ジャカルタにいると、ライデンからの同僚と一緒になることが多い(みんなフィールドワークや、文献調査、プロジェクトでこっちに短期間で来ている期間が重なる)。
そんな 同僚と一緒にご飯を食べている時、「なんで研究をしているの?モチベーションは何?」という話になった。
そんな 同僚と一緒にご飯を食べている時、「なんで研究をしているの?モチベーションは何?」という話になった。
同じ研究機関(開発法学)で働くWは、現在ジャカルタで土地紛争の解決のためのプロジェクトのチームマネジメントをしに来ている。
一日中議論をしながらなんとか提案をまとめようとするのが骨の折れる仕事のようで、疲れた彼は「インドネシアの土地紛争の問題は根が深いんだよ。国全体のシステムの問題なの。だからこんなプロジェクトでできる小さな変化なんて、意味がないって感じてしまう。A(私たちのボスで、このプロジェクトのリーダー)は、本当にこれが社会のためになると信じてプロジェクトを進めているんだろうか。」と思わず愚痴をこぼす。
さらに、「本当に社会に変化を起したいなら、 金持ちになって権力を得た方が手っ取り早いのではないか?お金は権力と影響力に繋がる。特にこの国では。」と続ける。
そんなWに、私が研究をするモチベーションは何なのかと聞かれ、ちょっと考える。
まずひとつの理由は、「教えたいから」というのがある。
私は小学校でも、中学校でも、高校でも、そしてライデン大学に留学していた時も、少なからず影響を受けた先生たちがいた。
特に私が今指導してもらっている教授には、「人生を変える」ほどの影響を受けたと言っても過言ではない。
そして、彼が私の人生を変えたのなら、きっと他の何人もの生徒の人生を変えてきたはず。
そして彼の影響を受けた生徒たちを通じて、彼の影響は受け継がれる。彼が直接的に与える変化は数人(もしかしたら数十人、数百人)の考え方でも、それは大きな波になる可能性を秘めている。
あと、「教える」ことで生まれる変化は、教える側が押し付けたものでないことも私が好きな理由のひとつ。「教える」ことで生まれる変化は、受け取った側が考え方に納得して自分自身の中に内在化させるプロセスがあってこそ生まれる変化なんだと思うから。
「国際人権法」という分野で現地社会をみながら研究していて痛感せずにいられないのは、西洋的な理想に基づいて「造られた」国際人権法と、いわゆる非西洋の社会に存在する社会規範とのギャップである。
「非西洋社会」といっても、グローバルでボーダーレスになっている現代社会では西洋の理想や影響は顕著である(特に都市では)。
でもそういった影響が比較的少ない農村部などでは、伝統的な規範で生きる人たちがいて、その人たちにとって「国際人権規範」が一番大切なものなのだろうか、とよく考えさせられる。
「国際人権規範」なり、自分なりの理想や規範をもって、その理想や規範に基づく変化を起こそうと躍起するのもいいけれど、私はまず自分がもつ理想や規範に疑問を呈したいと思った。価値観や物事の見方は、生まれ育った環境や文化によって違うから。それを一概に「私たち(西洋・発展社会)と違うから劣っている」とするのには疑問を感じずにはいられないのだ。
実際に今世界で起こっている問題も(ニュースを見るたびに憂鬱な気分になってしまう)、「価値観の押し付け」によって起こっている問題が多いのではないかと感じる。人間は、自分と「違う」ものを恐れ嫌う生き物だ。
「違い」を「悪い」ものとしてとるのではなく、ただの「違い」として受け入れることができたら、世界は今よりも平和な場所になるんじゃないか、なんて、考えている。
そんな研究で、この4年間で成し遂げたいこと、目標を考えてみる。
1)教えられるようになる。(オランダ語で・・・はちょっとambitious過ぎる気がするので、とりあえず英語で・・・)
2)今同僚と進めているプロジェクトで期待以上の成果をだす。
3)インドネシア語で”operate”できるようになる。(インタビューを含めて、プロジェクト運営とかもインドネシア語でできるように)
4)Academic Englishは、他の人の書いたものを読んでフィードバックできるまでになる。
5)もちろん、論文を期限通りに仕上げる。(4年間で仕上げた人は、ほぼいないそうだけれど・・・)
ライデンでPhDを始めてから気付けば5ヶ月になる。
最初の数ヶ月は、手探りをしながらよたよた歩いているような感覚だったけれど、最近は指導教官に会うたびに “you’re
growing” と言われる。
最近は研究機関のブログの一部を任されたり、突然Children's Rightsのマスターコースで教える機会が舞い込んだりと、だんだんと信頼してもらっている手応えが感じられることも多くなった。
そういえばこのポジションにアプライする時に書いたmotivation letterにも、「I am aware that I might not be
the candidate with the greatest past experiences and skills. However, I am
confident that I am a candidate with great margins of improvement.」と書いた。
成長しているね、という褒め言葉は、何よりも嬉しい。
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