2016年8月5日金曜日

「頑張る」癖とプレッシャー

最近、人間関係で悩んでいたことを妹と母に相談すると(LINEには私の家族のグループチャットがある)、妹に「お姉ちゃんがなんでも頑張るのはすごいことだけど、それを相手にも求めるのは酷」だと言われた。たしかに、そういわれてみると思い当たることはいくつか・・・。共同研究をしていても、 大抵私は計画通りに進め、期限に十分間に合うように仕上げていく。それなりの結果が求められている時はそれに集中するし、目標に向かって努力もする。だからマラソンとか、努力すればその結果がみえるものが好きだったりする。

けれど、それがチームワークとなると、私一人が頑張っていてもだめだ。中高時代にやっていたテニスのダブルスを思い出す。私はどちらかというとシングルス向きで、自分自身もシングルスの方が気が楽で好きだったけれど、もちろんダブルスをする必要がある時もあった。そんな時は、パートナーのことを理解して、彼女の弱みと強みを知り、彼女の弱みをカバーしそして強みを活かせるようにと応援しながら試行錯誤したのを覚えている。

最近の例でいうと同僚と一緒に学術記事を書いていた時、その同僚が書くことが苦手で(知識はとっても豊富なのだけれど)できる限り後回しにすることを知っていたので、私は自分のパートを仕上げつつ、「今日はここまで進んだよ。どう思う?」と逐一報告して、彼女が書くのをencourageしているつもりだった。決して「なんで書かないの?」とか「私がやってるんだからあなたもやってよ」と言ったりはしなかったけれど、もしかしたらそういうものは態度で感じ取るものなのかもしれない。私が「頑張る」こと自体が相手にプレッシャーを与えることになる・・・のか?

そういう私の姿を「inspiring」といってくれる人もいる。励まされた、とか、モチベートされたとか、鼓舞されたとか。でもそれは私と「チーム」じゃない人が外から私を見て言ってくれているだけだ。それならプレッシャーなんて、関係ないから。
私の「頑張る」癖をやめる必要はないと思うけれど、同じ「チーム」にいる人にプレッシャーを与えないような頑張り方って、あるのだろうか。

付き合っていた人に、「君についていけるほど僕は強くなれなかった」と言われたことがある。友人の日本人男性からも、「君のライフスタイルは、日本人の男性の理解の範囲を超えてるんじゃない?一人で子供育てて、そのうえ外国で働いたり。」と言われたり。友達にも、“You’re the strongest woman I have as a friend.” “After I met you I told my friend how strong you are. PhD is hard, and being a single mother is hard, but you're facing them both and managing so well.”(あんまり、"manage"できている感覚はないのだけれど・・・)なんてことをよく言われる。私に本当の強さがあるなら、それを「チーム」内の人を支えるためのものにできればいいのにな・・・。

テニスに夢中だった頃に何回も何回も読んだ「エースを狙え!」の最後の巻(もしくは最後から2巻目)で、海沿いに立っているお蝶夫人を見守る男性(名前思い出せないけど、お蝶夫人に想いをよせている人)が涙を流しているのを見て、お蝶夫人が「なぜ泣いているのですか?」と聞く。男性は、「あなたの強さが悲しいのです」と答える。その時はよく意味がわからなかったシーンだったのだけれど、今はちょっとわかる気がする。

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