娘が5歳になった。
5歳になったからといって何かが劇的に変わるわけではないのだけれど、母親としてはやはり感慨深く、節目を迎えたような気持ちだった。
同時に、私も母親として5歳になった。
今まで女性として、自分という人間として27年間生きてきたけれど、母親としての私はその体に生命が宿ると同時に産まれる。
私は一人でこの子を育てていくと決めてから、ずっと一人で責任を負って育ててきたような気分だったけれど、そう、孤独を感じた時もあったし一人で担う責任の重さに怖くなったりでも一人の分楽なこともあったり誇りに思ったり。
でも、最近それは違ったんだなあと気づいた。娘は私以外のいろんな人いろんなものいろんな環境に育てられてきたんだな、と。
それに気づくのは大きな出来事があってとかではなく、ほんとうに何気ない日常のワンシーンだったりする。例えば、仕事が終わって保育園に迎えにいくと扉から見えた、娘が先生と横に並んで座って文字を書いているシーンだったり。娘の誕生日会で友達と諍いがあって泣く彼女を「ここは私に任せて」といって友人がなだめ役をかってくれたシーンだったり。
今日は、娘のことを普段からよくみてくれている先生が、「今日はね彼女が男の子の人形と女の子の人形で遊んでいて、他の子が、『⚪︎⚪︎はパパが2人いるんでしょ』と言ったのに対して、彼女は『私のパパは1人だけ。他の人はパパじゃなくて、ママの友達だよ』と答えていてなんだか感心したんです。ちゃんとよくわかっているし、そのことがもうストンと腑におちて納得しているというか。ネガティブな感情とかもなしに。」そうなんですよね、子供はそういう点で柔軟ですよね、私の方がまだ、彼とお別れすることになったことについて彼女に対して罪悪感を感じていたり、周りのジャッジメントが怖かったりするんですよね。なんて少し弱音を吐いていると、先生は「でも彼女は守られて安心して成長しているのがわかる子ですよ。周りの意見なんて気にしなくていい、あなたと彼女の人生なんだから。」と。ああ、一生懸命生きていれば、何も言わなくても、無理にわかってもらおうとしなくても、こうやって見ていてくれる人がいるのだと、こうやって、私の知らない間に娘はいろんな人に育てられてきてこれからも私の知らないところでいろんなことを学び育っていくんだな、と。
5歳になった母親の私も、ひとつの節目。
何が何でも私が守らなければ、と常にガチガチに防御を固めて守ってきた私と娘の安全地帯。絶対に私が彼女を幸せにしなければ、と責任を全部背負って肩肘はって進んできた道のり。
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