2016年8月24日水曜日

ニュースを見ることと自分達にできること


 仲のいい友達で、ニュースの類を全く見たり読んだりしない人たちが数人いる。
彼らは機会がなかったり面倒くさいからという理由で読まないのではなく、読まないという決断をして読まないのだけれど、その理由が簡単にいうと「僕がニュースを見たり読んだりすることで何も変わらないし、自分が変えられない悲劇をみても自分の無力感が増すだけだから。それなら自分の近くの人や物事に関心を向けたい。」というようなもの。

たしかに、私たちがニュースを通して世界で起こっていることを知ることで、直接それらの問題に変化を起こすことはできないのかもしれない。
シリアの内戦で、爆撃の被害にあった5歳の子供のショッキングな映像をみながら、同僚とそんな話をしていた。

シリアのニュースには、ここ数年で何度泣かされたことか。聞く度に無力感と悔しさに襲われ、怒りも湧いてくる。
「でも、この世界で起きていること、全ては繋がっているでしょう。」彼女はいう。
たしかに、シリアの内戦の原因は(少なくとも、こんなにも長く悲惨な戦争になっている原因は)他の国によるところが大きい。政治、パワーゲーム、国家の富・・・そういった大きな波に翻弄され被害を受けているのが、戦地になっているシリアの人たちなのだ。
そして、身を守るため、将来を守るため、国を逃れた人たちは難民として他の国、私が住むオランダにも逃れてきている。
こうやって同じ国、同じ地域に住んでいる以上、もう「自分には何もできない遠い国の悲劇」ではなくなる。少なくとも彼らのために、自分ができることはあるはず。これが彼女のいう「全ては繋がっている」ということなのだろう。

また、彼女は「それに、ニュースを見たり読んだりすること自体が、大変な状況にある彼らに自分の注意を向ける、という意味のあることじゃない?彼らや、この世界に起こっていることに注意を向けずに自分や自分の周りにだけ注意を向けて生きて行くのは、自己中心的にみえるけど。」という。
彼ら自身にとっては私たちが注意を向けているということは直接関係のないことだし、直接の利益にもならないことだけど、それでもそれは意味があること、という彼女の主張は一理ある。

そういえば、最近駅前で募金を募っていた団体(汚水を浄化する薬品を難民キャンプに届ける活動をしているといっていた)のメンバーに話を聞いた後、募金をすると、「最後に1つ質問があります。なんで募金しようと思ったんですか?」と聞かれたとき、思い出したことが二つあった。
1つは、Peter Singerの「The Life You can Save」(要約はこのビデオで:https://www.youtube.com/watch?v=onsIdBanynY)。
もう1つは、映画「Blood Diamond 」で戦地にいる女性ジャーナリストが苛立って言ったこの言葉。“It might make readers cry, but it’s not enough to make this stop! I am sick of writing about victims but that’s all what I can fucking do!”
日々無力感に襲われながらも、「自分にできることがあるからやってるんだよくそくらえ」というのは、月々僅かな額だけれどその団体に募金をすることに決めた心情をよく表してくれている。

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