2013年1月1日火曜日

2013年元旦にて

20代の1年間での変化ってものすごく大きくて

毎年毎年1年を振り返る度に、1年前の自分と比べた自分の考え方や進んでいく道の変化にびっくりするけど

この1年は特に変化の大きな年だったなあ、と。

1年前の自分に、「1年後には、お腹の中に7ヶ月の子供を抱えてるんだよ」なんて言ったら、顔面パンチをくらいそうだ。



変化には決断がつきもので、言い換えれば決断をすることが多かった年だったとも言える。

自慢じゃないが、私は自分の決断に後悔したことがない。

日々の’決定’(レストランで何を頼むとか、特急電車に乗るか普通電車で座って行くかとか)は別として、人生における大きな’決断’に対しては、いつも

「この道を選んで、本当によかった」と思うことばかり。

ただ、それは私の選択能力が優れているから、という訳ではない。

自分の考えを整理するために書き出してみたり、人の意見を聞いたり、とりあえずのことはするけど

決断の瞬間は「えいっ」に任せて決めることが多い。

何事にも「正解」がないように、「正しい道」なんてないし、それを判断する方法もないんだから、

自分の選んだ道を「最高の道」にするのは、決断をした後の自分次第。

いろいろと状況の変化(プライベートなことなのでブログではこういう表現で。笑)があった時でさえ、出産の決断は一度も後悔しなかった。

それだけは、産まれてくる赤ちゃんに誇りを持って言える。

自分が選んだこの道を、最高の道にするための今年の目標をここで宣言しておこうと思う。

逃げ道をつくらないために。



1.人を心から信頼できる人間になる
私は人を信じやすい方だと思う。

人間そんなに悪い人はいない、と思ってるから、簡単に人を信じてしまう。

「そんなんじゃすぐ騙されるよ」って注意されたりもする。

けど、「信じる」「騙される」のレベルではなく、

本当の意味で心から人を「信頼」するのはとっても難しいこと。

「信頼」するというころは「裏切られる」「傷つけられる」リスクをとるということだから。

心から信頼している人から裏切られること程、傷つくことはない。

人は、誰でも、裏切られるのは怖い。傷つくのも怖い。

今年は、自分自身が家族を築く。

家族の基盤は信頼。

傷つかないために人を信頼するのを避けてきた自分をやめようと思う。

信頼することは相手に敬意を示すこと。

自分が信頼をしてはじめて、人に信頼をしてもらえる。

そう考えると、一生人を信頼できないまま生きて行くよりも、心から人を信頼して裏切れる方が、意味のある人生を送ることができるんじゃないかって。

人を信頼することで何が得られるかは、この目標を達成してからのお楽しみ、っと。



2.Stay hungry
っていっても、ダイエットするという意味ではなく。笑

あえて翻訳すると、「妥協しない」ってとこかな。

今、女性がキャリアを追い求め始めた日本の社会では、晩婚化、高齢出産化が進んでいる。

それは、キャリアを追い求める女性はまず働き、それにきりがついた30代、40代で結婚し子供を産むから。

何年間かバリバリと働き、その後出産し、「もう仕事には満足したから、家庭に入って子育てに専念します」という元キャリアウーマンを、何人も見てきた。

でも、私は反対もありだと思う。

寿命が伸び、高齢になっても元気でいられる現代社会では、40代が女の最盛期。

若くして出産し、子育てをしながらキャリアを積み、子育てが落ち着いてから自由に飛び回る。

22歳というこの年齢で出産するからこそ、まだまだやれる、まだまだやりたいこともいっぱいある、まだまだ諦めたくないという気持ちを維持できる。

物理学者として活躍している米沢富美子さんが、同じく物理学者であり大学の先輩であった今の夫にプロポーズされた時、旦那さんはこう言ったという。

「物理と僕の奥さんと、両方とることをどうして考えないの」。

その一言で彼女は結婚を決断し、子供を育てながら勉学に励んだという。

出産、子供でキャリアでやりたいことにリミットをつくりたくないし、つくる必要もない。

「両方とる」

貪欲に、妥協しない姿勢を忘れないでおきたい。



3.道をつくる
これは、産まれてくる子供と同じように自分にも言い聞かせたいこと。

「僕の前に道はない、僕の後に道はできる」

私たちが進もうとしている道は、決して足跡の多い道ではない。

他の人が残した足跡に従って進むことが難しいこともあるだろう。

でも。

迷わずに自分の選んだ道を進め。

道が見つからなければ、探せ。

探しても見つからなければ、自分で道を造れ。




なんだか壮大な2013年の抱負になっちゃった。

この抱負を達成するとまでは言わないけれど、

1年後のこの日に、ちょっとでも目標に近づけるように2013年を精一杯生きたい。

2012年12月13日木曜日

いつかの私へ、そしてみんなへ

実は、私は今、2人分の生命を背負っている。

というのも、崖の底に落ちそうになっている愛する彼女の片手を握り、もう片方の手で崖っぷちをつかんでいるようなスーパーヒーローを思い浮かべないでもらいたい。

今の私は、そんな強いもんじゃない。

精神的にも、身体的にも、めっちゃよわっちい。

ホルモンのせいで精神は不安定だし、お腹も大きくなってきて、身体のいろいろなところに影響がでてきている。

そう、妊娠ってそういうもの。

卒業のための単位のために毎日学校に通いながら

卒論を仕上げながら

卒業のかかったテストを受けて

将来の進路としての海外大学院へのアプリケーションを仕上げる

一人暮らしの東京で、パートナーはアメリカ。

しかも、結婚はキャンセルになりこれからもどうなるかわからない。

この状態でこうやっていろいろなことを全部できる、全部やってやるっていうのは

「子供を産むという決心をしたことを、自分自身で誇りに思いたい」

という思いに駆られているんだと思う。

でも

親は、そして社会は、

「子育てはそんなに甘くない」

という戒めを、私に向かって何度も投げかける。

将来のことを考える時も

「子供をつれて、ひとりで海外に行って、勉強するなんて言語道断」

「出産したら数年はつきっきりを覚悟するべき」

がひっきりなしにとんでくる。

たしかに、1つの命を預かりながら、同時に自分のキャリアも追い求めようとするのは

私のわがままなのかもしれない。

「出産を誇りに思いたい」というのも

ただのエゴなのかもしれない。




こんなことを言うとまた社会的にどうだとか言われるかもしれないが

出産も、決して計画したものではなかった。

突然妊娠していることがわかった時は、ミャンマーでのインターンシップのために日本を出発する5日前だった。

1日で出産を決め、

親に「産むから」と伝え、

インターンシップ先の会社にも、妊娠の事情を伝えた上で行かせてほしいと頼んだ。

親や家族はもちろん心配していたし

インターン先の会社、社長、他のインターンたちにも心配をかけただろうと思う。

特につわりの時期だったので、 ベストパフォーマンスからはほど遠い貢献度だったと思う。

特に現地で企画したビジネスプランコンテストの前3日間ほどは吐き気がすごく、食べても吐くことを繰り返し、本番はふらふらの状態で司会をつとめた。

それでも、私は行ってよかったなあと思う。

妊婦という身体でミャンマーでのビジコンを一から成し遂げた

というとそれっぽく聞こえるが

私が行ってよかったなあと思うのは、その達成感のためだけじゃない。

私がそのインターンシップをあきらめていたら

自分が赤ちゃんのためにキャリアを犠牲にした、と少なからず感じていただろう。

自分が幸せでないと、他人を幸せになんてできない。

自分が赤ちゃんのために犠牲になり、不幸せになれば、赤ちゃんだってきっと幸せになれない。

それに、今回のインターンシップで、私が子供をかかえた女として他の同僚や上司と働いたことで

「女だってやればできる」

「妊婦だってここまでできる」

ということを証明できたのではないかと思う。




ここで私が言いたかったのはつまり

「自分の人生に、自分自身で期待することほど、そしてその期待に応えるべく進むことほど、勇気ある決断と勇敢な行為はない」

ということ。

これは実は、そのインターンシップ先の社長が、私が辛かった時に贈ってくれた言葉である。




世間体を恐れていては

無理だと最初からあきらめてしまっていては

人に助けを求めることをためらっていては

自分の人生への期待に応えることなんて、できない。




だから私は毎日学校へ行くし

卒論も皆と同じ期限に仕上げる

アプリケーションも全力を尽くすし

テストが終わってからも、いろいろなことをやらかしてやるつもりだ。

ベビーシッターの会社も立ち上げたい

フランス語も勉強したい

留学サポートを仕事にしたい

この機会にwebの勉強をしてHPくらい自分でつくれるようになりたい

今まで読む時間のなかった本も読みあさりたい




妊娠している自分を

子供を抱える自分を

この大きなお腹を

誇れるようになりたい。

そうやって、他の女性たちにも、女としての可能性は思っているよりも大きいことを示したい。

そして何よりも

産まれてくる子供が大きくなったら教えてあげたい。

ままはあなたがお腹にいる時にミャンマーで仕事してたんだよ。

ままはあなたが産まれる2ヶ月前まで毎日学校に行ってたんだよ。

ままはあなたがまだお乳を飲んでいる時にも働いていたんだよ。

そしてそれは、ぱぱや、ままが尊敬する人たちや、ままの友達や、ままの家族の、理解と助けがあったからなんだよ。

って。

2012年10月17日水曜日

ビジネス講座の大逆転はじめからおわりまで(2)




「でも、誰が教えるの?」

時間の関係もあり、講師を頼むわけにもいかず、残された選択肢は

「俺たち?」

MBAも、まともにビジネスも勉強したことのない私たちが、ビジネス講座なんて、ほぼ詐欺じゃないか...と思いつつ、やるしかないということで準備を始めることに。

グロービスのMBAシリーズを日本から取り寄せ、読みあさる。(これは、とってもわかりやすく簡潔にまとめられていておすすめ。)

経済学者を訪問し、フィードバックをいただく。

プレゼンの方法についても、ミャンマー人の学生から意見をもらう。

リハーサル、リハーサル・・・。



おっと。我々は講師兼企画者ということで、講義の準備ばかりしているわけにはいかない。

講座の内容を決め、開講場所を決め、開講日時を決め、値段を決め、広告をださなければならない。

できるだけはやく。

どう考えても時間がたりない。

開講場所候補との交渉も電話やメールで簡単迅速にはいかない。

いちいちアポイントメントをとり、まずスタッフと話し、そのフタッフが上司である校長に報告するのを待ち、はじめて校長と会うというステップを踏まなければならない。

新聞やジャーナルに広告を出すプロセスも、まず現地のサポート会社に原稿を送り、彼らが推敲+翻訳+デザインをし、チェック、それから新聞社に出稿し翌週に広告が載るというもの。

やっと決まった開講場所である英語学校のスタッフも、

「これじゃ1人も来ないかもしれませんよ。それでもやりますか?」

・・・やります。

ビジネスコンテストまでの日程との調整、広報をする期間の調整を含め、日程を変更し、ついに広告を出せる状態に。

ミャンマーで広報はどうすればいいのか?

まず、Facebook。年代にもよるが、若者の間ではかなりの人気を博している。ただ、皆家にネットを持っていないので、夕方〜夜にかけてインターネットカフェに行ってFacebookサーフィンをするそう。

次に、紙媒体。新聞・ジャーナルはたくさんの種類があり、毎日屋台に並べられている。値段は一部につき約30−50円。若者がよく読むのはEleven Newsというジャーナルだが、もちろんメディアごとに購読グループが違うので、ターゲットとする対象によって広告を載せるメディアを判断するのも大切。



最後に、フライヤー。我々の場合はビジネスに興味のある学生がターゲットだったので、プライベートスクールにフライヤーを置いてもらったり、レイ・ダンという学生街で6時(学生が帰るので、通りがとってもにぎやかになる時間)にフライヤー配りをしたりした。効果があったのかは不明だが、驚きだったのがフライヤーを受け取る人の確率。フライヤー自体が珍しいのか、外国人が珍しいのか、ただ皆優しいだけなのか、95%の確率で受け取ってくれるので、やりがいがある。


ある手を全て尽くしてのぞんだ広報戦略。

さあて、何人集まるのか。

2012年10月8日月曜日

ビジネス講座の大逆転はじめからおわりまで(1)

「この夏にミャンマーで会社を設立するという目標はあきらめるしかない」

そう、このインターン4人の当初の目的は「会社設立とその準備」であった。

ただ、ミャンマーで外国人が会社を立ち上げるとなると、今世界で一番ホットなあの法律の改正の行方に頼らざるをえない。

そう、「ミャンマー外国投資法」である。

外国人の土地貸借に関する条項、外国資本の投資に関する規制など、ミャンマーで進出を検討している企業にとっては目が離せない内容だ。

その内容は、現地会社との合弁会社と外資100%の企業を差別化するもの。

法律の内容はまだはっきりとは決まってない(改正は通ったが、まだロビー活動が続いているとのこと)のだが、進出コンサルタントの答えはこうだった。

「現地の複数の弁護士等専門家へのヒアリングによると、 100%外資設立に要する期間は、概ね最短で4ヵ月という回答がほとんど」

合弁を考えた現地企業もあったのだが、社長の最終的な判断で、外資100%で進出するという方針に決まった。


会社を設立できない=基本的に営業活動ができない、契約を結べない、お金を儲けることができない

ということで、我々インターンの目的は

「法に触れない範囲で、できる限り今後のビジネスに繋がる準備を行う」ことに変わってしまった。

とはいえ、航空券代、保険代、予防接種代、現地の全ての費用などなど会社から投資してもらっているこのプロジェクトで、少しでもお金を儲けて帰らないと会社に申し訳ない。

社長からも「ビジネスなんだから何かやるにしてもお金をとってこい」というお達しが。

ビジネスコンテストを有料にする案は集客の関係で断念。

「じゃあ、コンテストに出場する人をサポートするためのビジネス講座はどう?」

こんなふうに始まったヤンゴンの英語学校でのビジネス講座。

はてさて、うまくいくのでしょうか。

2012年9月15日土曜日

ミャンマー人がNOKIAを使わない理由

KIAと聞くとみなさんは何を思い浮かべるだろうか。

韓国の自動車会社Kia motors?

フィンランドの携帯会社noKIA?

あなたがミャンマー人なら、そして特にカチン(ミャンマー北部の地方の名前)民族なら、

まずKachin Independence Army(カチン独立軍)がでてくるだろう。

カチン州は中国との国境地域にあたり、川や山などの美しい自然に囲まれた地域である。
ヒスイの産地としても有名であり、中国に向けての輸出産業が盛んである。

そんなカチン州では、KIAと政府軍との間で内戦がおきている。



KIAは、1961年に当時の将軍であったネーウィンが中央政権国家を目指しとっていた地方支配政策に対抗して結成された。
以前はカチン州独立のために結成されたKIAだが、今では連邦国家建設を目標として戦い続けている。

こういった事情があり、カチンでKia motorsやNOKIAユーザーを見かけることはないという。
Kiaの自動車を使っていても、KIAのロゴは取りはずすのだという。


彼らはなぜ、連邦国家を望んでいるのか?

その説明にはまず、多民族国家でありかつ民族意識が深くしみついているミャンマーの社会について触れなければならないだろう。

ミャンマーでは大きく分けて8つ(カチン、カヤー、カイン、チン、モン、ビルマ、ラカイン、シャン)、全体で135にも及ぶ民族が存在する。

そしてその民族意識は、宗教に対する意識よりも深いものといってもいいだろう。

つまり、自分のアイデンティティーの中で、民族というものが大きな割合を占めているのである。

ミャンマーで出会った友達、仕事の仲間の中にはカチン族の人が多い。

彼らと会ったその当日には彼らがカチン族だということを知った。

つまり、民族の紹介は自己紹介の一部として行われるのである。外国人に対しても、だ。

ここで話を戻すと、少数民族であるカチンが連邦国家を望むのは、その深く根付いた民族意識のために、ミャンマー政府がビルマ族しか雇わないという民族差別政策が理由である。

しかし今のミャンマーに本当に必要なのは連邦国家なのだろうか。

他の途上国と同様に、ミャンマー社会全体では人材不足が問題になっている。

限られた優秀な頭脳、これからミャンマーが実現していこうとしている民主主義を理解しているごく少数の者たちが集まり、国をつくっていくべき時なのではないか。

アウンサンスーチーも、「まずは国として統一することが最優先」と意見を述べている。

そしてKIAが本当に求めているのは連邦国家なのだろうか。

彼らが反発している理由はよくわかる。

民族差別政策によって政府がカチン族を採用しなければ、ミャンマーはビルマ族だけに都合の良いようにつくられてしまう。

問題解決は連邦国家にあるのではなく、この政策を「なんとかする」ことにあるのではないか。

ただ、「なんとかする」のがどれだけ難しいのか私にはわからない。

KIAの彼らにとっては限りなく不可能に近いことなのかもしれない。


先ほどふれたカチン族の友達は、もともとカチンで会社を持っていたり、カチンに家族を残してきたりしてヤンゴンにうつってきた人たちだ。

私はただ、彼らのホームを奪っているこの内戦にやるせなさを感じ、政府が他民族国家という大きな特徴を考慮した政策をとり、早く内戦が終わり彼らのホームを返してあげてほしい、ということを願うのみである。

2012年9月13日木曜日

政府の目はどこにある?

ミャンマーでは最近、政府がセンサーシップ(検閲)の解除を表明した。

長い長い軍事政権のなかでずっと手に入らなかった”表現の自由”がついに国民の手に入ったのだ。

今まで抑制されてきた欲求が溢れ出すかのように、国民は本を貪り読む。
今まで検閲によって出版が禁止されていた本たちも書店に並ぶ。
”情報”への欲求に応えるように次々に新しい新聞や雑誌が発行される。
道端の屋台では毎日20種類以上もの雑誌・新聞が並べられている。


「センサーシップは解除された」

政府の発言はいかにも実現されたかのように見える。

しかし、数十年かかってしみ込んだ汚れを、一夜できれいにぬぐい去ることはできない。

センサーシップはなくても、政府の監視の目は依然としてそこにある。

つまり、出版前に”検閲”され出版を禁止されることはないが、

そのかわりに出版後に政府の目にとまる記事や本があれば、責任者は刑務所行き、ということである。

ミャンマー人で教育家かつジャーナリストであるAさんは、自身で英語学校を経営する傍ら、政治系雑誌を発行している。

よく食べ、よく笑い、ジョークもとばす彼だが、政治に対する姿勢は鋭く、ミャンマー外国投資法が改正される際にもネピドーにある国会議事堂へ赴きその場に立ち会ったという。

彼の政治思想はかなり左よりである。
もちろん、彼の発行する雑誌も政府の目にとまるかとまらないかのきわどいものが多いであろう。
政府にとっては目の上のたんこぶのような存在である。

そんな彼が麺をすすり、笑いながらこんなことを言う。

「数日後には刑務所に送られてるかもしれないな」

センサーシップを解除した今もなお政府の監視の目に晒されるこの状況は、今のミャンマーの現状をよく表しているように思う。

軍事政権は倒れた。

しかし、未だに国民はその影に怯えている。

長く、そして深く刻まれた傷跡は、一朝一夕で癒されるものではないのである。


2012年7月30日月曜日

ハーグのビーチで見る夕日ろまんちっく
リヨンで。五線譜みたい
料理上手なルームメイトのティラミス。

私にとってこの1年間は、ただの1年間だった。

海外で勉強したから特別チャレンジングな1年間だったと威張れるわけじゃないし

何と何を学んでこのゴールは達成できなかったとか分析する気分でもない

この1年間は私が生きてきた22年間のただの22分の1であり

私が1年間でしたことを一言でいうと”ヨーロッパに住んだ”だけ。

こういうとなんだか平凡な留学生活だったんだなあと思う人も多いだろうけど

私なりにいろいろあったんだよ

まあまあいけてると思い込んでた英語が、ヨーロッパに来ると発音のせいで通じなくて自信なくしたり

だから”通じればいいや”と思っていた外国語を、正確な文法と発音で話そうとトライした

いろんな国やバックグランドを持つ人たちに囲まれて何が自分の価値観なのかわからなくなったり

だからこそ自分と他の世界との境目を必死になって探した

友達に誘われて3人のオランダ人と私で住むことになったり

その中の人間関係でいろいろあったり

自分なりに自分が築きたい友達関係とか恋愛関係について考えたし

いくつものスケジュールをつめつめにして時間を最大限に活用しようとする自分のスタイルを省みてみたり

ちょっとは隙間をつくるようになれたと思う

あ、そしてこっちきて太ったり


でもこれらって

いつでもどこにでも起こりうる普通のことだと思う

どんな変化でもネガティブな面とポジティブな面が共存するから

1年間で変わった部分が成長なのか後退なのかは

それを判断する人次第

でもその変化は環境やタイミングがもたらしたものじゃなくて

私自身が生み出したものだと胸をはって言いたい。


待ってろ日本

待ってろミャンマー

待ってろボストン

待ってろこれから訪れる国たち

どこにいっても私は自分なりの”日常”を送りたい。