2016年8月31日水曜日

楽と幸せ

こちらの職場では、誕生日を迎えた人がオフィスに何か甘いもの、ケーキやらクッキーやらを持ってくる、という習慣がある。

私は誕生日をインドネシアで迎えたので、オランダのオフィスに帰って来て何も持っていかなくても誰も文句を言う人はいないのだけれど、毎週のように誰かの誕生日にあやかってオフィスで糖分を摂取しているので、一度くらい何かつくって今までの分(そしてこれからの分)のお返しをしようと思ってデーツケーキをつくった。

ケーキといっても、焼くのではなく、バターとハチミツで似たデーツに、砕いたビスケットとクルミをまぜて型に入れ、冷蔵庫で固めてから四角に切るだけ。あと、細かいココナッツを上からまぶして食べる。

シンプルで、甘すぎず、持ち運びもしやすい、お気に入りのレシピ。


「先月誕生日でした。デーツケーキを休憩室に置いておいたので、食べてください。」とメーリングリストに流すと、仲のいい同僚たちから一言のメールが返ってくる。

たまにランチを一緒に食べる同僚のY(3児の母で、若く見えるけどたぶん40代)が、いち早く「おめでとう!何歳になったの?」とメールをくれたので、「I became 26! (When I say this to people they usually get totally surprised – I know, I look older! J)」返すと、Yは私のオフィスまで降りてきて「Not older, you look wiser!」と言ってハグをくれる。

指導教官にも、「改めて考えると本当に若くして産んだんだね。It’s like you needed to be grown up so quickly!」と言われたことを思い出す。

娘を産む前から実年齢より年上に見られることが多かったけれど、産んだ後は年齢を言った時の周りの驚きの程度が明らかに上がった。

23歳で子供を持った時、周りの30代40代のお母さんたちに囲まれながら、「 今まではまだ若いからという理由でチヤホヤされたり、大目にみてもらえるところもあったけれど、子供にとっては、20歳のママも、30歳のママも、40歳のママもみな同じ一人のママだ。これからは年上のママと比べて『足りない』ところがないように人間として強く、成長しなければ」と思ったのを覚えている。


名古屋にいる時も、一緒に時間を過ごす友達は年上の人たちが多かったけれど、ライデンに来てからさらに友人の平均年齢があがった。まず職場の同僚たちがほぼ全員年上、というのも大きい。

一緒に論文を書いたり、プロジェクトを一緒に進める一番親しい同僚は、たしかもうすぐ60歳。(といっても、オランダ人の60歳はまだまだ信じられないくらいパワフルで活動的)ランチをよく一緒に食べる同僚たちは、たぶん40代。職場でよく集まる比較的若いグループも、30代前半が多いと思う。職場以外の友人も、同年代はいない気がする。

こうやって、経験も知識も豊富で、人間的にも深みのある人たちと時間を過ごせるのは、本当にありがたいことだと思っている。

ちょっとやそっとのことがあっても、まずあたふたすることも少なくなったし、自分では処理しきれないことがあっても相談すると経験に基づいたアドバイスをくれる人たちがいて、何があってもこわくない、というような気持ちでいる。

でも、こわいものがなくても、寂しい気持ちになることはたまにある。

若い母親、というだけでなく、シングルマザー、ハーフの子を持ち、言葉も話せない外国に住み、研究といっても学生で。

こうやってみると私はマイノリティーのオンパレードだ。

大学を出て、いい会社に入って、たまに海外出張なんかしながら、何年か結婚相手に相応しい人を探して、結婚して何年かしてからキャリアも積んだ頃に子供をつくって、日本のどこかに家を買って定住して・・・

という、敷かれたレールを、他の人と歩調を揃えながら歩いてきていたら、どれだけ楽だろう、と思う。

どんなに友人、家族、同僚、パートナーに恵まれていても、自分と「同じような」道を歩んでいる人は周りにいない。

ふと気づくと周りには誰もいなくって、たまに孤独感に襲われる時がある。



こんなことを徒然書きながら 、新聞記事のためのインタビューを受けた時、自分が言った言葉を思い出す。「楽と幸せは違う」

たしかに、私が選んで歩いてきた人生は、決して楽なものじゃない。

雨の中自転車で出勤し、娘は保育園で「ママと一緒がいい〜」と泣き、論文の締切も近く、職場でも自分の知識のなさを実感し、 税金を納めるための書類が全てオランダ語で送られてきたようなタイミングの悪い日なんかがあれば、「なんでここでこんなに大変な思いして頑張ってるんやろう」と思うこともある。

でも、ここに来てから、一日として、「ああ、幸せだなあ」と感じなかった日はない。

2016年8月30日火曜日

研究をする理由とモチベーション

ジャカルタにいると、ライデンからの同僚と一緒になることが多い(みんなフィールドワークや、文献調査、プロジェクトでこっちに短期間で来ている期間が重なる)。

そんな 同僚と一緒にご飯を食べている時、「なんで研究をしているの?モチベーションは何?」という話になった。
 
同じ研究機関(開発法学)で働くWは、現在ジャカルタで土地紛争の解決のためのプロジェクトのチームマネジメントをしに来ている。

一日中議論をしながらなんとか提案をまとめようとするのが骨の折れる仕事のようで、疲れた彼は「インドネシアの土地紛争の問題は根が深いんだよ。国全体のシステムの問題なの。だからこんなプロジェクトでできる小さな変化なんて、意味がないって感じてしまう。A(私たちのボスで、このプロジェクトのリーダー)は、本当にこれが社会のためになると信じてプロジェクトを進めているんだろうか。」と思わず愚痴をこぼす。

さらに、「本当に社会に変化を起したいなら、 金持ちになって権力を得た方が手っ取り早いのではないか?お金は権力と影響力に繋がる。特にこの国では。」と続ける。

そんなWに、私が研究をするモチベーションは何なのかと聞かれ、ちょっと考える。

まずひとつの理由は、「教えたいから」というのがある。

私は小学校でも、中学校でも、高校でも、そしてライデン大学に留学していた時も、少なからず影響を受けた先生たちがいた。

特に私が今指導してもらっている教授には、「人生を変える」ほどの影響を受けたと言っても過言ではない。

そして、彼が私の人生を変えたのなら、きっと他の何人もの生徒の人生を変えてきたはず。

そして彼の影響を受けた生徒たちを通じて、彼の影響は受け継がれる。彼が直接的に与える変化は数人(もしかしたら数十人、数百人)の考え方でも、それは大きな波になる可能性を秘めている。
 
あと、「教える」ことで生まれる変化は、教える側が押し付けたものでないことも私が好きな理由のひとつ。「教える」ことで生まれる変化は、受け取った側が考え方に納得して自分自身の中に内在化させるプロセスがあってこそ生まれる変化なんだと思うから。

「国際人権法」という分野で現地社会をみながら研究していて痛感せずにいられないのは、西洋的な理想に基づいて「造られた」国際人権法と、いわゆる非西洋の社会に存在する社会規範とのギャップである。

「非西洋社会」といっても、グローバルでボーダーレスになっている現代社会では西洋の理想や影響は顕著である(特に都市では)。

でもそういった影響が比較的少ない農村部などでは、伝統的な規範で生きる人たちがいて、その人たちにとって「国際人権規範」が一番大切なものなのだろうか、とよく考えさせられる。

「国際人権規範」なり、自分なりの理想や規範をもって、その理想や規範に基づく変化を起こそうと躍起するのもいいけれど、私はまず自分がもつ理想や規範に疑問を呈したいと思った。価値観や物事の見方は、生まれ育った環境や文化によって違うから。それを一概に「私たち(西洋・発展社会)と違うから劣っている」とするのには疑問を感じずにはいられないのだ。

実際に今世界で起こっている問題も(ニュースを見るたびに憂鬱な気分になってしまう)、「価値観の押し付け」によって起こっている問題が多いのではないかと感じる。人間は、自分と「違う」ものを恐れ嫌う生き物だ。

「違い」を「悪い」ものとしてとるのではなく、ただの「違い」として受け入れることができたら、世界は今よりも平和な場所になるんじゃないか、なんて、考えている。



そんな研究で、この4年間で成し遂げたいこと、目標を考えてみる。

1)教えられるようになる。(オランダ語で・・・はちょっとambitious過ぎる気がするので、とりあえず英語で・・・)

2)今同僚と進めているプロジェクトで期待以上の成果をだす。

3)インドネシア語で”operate”できるようになる。(インタビューを含めて、プロジェクト運営とかもインドネシア語でできるように)

4)Academic Englishは、他の人の書いたものを読んでフィードバックできるまでになる。

5)もちろん、論文を期限通りに仕上げる。(4年間で仕上げた人は、ほぼいないそうだけれど・・・)




ライデンでPhDを始めてから気付けば5ヶ月になる。

最初の数ヶ月は、手探りをしながらよたよた歩いているような感覚だったけれど、最近は指導教官に会うたびに “youre growing” と言われる。

最近は研究機関のブログの一部を任されたり、突然Children's Rightsのマスターコースで教える機会が舞い込んだりと、だんだんと信頼してもらっている手応えが感じられることも多くなった。

そういえばこのポジションにアプライする時に書いたmotivation letterにも、「I am aware that I might not be the candidate with the greatest past experiences and skills. However, I am confident that I am a candidate with great margins of improvement.」と書いた。

成長しているね、という褒め言葉は、何よりも嬉しい。

2016年8月24日水曜日

ニュースを見ることと自分達にできること


 仲のいい友達で、ニュースの類を全く見たり読んだりしない人たちが数人いる。
彼らは機会がなかったり面倒くさいからという理由で読まないのではなく、読まないという決断をして読まないのだけれど、その理由が簡単にいうと「僕がニュースを見たり読んだりすることで何も変わらないし、自分が変えられない悲劇をみても自分の無力感が増すだけだから。それなら自分の近くの人や物事に関心を向けたい。」というようなもの。

たしかに、私たちがニュースを通して世界で起こっていることを知ることで、直接それらの問題に変化を起こすことはできないのかもしれない。
シリアの内戦で、爆撃の被害にあった5歳の子供のショッキングな映像をみながら、同僚とそんな話をしていた。

シリアのニュースには、ここ数年で何度泣かされたことか。聞く度に無力感と悔しさに襲われ、怒りも湧いてくる。
「でも、この世界で起きていること、全ては繋がっているでしょう。」彼女はいう。
たしかに、シリアの内戦の原因は(少なくとも、こんなにも長く悲惨な戦争になっている原因は)他の国によるところが大きい。政治、パワーゲーム、国家の富・・・そういった大きな波に翻弄され被害を受けているのが、戦地になっているシリアの人たちなのだ。
そして、身を守るため、将来を守るため、国を逃れた人たちは難民として他の国、私が住むオランダにも逃れてきている。
こうやって同じ国、同じ地域に住んでいる以上、もう「自分には何もできない遠い国の悲劇」ではなくなる。少なくとも彼らのために、自分ができることはあるはず。これが彼女のいう「全ては繋がっている」ということなのだろう。

また、彼女は「それに、ニュースを見たり読んだりすること自体が、大変な状況にある彼らに自分の注意を向ける、という意味のあることじゃない?彼らや、この世界に起こっていることに注意を向けずに自分や自分の周りにだけ注意を向けて生きて行くのは、自己中心的にみえるけど。」という。
彼ら自身にとっては私たちが注意を向けているということは直接関係のないことだし、直接の利益にもならないことだけど、それでもそれは意味があること、という彼女の主張は一理ある。

そういえば、最近駅前で募金を募っていた団体(汚水を浄化する薬品を難民キャンプに届ける活動をしているといっていた)のメンバーに話を聞いた後、募金をすると、「最後に1つ質問があります。なんで募金しようと思ったんですか?」と聞かれたとき、思い出したことが二つあった。
1つは、Peter Singerの「The Life You can Save」(要約はこのビデオで:https://www.youtube.com/watch?v=onsIdBanynY)。
もう1つは、映画「Blood Diamond 」で戦地にいる女性ジャーナリストが苛立って言ったこの言葉。“It might make readers cry, but it’s not enough to make this stop! I am sick of writing about victims but that’s all what I can fucking do!”
日々無力感に襲われながらも、「自分にできることがあるからやってるんだよくそくらえ」というのは、月々僅かな額だけれどその団体に募金をすることに決めた心情をよく表してくれている。

まっすぐ生きること


最近の出来事。教会で娘と散歩していた時に、「娘さんと、教会をバックに、写真を撮らせてくれませんか?」と頼まれ、いいですよと軽く引き受けた。
一緒にいた友人が曇った表情を見せたので、
You think that I trust people too easily?」と聞いてみる。
すると、「You’re always honest and sincere, so you think that other people are also like that.」と言われる。
疑うことを知らない、というような純情で無垢なわけじゃないと思う。
世の中には人を騙そうとする人や嘘をつく人、そして他人を傷つける人もいることも、承知しているつもりだ。
もしかしたらこの人は嘘をついているのかもしれないな、悪意や裏があるのかもしれないな、という思いがよぎることもよくある。
でもそういう思いがよぎった時に、私は直感的に「それでも信じてみる」ことを選んでいるのだと思う。
それは、裏切られて傷つくリスクをとってでも、人を信じられるような人生を生きていきたいからなのだと思う。

「まっすぐ生きすぎる」「体当たりで行きすぎる」
そんなクリティカルな意見を受けることもたまにある。
遠回しな表現とか、根回しをするとか、所謂diplomaticなコミュニケーションは好きじゃないし、得意でもないのだけれど、あまりにまっすぐすぎる態度や表現は、人をひるませたり困らせたり最悪の場合傷つけたりすることもあるのかもれしれない。

2016年8月5日金曜日

「頑張る」癖とプレッシャー

最近、人間関係で悩んでいたことを妹と母に相談すると(LINEには私の家族のグループチャットがある)、妹に「お姉ちゃんがなんでも頑張るのはすごいことだけど、それを相手にも求めるのは酷」だと言われた。たしかに、そういわれてみると思い当たることはいくつか・・・。共同研究をしていても、 大抵私は計画通りに進め、期限に十分間に合うように仕上げていく。それなりの結果が求められている時はそれに集中するし、目標に向かって努力もする。だからマラソンとか、努力すればその結果がみえるものが好きだったりする。

けれど、それがチームワークとなると、私一人が頑張っていてもだめだ。中高時代にやっていたテニスのダブルスを思い出す。私はどちらかというとシングルス向きで、自分自身もシングルスの方が気が楽で好きだったけれど、もちろんダブルスをする必要がある時もあった。そんな時は、パートナーのことを理解して、彼女の弱みと強みを知り、彼女の弱みをカバーしそして強みを活かせるようにと応援しながら試行錯誤したのを覚えている。

最近の例でいうと同僚と一緒に学術記事を書いていた時、その同僚が書くことが苦手で(知識はとっても豊富なのだけれど)できる限り後回しにすることを知っていたので、私は自分のパートを仕上げつつ、「今日はここまで進んだよ。どう思う?」と逐一報告して、彼女が書くのをencourageしているつもりだった。決して「なんで書かないの?」とか「私がやってるんだからあなたもやってよ」と言ったりはしなかったけれど、もしかしたらそういうものは態度で感じ取るものなのかもしれない。私が「頑張る」こと自体が相手にプレッシャーを与えることになる・・・のか?

そういう私の姿を「inspiring」といってくれる人もいる。励まされた、とか、モチベートされたとか、鼓舞されたとか。でもそれは私と「チーム」じゃない人が外から私を見て言ってくれているだけだ。それならプレッシャーなんて、関係ないから。
私の「頑張る」癖をやめる必要はないと思うけれど、同じ「チーム」にいる人にプレッシャーを与えないような頑張り方って、あるのだろうか。

付き合っていた人に、「君についていけるほど僕は強くなれなかった」と言われたことがある。友人の日本人男性からも、「君のライフスタイルは、日本人の男性の理解の範囲を超えてるんじゃない?一人で子供育てて、そのうえ外国で働いたり。」と言われたり。友達にも、“You’re the strongest woman I have as a friend.” “After I met you I told my friend how strong you are. PhD is hard, and being a single mother is hard, but you're facing them both and managing so well.”(あんまり、"manage"できている感覚はないのだけれど・・・)なんてことをよく言われる。私に本当の強さがあるなら、それを「チーム」内の人を支えるためのものにできればいいのにな・・・。

テニスに夢中だった頃に何回も何回も読んだ「エースを狙え!」の最後の巻(もしくは最後から2巻目)で、海沿いに立っているお蝶夫人を見守る男性(名前思い出せないけど、お蝶夫人に想いをよせている人)が涙を流しているのを見て、お蝶夫人が「なぜ泣いているのですか?」と聞く。男性は、「あなたの強さが悲しいのです」と答える。その時はよく意味がわからなかったシーンだったのだけれど、今はちょっとわかる気がする。

2016年8月4日木曜日

"The right one"

ジャカルタは渋滞がひどい。

私が今滞在しているのはジャカルタの南の方の地区なのだけれど、一度夜にセンターに出かけた時なんて、たったの8キロだったのにタクシーで1時間かかった。「これなら歩いた方が早かったかも」なんて友達と言いながら。

前にも書いたけれど、こういう国の「酷い」交通事情は、私はそれほど嫌いじゃない。というのも、交通機関の中で「空き時間」ができ、いろいろと普段は考える時間のないことに想いを巡らせたり、タクシーの運転手さんと話したり、誰かと一緒なら「進まんね」とか言いながらのんびりと話ができるから。

ライデンの同じ研究機関で働いている同僚を通じて最近知り合ったばかりのPさんが、私たちを車で送り届けてくれた時もそうだった。車に揺られながら、なぜかPさんが2年前に真剣に付き合っていた人の話になった。結婚間近の関係だったそうなのだが、別れてしまったのだという。「何が起こったの?」と聞くと、「Maybe I was not ready for the distant relationship. Maybe I was not ready for such a commitment.」詳しい事情は知らないけれど、その後Pさんは複数の浅い関係を繰り返し、2年前の彼女と戻りたくても彼女にはもうその気はないという。「So you think she was the right one.」と聞くと、苦笑いをしながらyesという。励ますつもりも特になかったのだけれど、私の口からは「But it doesn't necessarily mean that there is only one right one.」という言葉が滑り出ていた。


知り合いの男の人(20代後半〜30代前半)の人で最近こういう話をよく聞く。「コミットメント」をする準備ができなくて、彼女と別れ、その後やっぱり彼女が「the right one」だったと気づくが、彼女の方はもう前に進んでいて、手遅れでしかない。でも、私はthe right one」は世界に一人というわけじゃないと思うし、the right one」とはthe one of the right timing」でもあると思っている。どんなに相性がよくても、タイミングが合わなければうまくいかないこともある。人と人との関係を育てていくためには、もちろん改善したり維持していく努力も不可欠だけれども、どれだけうまくいかせたいと思ってもうまくいかない時もある。そういう時は、静かにとまって、流れに身を任せるのがいい。

「(二年前の元)彼女から返信がこない」と苦い顔をしているPを見ながら、そんなことを思っていた。