という人間として27年間生きてきたけれど、母親としての私はその体に生命が宿ると同時に産まれる。


私は一人でこの子を育てていくと決めてから、ずっと一人で責任を負って育ててきたような気分だったけれど、そう、孤独を感じた時もあったし一人で担う責任の重さに怖くなったりでも一人の分楽なこともあったり誇りに思ったり。

でも、最近それは違ったんだなあと気づいた。娘は私以外のいろんな人いろんなものいろんな環境に育てられてきたんだな、と。

それに気づくのは大きな出来事があってとかではなく、ほんとうに何気ない日常のワンシーンだったりする。例えば、仕事が終わって保育園に迎えにいくと扉から見えた、娘が先生と横に並んで座って文字を書いているシーンだったり。娘の誕生日会で友達と諍いがあって泣く彼女を「ここは私に任せて」といって友人がなだめ役をかってくれたシーンだったり。

今日は、娘のことを普段からよくみてくれている先生が、「今日はね彼女が男の子の人形と女の子の人形で遊んでいて、他の子が、『はパパが2人いるんでしょ』と言ったのに対して、彼女は『私のパパは1人だけ。他の人はパパじゃなくて、ママの友達だよ』と答えていてなんだか感心したんです。ちゃんとよくわかっているし、そのことがもうストンと腑におちて納得しているというか。ネガティブな感情とかもなしに。」そうなんですよね、子供はそういう点で柔軟ですよね、私の方がまだ、彼とお別れすることになったことについて彼女に対して罪悪感を感じていたり、周りのジャッジメントが怖かったりするんですよね。なんて少し弱音を吐いていると、先生は「でも彼女は守られて安心して成長しているのがわかる子ですよ。周りの意見なんて気にしなくていい、あなたと彼女の人生なんだから。」と。ああ、一生懸命生きていれば、何も言わなくても、無理にわかってもらおうとしなくても、こうやって見ていてくれる人がいるのだと、こうやって、私の知らない間に娘はいろんな人に育てられてきてこれからも私の知らないところでいろんなことを学び育っていくんだな、と。


5歳になった母親の私も、ひとつの節目。

何が何でも私が守らなければ、と常にガチガチに防御を固めて守ってきた私と娘の安全地帯。絶対に私が彼女を幸せにしなければ、と責任を全部背負って肩肘はって進んできた道のり。

その守りを少し緩めるのは、全て私が背負わなくても、常に守りの状態にいなくても、なんとかなる、と、 周りの人や人生に対する信頼をするということ。



家の庭にあった鉢植え。冬の間は生命の気配なんてこれっぽちもなかったのだけれど、急に暖かくなった先週にひょこっと新しい芽が生えてきていた。娘と一緒に喜んだ。美しくて、強くて、この先が楽しみだ。
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2018年3月25日日曜日

信念

人間って複合的に物事を見ることはできないので、日常的に何かを経験したり解釈したり感じたり判断したりするということは、常に虫眼鏡を通して世界を見ているようなものなの。そして私の頭の中には2つの虫眼鏡がある。

1)ひとつは自分の内側をみる虫眼鏡。

2)もうひとつは外側から自分をみる虫眼鏡。

1)の自分は今の生活を結構気に入っている。素晴らしい娘を授かり彼女の母親であることがこの上なく幸せで、満たされている。おしゃれしたり贅沢したりすることはないけれど、全ては事足りていて服装も生活スタイルもシンプルなもの。このシンプルさがなんだか自分たちにフィットするような感覚で心地がいい。

でも、2)の自分はスティグマとか世間体とかに悩まされている。周りに認められたい、どこかに属したい、馴染みたいと思っている。一人で、若くして母親になり、アジア人で、女性。民族的にも、性別も、今住んでいるヨーロッパの国ではいわゆる被差別分類に属する。それに加えて若くしてシングルマザーでPhDやってます、なんていう私は、この男性社会、白人社会のアカデミアではパワーレスな存在。スティグマ、といってしまうと大げさに聞こえるかもしれないけれど、結局は同じこと。女だから、アジア人だから、とかいう括りでラベルを貼られ相対的に下の方に置かれ軽んじられてしまうことは、残念ながらあると思う。

人間は、他人との関係性の中に生きることを避けては通れないので、2)の視点やその視点から生み出される苦しみや悩みなんていうのは、かなり切実なもの。だから多くの人は世間体を整えようと必死になったり、周りの人に認められるような仕事についたり、「きちんとした」服装をしたり、ある程度の年齢になったら結婚したり出産したりすることに精を出す。

でも、これには3つ問題点がある。

1つめは、2)の視点は自分自身が創り出した幻想でしかないということ。私はいろいろなラベルを貼られて下の方に置かれてしまう、なんて書いたけれど、それは現実ではない。正確にいうと、それが現実であるという保証はない。2)はあくまでも自分が外側から自分を見ている視点であり、それが周りの視点と一致しているとは限らないーむしろ、一致していない可能性の方が圧倒的に大きいのだ。

2つめの問題点は、2)で見る「外側からの視点」は無限に多様であること。100コミュニティーがあれば100の違った見方感じ方があるし、その中の1つのコミュニティの中に100人いればまた100の違った見方がある。つまりあなたが同じことをしていても、良いように見て賞賛する人(やコミュニティ)もいれば悪いように見て批判中傷する人もいるのだ。上記の、他人との関係性という意味でいうと自分と他人との関係性は無数にあり、その関係性次第であなたの行動や人となりの見え方も無数に多様であるということ。

最後に3つめは、その無数にある関係性の中で、一番大事なのは自分自身との関係性であるということ。考えてみると、2)で外側から見ている自分も、結局自分の視点なのだ。

周りにいる同僚や上司、友人や知り合いでも、1)の自分の内側を見る視点を軸にして生きている人は(本当にごくごく少数しかいないのだけれど)素敵だな、と思う。

私にとって1)を軸に生きるとはどういうことかと考えると、結局は信念ということろに行き着く。信念とは、私はこうやって生きる、という決断と覚悟のこと。失敗しながらでも、転びながらでも立ち上がって這いずりながらでもカッコ悪くても前に進むこと。誰が何を言おうと批判されようと私が正しいと思う道をまっすぐに進むこと。それが私にとっての強さである、と信じること。そして2)に揺らがされることのないくらい確固たる1)をもつー自分の内側にある幸せと充実感を思う存分に楽しみ味わう。私にとって本質的に生きるとはこういうこと。

2018年3月11日日曜日

中盤地点

こちらでの4年契約のPhDも2年間が過ぎ、ちょうど中盤地点。
この2年間、いろんな困難やチャンスが次々と舞い降りてきて(ふりかかってきて?)、めまぐるしく、エッまだこれで半分なのか、と意外な感覚だ。
きっと、仕事や研究の面だけでなく、人との関係や自分自身についてもそれだけたくさんのことを学んできたということなのだろう。

最近感じていたのは、自分自身が思っていた以上にambitious、上昇志向だったということ。
成長欲や学習欲が人一倍高い。
もちろんこれは強みであり、だからこそこうやって異国の地で子連れでPhDという仕事を始め続けていられるのだけれど、最近この自分の「癖」を少し見直したいなと思っている。
というのも、盲信的に上を上をと目指しているのでは、せっかく今見られる景色を急ぎ足で通り過ぎているようなものだと気付いたからだ。
目標点を基準にそこへ行くまでの道程ばかりに気をとられていては、「今の等身大の自分」に満足することができなくなってしまう。
それに、進んでいく過程で目標点自体が更に上へ、更に先へと動いてくので、そこへ向かって歩く道程もきりがなくなってしまう。
マラソンをしていた時もそうだったけれど、あと何キロ、今で何分の1、とか考えていると、気が遠くなることがある。
そういう時は、前や周りのランナーをみるのをやめ、自分の足元を見て、一歩一歩左右交互に出ている足を見つめて走った。
それと同じように、PhDも、こちらでの生活も、目標を見据えながらも今を大切に、足元をみて一歩一歩を踏みしめていく、ということを意識している。
PhD1年目に書いた、「この4年間で達成したい目標」とやらを引っ張りだしてきた。1つづつ検討して更新していく。

1)教えられるようになる。(オランダ語で・・・はちょっとambitious過ぎる気がするので、とりあえず英語で・・・)
→一応、もう教えられるようになっている。来月もまた講義の機会があるし、今年もできるだけ講義は積極的にしていこうと思っているので、目標は、「質の高い講義ができるようになる」に更新。

2)今同僚と進めているプロジェクトで期待以上の成果をだす。
→論文は一本仕上がったので、これは1つの成果。なかなか満足のいく質の論文が出せたと思う。プロジェクト自体は、ワークショップも2つ企画実施してこれもまた成果。・・・なのだけれど、その成果を本にして出版するという計画が、せっかく資金調達も成功して準備は整っているのに、インドネシアのカウンターパートと共同で進めているため進行速度が亀のように遅い・・・。でもこれはインドネシアのカウンターパートを含めたプロジェクトには避けて通れない道だそうなので、これも経験と思って辛抱強くあまり焦らずできることをしていこうと思う。遅れに遅れている本出版の計画、今年中にはなんとかまとまるといいな・・・。

3)インドネシア語で”operate”できるようになる。(インタビューを含めて、プロジェクト運営とかもインドネシア語でできるように)
→これが5つの目標の中で一番できていない。予想外だったのが、英語(academic writing)もオランダ語もフランス語もやっぱりやらないといけないんじゃないかと思ってレッスンをとったり練習したりして時間と労力を割いてきたこと。インドネシア語はもちろんフィールドワークの半年間でかなり上達したけれど、まだ怪しいので、自信を持ってオペレートできるようになるまでコツコツ練習しよう・・・。

4)Academic Englishは、他の人の書いたものを読んでフィードバックできるまでになる。
→これももうある程度できるようになった。書くことは好きだし、これからも活かしていきたいのでacademic writingとかcreative writingのスキルは磨いていきたい。これも、質のいい文章を書けるようになるように。

5)もちろん、論文を期限通りに仕上げる。(4年間で仕上げた人は、ほぼいないそうだけれど・・・)
→これも今のところは良いペースできている・・・はず。
 
あと1つ追加したいのが、オランダ語とフランス語・・・。オランダ語は直近のニーズ(娘のオランダ語についていく・・・とまではいかなくても理解してあげられるようになりたい)があるし、オランダ語もフランス語もPhDが終わってからヨーロッパで仕事を探すならある程度の基準にまでもっていっておいた方がオプションが広がる。といってもむこう2年間の優先事項にはできないし隙間時間でできることにも限りがあるので、日々の生活の中でチャンスを最大限に活かして(フランスに行く時とか、オランダ語については娘の本や街中の看板などから単語を拾ったり)、いざチャンスがあったときに短期間(半年以下)で集中的に学んでワーキングレベルまでもっていけるようにしておきたい。
 
 

2018年1月3日水曜日

ゆくとしと来る年

2017年はかなり慌ただしく、混沌とした1年だった。

バリに出発する2週間前に娘の病気のことがわかり、ヨーロッパから持って行く薬の確保や税関対策、現地での病院の確保などなど家族や同僚と連携プレーでなんとか出発した。

フィールドワークは結果的にうまくいったのだけれど、根を詰めすぎたせいか途中であやうくバーンアウトになる直前までいった。おそらく疲労で1週間話せない・食べられなくなるくらいの人生最悪の口内炎ができたり・・・。結果は出たけれどかなりインテンスでストレスフルなフィールドワークだった。

オランダに帰ってきてからも、学会にでたり論文を仕上げたり教えたり・・・と仕事が休まることのない中、新しく借りた家にうつり、娘はオランダの現地校に通い始め、それをできるだけサポートしようと私もオランダ語を(数年のオランダ生活を経てついに)習い始め・・・。

そしてこんなところで書くのはかっこ悪いかもしれないけれど、年の始めから1年くらいお付き合いしていた彼とも年末にお別れすることになってしまった。混沌とした1年間、娘を含めて私たちを受け入れてくれ、サポートしてくれた彼だったのだけれど、オランダに帰ってきてから私が借りた小さな家に実質的に3人で住むことになったのが急すぎたのだと思う。娘もかなり懐いていたので、私たちが別れることで必然的に彼女にも影響が出ることがとても辛かった。「普通」の生活、家庭を彼女に与えてあげられないことが、すごく情けなく、悔しかった。

占いなんて普段は気にしないのだけれど、毎年元旦にお参りにいく神社ではおみくじをひく。今年のおみくじには「辛いことや苦しいこと時期があっても、それは神が与えた試練であり、自己の行為を反省し、心をみがき、誠心をつくして、家庭を守り仕事を大切にすれば、新しい道が開ける」というようなことが書いてあり、なんだか見透かされたような気分になった。

私も一人の人間。常にいっぱいいっぱいで頑張り続けることはできない。子育てをしていても、人間関係でも、仕事でも間違いはするしまだ未熟なところも多いけれどそれでもいい。そして、2018年はもう少し穏やかな年にしたい・・・。

今年の目標は、
1)自分の内面に目を向けること。
自分の限界を知ること。責任感や義務感にとらわれて忘れてしまいがちな、自分の感情や体調に耳を傾けてやること。日常生活の小さいことから大きなゴールのレベルまで、「自分がやりたいこと」を意識すること。

2)感謝をすること。
「ないもの」や「失ったもの」ではなく、「今あるもの」「今もっているもの」に目を向けて精一杯尽くし感謝する。それは過去を振り返ったり、後悔の念にとらわれたりしてしまいがちな時に、「今」に集中し「今」を精一杯生きることでもある。例えば、今の私にはいわゆる「普通」の生活や日本でのぬくぬくとした家族との生活はないけれど、自分で選びとった道を行っているし、オランダで不自由ながらも精一杯やりたいことをやっている。周りの人たちも、足らないところや不満があるところにはある程度目をつぶり、良いところ尊敬できるところにフォーカスして感謝をしたい。

3)自然体でいること。
強がったり、大丈夫できてますというふりをするのではなく、弱い自分も、できないかっこわるい自分も、人に見せるのを恐れない。弱っている時は弱くてもいいし、できないことがあってもそれでいい。背伸びしたような感じで始めたPhDももうすぐ2年(半分)が過ぎるので、そろそろ背伸びはやめ。自分の実力をつける努力は怠らず、でも自分の力が足りない部分はそのまま見せていい。それができるのはこの2年で同僚や友達とのある程度の信頼関係(自然体でいても、受け入れてもらえるという)が築けたからなんだと思う。

2017年12月30日土曜日

なぜ私は茨の道を行くことを選ぶのだろう

皆が歩いている舗装された道を行けばいいじゃないか

敷かれたレールを辿ればいいだけではないか

普通に、良い大学を出て、人気の会社に入って、

普通に、自分の慣れた土地で、昔からの友達と付き合い、家族と支え合いながら、

普通に、良い人をみつけ、結婚して、その人の子供を産み、育て、その土地の学校に入れ、

普通に、入った会社で定年まで働いて、子供を大きく育て、孫を授かり、老後を平和に過ごせばいいじゃないか。

そういった選択をしてきたら、どれだけ楽だっただろう。

なぜ私は、人が通らぬ、厳しい道を、選んで通るのだろう。

思いもよらない、自分ではどうにもならないことが起こることも、人生だからある。私の人生にもあったし、そのアクシデントのせいで厳しい道を通らざるをえなくなったという事もできる。

でもそのアクシデントに際して、容易な道ではなく、あえて厳しい道を選んだは、私だったのだ。

1人で育てる、という道を選んだのは、私だった。

経済的に自立しながら勉強も続ける、という道を選んだのは、私だった。

日本に残るという選択肢もあったのに、あえてオランダ行きに挑戦したのは、私だった。

子供の父親とやり直す機会もあったのに、それを選ばず、自分の納得できる関係を築きたいと苦しみながら道を模索している

自分が決断したことだから、

自分の行動と選択に責任をもって、

と自分に言い聞かせるのだけれど

弱音をはきたくなる時も

普通の道を行っていればどんなに楽だったろうと思う時も

辛い時も孤独な時もある

子供にも普通の人生を送らせてあげられないことを悔しく、情けなく思う時もある

幸い、幸せに賢く強く優しく溌剌と育ってくれている娘がそばにいる。

でも、弱気になっている時は不安になる。今はよくても、この先、普通じゃない人生を送らせたツケが来るのではないか。彼女の人生に、何かしらの悪い影響が及ぶのではないか。

道なき道を行く私には、答えがない。

彼女を幸せにできているのだろうか?この道これから、私は歩き続けていられるのだろうか?

答えは出ず、他の人の助言をできる限り集めながら、躓きながら、疲れた時は立ち止まりながら、後ろを振り返り来た道を時折懐疑的に眺めながら、

私は歩き続ける。

2017年6月14日水曜日

ひずみ

インドネシアに来てから、いや、準備期間の間から、フィールドワークで成果をあげるという目的を果たすことに必死で、自分の体や心のニーズに耳を傾けることをおろそかにしていた。フィールドワークを初めて3ヶ月経った今、その結果としてひずみがでてきている。だから、書くということの力を少し借りてみようと思う。

いろんなことが一度におこっている。大きな渦も、小さな渦も、たくさんの渦が合わさって、飲まれそうになる。自分の立ち位置や行先が、見えにくくなる。

決めたことだから、大丈夫、あと⚪︎ヶ月だから、大丈夫、頑張れる、私がしっかり立って娘を守らなければ、と自分に言い聞かせながら、やってきたのだけれど、数日前、前に進みたくても足が動かなくなってしまった。

頑張りすぎないように、というのは、ここに来る前も来てからも、たくさんの人に言われたことだったのに、頑張りすぎない、というのは、私はどうもとても苦手なことのようだ。

「頑張りすぎないって、どうすればいいんですか?」と聞く私に、

「自分を褒めてあげること。よくやってる、頑張ってる、と、自分に言ってあげること。」という答えが帰ってくる。

 フィールドワークが体力的にも精神的にもかなり大変なプロセスだというのは、前から聞いていて覚悟していた。きっと忙しいんだろうな、とか、言語とか文化の理解に苦労するかな、とか思っていたけれど、一番大変なのは、いろいろなことが起こる「渦」に巻き込まれて、客観性を失うということかもしれない。

なぜ、私が今、ここにいて、がむしゃらにインフォーマントを探して、インタビューをして、ということを続けているのか。

目的を見失わないように、自分の日々の活動を大きな視点でみるようにしよう。

目の前の日々の小さな幸せには、目を逸らさないまま。

夜のうちに落ちたまだ新鮮な花たちを、朝家から出てひとつひとつ拾い集めるように。

常連になってしまった近所のカフェで、おいしいコーヒーを一杯、丁寧に味わうように。






2017年5月27日土曜日

母の日






フランス式では、明日が母の日。


バリでフランスの学校に行っている娘は、1週間ほど前から何やら学校で母の日のための準備をしているらしい。

You know mommy, I have a present for you on fete de maman! And it is a SURPRISE!
「そうなんだ(笑)What is the present then?
「えーっと・・・its a SURPRISE!
「(笑)Is it a flower?
No! It is a SURPRISE!

というようなやりとりを1週間ほどして、金曜日に学校から持って帰って来たのは綺麗にルミネートされた彼女の写真・手形にフランス語の詩が貼ってあった。

Maman, quand tu es en colère,
Je t’aime de travers
Maman, quand tu t’en vas,
Je t’aime couci-couça
Maman, quand tu es de bonne humeur,
Je t’aime de tout mon cœur
Maman, quand tu me cajoles,
Je t’aime sans parole
Maman, quand je te dis ce poème,
Comprends tu combien je t’aime ?
Bonne fete de maman!

簡単に翻訳要約すると、どんな時でもママが大好きだよ、ということを伝える詩。

帰りの車の中で、その詩を見て娘が暗唱し始めた。学校でみんなと何回も練習して覚えたのだという。完璧に暗唱し終わった後、英語に翻訳までしてくれた。

彼女がこれほどの詩を暗唱できるなんて思っていなかった私にとって、予想外のプレゼント。

母になってよかったなあ、と思う瞬間のひとつだった。





1年ほどかけて準備をしてきたフィールドワークを始めて約3ヶ月、中盤戦。

特にこっちにフィールドワークに来てからは毎日必死で生きている感覚なのだけれど、毎日必ず娘と一緒にいられる幸せを噛み締めている。

最初は、娘をヨーロッパに残し一人でしようと思っていたフィールドワーク。その方が住む場所を転々とすることもなく彼女にとって良いと思っていた。

でも、連れて行きなさいという指導教官の一言で決断することができた、娘と二人でフィールドワークに来ること。

ただでさえ不安だらけだった出発2週間前に、娘にホルモンの異常があり普通の健康状態ではないこととすぐに毎日の治療が必要なことがわかったこと。

皆が混乱する中で、きっと心配でたまらなかっただろう娘の家族も、私の決断を信じて「行くな」とは言わないでいてくれたこと。

同僚たちも、薬や注射の針を持ち運ぶのに必要な書類の作成にこぞって協力してくれたり、指導教官は心から心配して知り合いの専門家のお医者様と特別にアポイントメントをとってそれに同行して一緒に話を聞いてくれた。

もちろん、リスクを考えて、フィールドワークを中止あるいは延期することも考えた。そしてやっぱり娘をヨーロッパに置いていくことも。

でも、予定通り行くことに決めたのは、本当にいろんな人の協力のおかげである程度の安全な環境を築いてあげることが可能だと判断したこと、そして私のことを信頼し決断を任せてくれ、それをサポートしてくれる周りの人のおかげだった。





こちらに来てからまずすぐにバリで一番という評判の病院に行き、娘の安全のための必要事項を確認したにも関わらずそれがうまく全体に伝わっておらず病院が信頼できなかったり、同時に始めた研究がなかなか思う通りにいかずヤキモキしたり、時間と約束を守らないこちらの文化にがっかりしたり、 綺麗にしていてもネズミがでた棚を開けるたびに怖かったり、自分のインドネシア語がもっとできればと思うことがあったり、車を運転する度に命知らずで運転しているバイクたちに神経をすり減らされたり・・・と文句をあげればきりがないけれど。

でも、娘が学校でもすぐ友達をつくり毎日楽しく行ってくれて、たまに風邪をひいたり熱をだしたりしながらもまあ健康でいてくれて、気候や食事にもうまく順応してくれ、最初はそこらじゅうにいるトカゲ(ヤモリ?)などを怖がっていた娘が最近では触れるようになっていたり・・・。

幸運にも隣近所のお家にも同じくらいの年齢の子供がいて、私が朝寝ている間に隣に勝手にお邪魔して朝ごはんを一緒に食べているくらい仲良くなっていたり。

私の研究も、思うように進まなかった最初の1〜1.5ヶ月を過ぎたら、その間に用意していたクモの巣に獲物がひっかかってくるように、ポロポロと結果が得られたり。研究を手伝ってくれているアシスタントも、楽しんで研究を一緒にしてくれている。

こちらでかなりの人数から選んだ1人のナニーも、辛抱強くコミュニケーションをした結果今では彼女と娘を2人で残して夕方にインタビューに出かけることも安心してできるくらいに信頼できるようになった。



もちろんまだまだ課題や文句はたくさんある(インドネシア語がもっとできたらな、研究で頭がいっぱいの生活じゃなくて娘と向き合って楽しむ時間をつくらないとな、蚊にさされるのもデング熱が怖いわ、やっぱりみんないつも遅れてくる文化は私には合わないな約束は守ってくれよ、反対車線で猛スピードで突っ込んでくる車とかバイクとかは死にたいの?)けど、そういうのは二の次。



娘と一緒にいるのが当たり前で、助けてくれる夫や家族が近くにいるのが当たり前な家庭もあるのだろうけれど。

私はこうやってある意味特殊な道を選び、それでもこうやって娘と二人でいられるというシンプルな幸せが、本当に幸せ。

普通の道では決してない道だけれど、自分で選んだ道だから、何があっても進んでいける。


2016年12月31日土曜日

2016年の終わりと2017年の始まり





2016年は走り続けた年だった。


2−3年のうちに挑戦できたらいいかな、と思っていたようなポジションが気づいたら自分の手の中にあり、背伸びをしているような感覚で始めたライデンでのPhD。

背伸びをしながら、信頼して雇ってくれた上司や支えてくれた同僚の期待に応えられるように、と9ヶ月がむしゃらに走って研究をした。

そうしているうちに、周りの同僚からも少しづつ、認められているのがわかる。

一番感謝している指導教官(上司)から、「1年弱でこんなに発展したPhDは見た事がないし、その発展のプロセスに貢献できて幸せだ。この冬休みは、仕事をしないで、ゆっくり骨を休めなさい。」とあたたかいメールをもらい、今は一度、少しだけ立ち止まってみる時なのかなと思う。

また走り出すことのことを考えると立ち止まってしまうのは怖いけれど、今は娘というかけがえのない存在があって、自分の体も心も自分だけのものではないから、この3週間の休みは足と心を休める努力をしよう。

来年も、インドネシアでのフィールドワークがあったり、慌ただしく変化の多い年になる。 だからこそ、軸を決めて安定させられるところはさせたい。

2017年の目標

1)減らすこと。選択と集中。
たくさんのことを同時にしようとするのではなく、意識して選択して選んだものに集中する。しっかりした土壌作りをするには近道はないし、時間がかかるから、自分が選んだところを時間とエネルギーを費やして耕していきたい。それは研究もそうだけれど、人間関係も。

2)ぶれない。揺れない。
ぶれない軸をもつには、自分のことをもっと理解する必要がある。自分が好きなこと嫌いなこと、妥協できるところ受け入れられないところ、ほしいもの要らないもの、心地よいこと不快なもの、大事なものそこまで大事でないもの。そういうものの区別をして、些細なことには影響されないように。

3)日々の小さな幸せを噛みしめて感謝する。 
娘はもう3歳8ヶ月だけれど、一瞬の間に大きくなったような感覚だし、これからもこういう成長の速度は変わらないのだと思う。彼女ともそうだけれど、他の大切な人たちとも、今の瞬間を共にできるのは今しかないから、一緒に食べるごはんとか、毎日のお風呂の時間とか、絵本の時間、一つ一つ、丁寧に、大事にする。

Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever. (Mahatma Gandhi)
来年もいろんなところを転々とする予定ですが、大切な人は大切にして関係を紡いでいけますように。