2016年8月24日水曜日

まっすぐ生きること


最近の出来事。教会で娘と散歩していた時に、「娘さんと、教会をバックに、写真を撮らせてくれませんか?」と頼まれ、いいですよと軽く引き受けた。
一緒にいた友人が曇った表情を見せたので、
You think that I trust people too easily?」と聞いてみる。
すると、「You’re always honest and sincere, so you think that other people are also like that.」と言われる。
疑うことを知らない、というような純情で無垢なわけじゃないと思う。
世の中には人を騙そうとする人や嘘をつく人、そして他人を傷つける人もいることも、承知しているつもりだ。
もしかしたらこの人は嘘をついているのかもしれないな、悪意や裏があるのかもしれないな、という思いがよぎることもよくある。
でもそういう思いがよぎった時に、私は直感的に「それでも信じてみる」ことを選んでいるのだと思う。
それは、裏切られて傷つくリスクをとってでも、人を信じられるような人生を生きていきたいからなのだと思う。

「まっすぐ生きすぎる」「体当たりで行きすぎる」
そんなクリティカルな意見を受けることもたまにある。
遠回しな表現とか、根回しをするとか、所謂diplomaticなコミュニケーションは好きじゃないし、得意でもないのだけれど、あまりにまっすぐすぎる態度や表現は、人をひるませたり困らせたり最悪の場合傷つけたりすることもあるのかもれしれない。

2016年8月5日金曜日

「頑張る」癖とプレッシャー

最近、人間関係で悩んでいたことを妹と母に相談すると(LINEには私の家族のグループチャットがある)、妹に「お姉ちゃんがなんでも頑張るのはすごいことだけど、それを相手にも求めるのは酷」だと言われた。たしかに、そういわれてみると思い当たることはいくつか・・・。共同研究をしていても、 大抵私は計画通りに進め、期限に十分間に合うように仕上げていく。それなりの結果が求められている時はそれに集中するし、目標に向かって努力もする。だからマラソンとか、努力すればその結果がみえるものが好きだったりする。

けれど、それがチームワークとなると、私一人が頑張っていてもだめだ。中高時代にやっていたテニスのダブルスを思い出す。私はどちらかというとシングルス向きで、自分自身もシングルスの方が気が楽で好きだったけれど、もちろんダブルスをする必要がある時もあった。そんな時は、パートナーのことを理解して、彼女の弱みと強みを知り、彼女の弱みをカバーしそして強みを活かせるようにと応援しながら試行錯誤したのを覚えている。

最近の例でいうと同僚と一緒に学術記事を書いていた時、その同僚が書くことが苦手で(知識はとっても豊富なのだけれど)できる限り後回しにすることを知っていたので、私は自分のパートを仕上げつつ、「今日はここまで進んだよ。どう思う?」と逐一報告して、彼女が書くのをencourageしているつもりだった。決して「なんで書かないの?」とか「私がやってるんだからあなたもやってよ」と言ったりはしなかったけれど、もしかしたらそういうものは態度で感じ取るものなのかもしれない。私が「頑張る」こと自体が相手にプレッシャーを与えることになる・・・のか?

そういう私の姿を「inspiring」といってくれる人もいる。励まされた、とか、モチベートされたとか、鼓舞されたとか。でもそれは私と「チーム」じゃない人が外から私を見て言ってくれているだけだ。それならプレッシャーなんて、関係ないから。
私の「頑張る」癖をやめる必要はないと思うけれど、同じ「チーム」にいる人にプレッシャーを与えないような頑張り方って、あるのだろうか。

付き合っていた人に、「君についていけるほど僕は強くなれなかった」と言われたことがある。友人の日本人男性からも、「君のライフスタイルは、日本人の男性の理解の範囲を超えてるんじゃない?一人で子供育てて、そのうえ外国で働いたり。」と言われたり。友達にも、“You’re the strongest woman I have as a friend.” “After I met you I told my friend how strong you are. PhD is hard, and being a single mother is hard, but you're facing them both and managing so well.”(あんまり、"manage"できている感覚はないのだけれど・・・)なんてことをよく言われる。私に本当の強さがあるなら、それを「チーム」内の人を支えるためのものにできればいいのにな・・・。

テニスに夢中だった頃に何回も何回も読んだ「エースを狙え!」の最後の巻(もしくは最後から2巻目)で、海沿いに立っているお蝶夫人を見守る男性(名前思い出せないけど、お蝶夫人に想いをよせている人)が涙を流しているのを見て、お蝶夫人が「なぜ泣いているのですか?」と聞く。男性は、「あなたの強さが悲しいのです」と答える。その時はよく意味がわからなかったシーンだったのだけれど、今はちょっとわかる気がする。

2016年8月4日木曜日

"The right one"

ジャカルタは渋滞がひどい。

私が今滞在しているのはジャカルタの南の方の地区なのだけれど、一度夜にセンターに出かけた時なんて、たったの8キロだったのにタクシーで1時間かかった。「これなら歩いた方が早かったかも」なんて友達と言いながら。

前にも書いたけれど、こういう国の「酷い」交通事情は、私はそれほど嫌いじゃない。というのも、交通機関の中で「空き時間」ができ、いろいろと普段は考える時間のないことに想いを巡らせたり、タクシーの運転手さんと話したり、誰かと一緒なら「進まんね」とか言いながらのんびりと話ができるから。

ライデンの同じ研究機関で働いている同僚を通じて最近知り合ったばかりのPさんが、私たちを車で送り届けてくれた時もそうだった。車に揺られながら、なぜかPさんが2年前に真剣に付き合っていた人の話になった。結婚間近の関係だったそうなのだが、別れてしまったのだという。「何が起こったの?」と聞くと、「Maybe I was not ready for the distant relationship. Maybe I was not ready for such a commitment.」詳しい事情は知らないけれど、その後Pさんは複数の浅い関係を繰り返し、2年前の彼女と戻りたくても彼女にはもうその気はないという。「So you think she was the right one.」と聞くと、苦笑いをしながらyesという。励ますつもりも特になかったのだけれど、私の口からは「But it doesn't necessarily mean that there is only one right one.」という言葉が滑り出ていた。


知り合いの男の人(20代後半〜30代前半)の人で最近こういう話をよく聞く。「コミットメント」をする準備ができなくて、彼女と別れ、その後やっぱり彼女が「the right one」だったと気づくが、彼女の方はもう前に進んでいて、手遅れでしかない。でも、私はthe right one」は世界に一人というわけじゃないと思うし、the right one」とはthe one of the right timing」でもあると思っている。どんなに相性がよくても、タイミングが合わなければうまくいかないこともある。人と人との関係を育てていくためには、もちろん改善したり維持していく努力も不可欠だけれども、どれだけうまくいかせたいと思ってもうまくいかない時もある。そういう時は、静かにとまって、流れに身を任せるのがいい。

「(二年前の元)彼女から返信がこない」と苦い顔をしているPを見ながら、そんなことを思っていた。


2016年7月29日金曜日

距離と捉えかた

バリ。夕日にほんのり染まる空。8月に行われる大会に向けてみなが凧揚げに精を出している。


娘をフランスにいる家族に預けて、3週間半のフィールドワークに来ている。

今の正直な気持ちは、「遠い。長い。」

娘は大好きなパパやその家族と一緒にいるし、保育園もなし、いい環境で甘やかしてもらえて基本的に楽しい時間を過ごしているのだけれど・・・

1週間に1回くらい、なかなかよく眠れない夜があるらしく、そんな時は「ママ〜。ママ〜。」と泣いて私を求めるという。

それを聞くたびに、私自身がだんだん不安定になっていくのがわかる。

子供を預けて仕事に来ている罪悪感、とはちょっと違う。仕事に来ているのは娘も理解できているし、これは必要なことで、こうやって柔軟にフィールドワークに来られる環境にあることはとってもありがたく思っている。

ただ、「会って抱きしめてあげたい、安心させてあげたい。」と思う気持ちと、それができない距離の狭間で葛藤しているせいで不安定になっているのだと思う。

普段は「ママはインドネシアにお仕事行ってくるからね。帰ってくるまで、パパたちと一緒にいるんだよ。」と言うと「う〜ん、わかった〜。」と不服そうながらにも承知する娘が、私が出発する前日の夜には「ママ、行かないで〜。」「ママと一緒にいたいもん〜。」「ママ大好きだもん・・・。」と、止めていた感情が溢れ出たようにずっと泣きながら繰り返す彼女を見た時は、真剣に渡航を中止しようかと考えた。
こちらに来てから苦しかった時に、インドネシア人の同僚(彼女は2人の子供をインドネシアにおいて、半年ほどオランダで一人で研究していた)に相談すると、「わかるよ。私も最初の1ヶ月は毎日泣いてた。友達に話を聞いてもらったり、仕事に没頭したりして、なんとかしてた。それに、子供は、実は親が思ってるよりも強いよ。」と言われた。

本当に、これで研究に集中できずにフィールドワークでできる全てをやって帰らなかったら、彼女と離れているこの期間の意味までなくなってしまう。

それに、一人の時だからこそ自分の為にできることもたくさんある。

オランダに来てからなかなか時間がとれていなかった体づくり(水泳と長距離走)や、ずっと読みたかった本、じっくりと友達と出かけて話をする時間、 自分の頭の中を整理して文字にすること。


"Parting from people we love is never easy and it always feels like an act of violence - even when it's temporary. But occasional separation is inevitable and it can make us more conscious of the loved ones and their role in our life."
(「愛する人と離れることは、例えそれが一時的であっても、決して簡単なことではなく、暴力の一種のように感じられる。でもたまに離れることは避けられないことであり、それは愛する人のことそして自分の人生の中で愛する人たちがどのような役割を担っているのかということを意識できる機会にもなる。」)

そういえば、飛行機の中でみた映画(「人生の約束」というタイトルの邦画)で印象的だった台詞の一つが、「失くしてから気づくことばっかりやな、人生は。」というのがあった。

「失くす」というのは些か大袈裟だが、確かに一度「失くす」経験は、そのものの大切さを教えてくれる貴重な機会にもなる。そして気づいた瞬間から、それを精一杯大切にする努力を、していくきっかけにもなる。

こうやって愛する人たちがいて、その人たちも私を大切にしてくれ、日々が過ぎていく。普通に過ごしていても、それは決して普通で当たり前なことじゃないから、一日一日を大切にしていきたい。

2016年7月25日月曜日

庭の手入れと基礎づくり

泊めてもらっていた家の庭。

バリでは2週間、知人の家に泊めてもらっていた。なかなか眠れなかったパリからのフライトで疲れていた初日、広いベッドで思う存分寝かせてくれ、次の日の朝ごはんにお粥(インドネシアではbuburといい、朝ごはんとしてはかなりメジャー。揚げた玉ねぎや、鶏肉、鶏肉からとったスープなどと混ぜて食べる。)を出してくれた時には本当に心も身体も温まった。「ああ私の身体はこれを欲してたんだなあ」というのがよくわかった。
その知人というのは、オランダ人でインドネシアの歴史を研究してきた女性。彼女はバリ人の男性と結婚しバリにもう数十年住んでいる。これからバリが研究をしていくフィールドになるのだけれど、今回バリが初めてだった私に、バリの慣習(アダットadatという)を見せてくれ、毎晩質問する私に説明してくれた。たまたま重なった私の誕生日には、美しいビーチに連れて行ってくれ、冷たいビールを飲み、それから彼女の家族お気に入りの日本料理店に連れて行ってくれた。久しぶりに納豆と、えび天丼、ほうれん草のおひたしなどを食べた。

バリでの最後の日、何かお礼がしたくて、彼女の家の大きな庭の手入れを手伝わせてもらった。彼女の庭の土は雨が降るとすぐに固まってしまうらしく、定期的に肥料と混ぜて土を柔らかくする必要があるそうだ。木や植物の根っこを傷つけないように気をつけながらシャベルで庭の土をほぐし、買ってきた肥料と混ぜ、またほぐして整えていく。ジリジリと照りつける太陽の下で、汗だくになりながら、カエルとか赤いアリと戦いながら、黙々とする作業は、なんだか心地よかった。作業をしながら、こういう基礎作りをするための作業を私はちゃんとしてきているだろうか、と疑問に思った。私は、目標を決めてそれに向かって速く、速くと足を進めていく方で、「生き急いでいる」と言われたこともあった。それは私が努力をする原動力になっているわけだけれど、はやくあそこにたどり着きたい、と思うばかりに寄り道をしたり、足元をみながら一歩一歩歩いていくことをしてこなかったのではないか。でも・・・。こうやって作業をしていると、庭の木が、植物が大きく育ち長く生きるためにはしっかりとした土台が必要なのだとわかる。そしてその土台づくりという地味な作業も、やってみると心地良い。

そんなこんなで夢中になっていると、2−3時間がたっていた。「おかげではかどった。ありがとうね!」と言われたけれど、お礼を言いたいのは私の方だった。



2016年7月23日土曜日

私にとっての「書く」ということ


ある人のブログを読む。彼女の人生に想いを馳せるだけじゃなく、自分の日々の生活についても考えさせられる。一日一日、追われるように過ごしているけれど、実はその一日は思っているよりももっと豊かで大切なものなのではないか。日々することや、考えること、起こること、そして人とする会話。そういうことを横目に早歩きしているけれど、そういうことに目を向けることが人生を豊かにするのではないか。書くことは、日々の小さな出来事に目を向けることを助けてくれる。私が写真が好きな理由と同じ。

書くことは、私にとって大きな意味をもつ行為である。書くということは、communication to the othersだけでなく、communication to myselfでもある。Communication to the others。メールを一通書くにしても、論文を書くにしても、「こう書いたら読む人もわかりやすいかな」「こう書いたらこういう風に解釈されてしまうかもしれないな」なんて、読む人のことに想いを巡らせながら書くプロセスも好き。Communication to myself。書くことで自分の考えや感情に気づかされることが多い。人間は自分のボキャブラリーにないコンセプトを思考化することはできない。だからジョージオーウェルの「1974」が描く国民がコントロールされた独裁国家では、政府に都合の悪い単語は使用を禁止され、だんだんと人の生活から、そして頭から消えていく。

せめてこうやって一人でフィールドワークをしている間だけでも、たわいもないことでもいいからブログをちょっとづつ書いていこう。ライデンに戻って娘との慌ただしい生活に戻ってからは、どれだけできるかわからないけれど。

2016年4月11日月曜日

決断






前にこのブログで「強さ」の話をした時によく”You’re strong”(「あなたは強いね」)と言われるということを書いたけれど、最近はそれが”You’re brave”(「あなたは勇気があるね」)に変わってきている気がする。

そう言ってくれるのは、「強い面」だけでなく、「弱い面」も含めて私のことをよく知っている人たち。

ある人によると、”Being brave does not mean you do not have fear.”(勇気があるということは、必ずしも恐れや不安がないとは限らない)のだそうだ。

そしてその人は”Not many people can choose more difficult paths just because they are more true.”(ただそちらの方が「正しい」という理由で、より険しい道を選べる人は多くない)という。



braveなのかただoverly optimisticなのかわらかないけれど、確かに私はそうやって険しい道を自ら選んで通ってきたし、これまで険しいながらもなんとかなってきた。

そんな私でも(?)とってもとっても迷った、とってもとっても大きくて大切な決断を、最近ついに、することができた。

娘を連れて、オランダとインドネシアでこのPhDを進めるのか、それとも娘を娘のパパに託してフランスで住ませるか。

私が今まで生きてきた中で一番大きくて難しい選択だった、といっても全く過言じゃない。

私は選択をするのが苦手じゃない。

というのも、大学一年生の頃に、誰かが「大事なのはどちらの道を選ぶかではなく、選んだ道でどう生きるかだ。」と言っていたのに妙に納得して、その考え方がすっと身についたから。そもそも、後悔するのは建設的じゃないので好きじゃない。

だから、何においても選択に拘るよりは、(もちろんある程度の比較や考慮はするけれど)どれかに決めてしまってその選択で自分のベストを尽くす、という生き方をしてきた。

でも今回の選択はそのいつものルールが当てはまらなかった。

こちらの方がいいのでは、と片方に傾けば、でもこれでは後で後悔するかもしれない、という悪いイメージが浮かびでて、やっぱりこっちの方が・・・と、2つの選択肢の間でぐるぐるぐるぐる行ったり来たりを繰り返してしまうのだ。この状態が3ヶ月くらい続いていた。
というのも、まずこのPhDにアプライを決めた時は、娘を連れてもちろんオランダにも、そしてフィールドワーク(インドネシア)にも行くつもりだった。そのつもりで予定をたてて、リサーチプロポーザルも書いた。

だけど、それと同時に娘のパパがジュネーブでの仕事が決まり、彼と住めば娘は4−5年間、ジュネーブ近くのフランスで、学校も言語も環境も変わらず安定した環境で過ごすことができる、という別の選択肢ができてから、私は迷い始めた。

私が彼女を連れていくとなると、彼女は何度も学校や友達、環境を変えその都度適応していかなければならないということになる。言語も同じで、今まで日本語+フランス語(+少しの英語)で過ごしてきた彼女が、私についてくるとなるとそれにオランダ語+英語+インドネシア語もピックアップしていかなければならないということになる。

名古屋を出る時に、仲が良かった友達や家族に別れをいうことの辛さを経験させ、それが彼女に与えた影響を見てからは、

「やっぱり私について来させることは彼女には酷なのではないか」

そして私と2週間離れてパパとその家族と平気で過ごしたり、私といるとパパ、パパと常に話したがる彼女を見て、

「彼女にとって、必ずしもママだけがprimary caretakerというわけではなさそうだ。彼女にとってパパもママも同じくらい安心できて、同じくらい大好きな存在なんだ。」

と感じ、「彼女にとって一番いいのは、パパと一緒にフランスで暮らすことだろう」とほぼそう決断を下しかけていた。

子供にとってのattachmentの意味や、母親と離れることの影響、引っ越しの影響など、本やサイトを読みあさったり、いろんな人の意見を聞いた。

すると何人かの友達から、「他の人のために、っていうのを考えるのもいいけど、自分のために何がいいのかもちゃんと考えなよ」と言われた。

私は、彼女と一緒にいたかった。

だから、「彼女にとって一番いいのは、パパと一緒にフランスで暮らすことだろう」とわかっていても、そう考えると、心の奥は痛かった。



その痛みに蓋をしながら、ほぼ決定で、それに沿っていろいろとアレンジをしなければ・・・と思っていた頃に、指導教官(前の記事でも書いた、5年前から知っている私が一番尊敬する教授)にその話をすると、”You cannot do that.”(そんなことしたらだめだよ)と驚いた顔で言われた。

“I will do everything possible to make your stay with (my daughter’s name) possible.”(あなたと娘が一緒にいられるように、私にできることはなんでもするから)。

彼は、私と娘が一緒にいるのを何度も見ていて、「(私の娘)には私という母が絶対に必要だ」と主張する。

「それに、自分のこともちゃんと考えなさい」。彼には、私の心の奥にある痛みを、私自身が見るよりもよく見えていたのだろう。



その日の帰り道、娘を乗せて漕ぐ自転車のペダルが、いつもよりも軽く感じられたのを覚えている。

娘を連れていく、という道が開けたような、そして、それがまさに、”more true”な選択だと感じられたのだ。


正直、不安だらけである。仕事(+保育園)を始めてから1週間でひいた風邪から、まだ咳が1ヶ月続いているし(医者に行く時間・・・というか、心の余裕もなかった)、家のこと、学校のこと、フィールドワークのこと、必要なアレンジや不確定要素は山積みで、圧倒されることもある。正直、今でも「やっぱり無理だし、娘はフランスにおいていくべきでは・・・」という思いがよぎることもある。

でも、少なくとも、”more true”と感じられる道を選んでいる。これがある限り、大抵のことはやるつもりだし、その覚悟はできてきた。

周りの人にもっと頼る努力をしながら(私の得意分野ではない)、そして感謝を十二分にしながら、できるだけやってみようと思う。さて、明日からまた新たな1週間がはじまる。