2022年12月14日水曜日

逞しく育つ

 今日は、家族揃って何年も通っているイタリアンのお店にふらっと寄って夕飯を食べに行った。ご夫婦で経営されているレストランで、旦那さんがシェフ、奥さんがウエイターをされていて、子供の歳も私の娘と同い年なので手が空いているときには奥さんと話に花が咲くこともある。今日も、ふと奥さんと話になったのが、「子供たちを逞しく育てたい」という彼女の想い。私自身の研究テーマにも関連するのでその点でも興味深かったのだけれど、今の社会で子育て、子供にたいするアプローチは「守る」ことに徹底している。皆が、社会が、先生が、親が、「子供を守る」「安全な環境に」ということに必死だけれど、でもそれだけでは子供は強く育たないよね、という彼女。確かに、安全な鳥籠の中にずっと入れて保護しているだけでは、いざ大人になって自由になり自立してその籠から出ていくときに、自分で自分を守ることができないという状況に陥るかもしれない。

そんな話になったのも彼女自身が今娘さん(私の娘と同じ歳)への接し方で考えるものがあったからかもしれない。9歳、小学3年生になっている娘さん。仲のいい友達が最近遠くへ引っ越して転校してしまったり、今学校でいる友達で意地悪してくる子がいるとかで、泣いて学校に行きたくないという朝もあるらしい。私自身も小学校では軽いいじめにあったこともあったし、小学校くらいの年頃の女の子の友達関係ってなかなか複雑で難しくなってくる。子供たちも、親である私たちに辛いことを全て話しているわけじゃないと思う。一人で抱えてることもあるのだろうと感じる。そんな時にどうやって娘に接して、どれだけ守って話を聞いてアドバイスをしてでも子供たちを信じて・・・というのはたしかに親として悩むところなのかもしれない。

娘が痛い思いをしたり、辛い思いをしているのを見ると、私自身が切り刻まれるような気持ちになることもある。彼女の辛さや痛みを、できるだけ取り除いてあげたい、できるだけ経験してほしくない、と願う気持ちは当然ある。でも、それを排除しようとするのが真の親の役目だろうか?傷つけないように守って守って、安全な籠の中に入れておくことが、彼女たちにとって最善なのだろうか?「守るより、逞しく、強い子に育てたい」そう言うママさんの声には確信があり、目はまっすぐで、私も納得してしまった。賛同せずにはいられなかった。

シェフに呼ばれてパタパタと厨房に帰っていくママさんを見て、私の娘が「ママトークしてたの」と聞くので笑った。話してたことについてどう思った、と聞くと娘は「私は強いから大丈夫」と迷わず言う。少しびっくりして、そうか、○○は強いのか、それはどうやって育ったから強くなったと思う?と聞くと、また彼女は即答する。「それはママが強いからでしょ」。

ちょっと嬉しかったけれど、娘には弱いところもたーくさん見せてるので、そうか、○○はママが強いと思うのか、弱いところもあるけどね。さっき話してた強さがどんな強さかっていうと、「打たれ強さ」っていう意味でもあると思うんだよね。生きてたらいろんなことがあって、辛いこととか嫌なこともあるから、大人になってから一人でそれに立ち向かえるように練習しとかないとね。と言うと、娘は「うん。失敗しても辛くても諦めないってことでしょ。ママがそうでしょ。」と言ってのける。

ここで私は日本語では「打たれ強い」という言葉を選んだけれど、もともとは「Resilient」という言葉が浮かんでいた。転ばない、失敗しない、傷つかない強さじゃなくて、そこから立ち直る強さ。転びながら、立ち上がって、疲れたら休んで、学習しながら、前を向いて進んでいく強さ。だから今のうちに、たくさん転びなさい。たくさん失敗しなさい。たくさん傷ついておきなさい。私がいるから、安全なところに戻ってきなさい。傷が癒えたら、また前に進む勇気が出たら、またいろんなことを試して経験しに行きなさい。これも、そこに愛があるからこそなのです。汚れひとつない綺麗なドレスのままでいるより、転んで泥んこになるくらいの方が、人生楽しいかもしれない。



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