2022年12月20日火曜日

誰のための研究か

関西にいる今のうちに、と思い、10年来の研究者仲間(であり、先輩であり、友人)に連絡をとり、週末にお茶をご一緒した。

研究分野が同じ、というわけではないのだけれど、研究に対する姿勢が似ているのか共感することが多く、今回もそういう話になった。「誰のために研究をしているのか」という視点を大事にしている、という彼女。それを聞いて最近自分の研究課題について迷いやもやもやする気持ちがあったことの原因がわかった。「誰のための研究か」が自分の中ではっきりとしていなかったからだ。

自分自身が興味がある問いだから研究をする。気になる、知りたいと思うからその問いを追求する。社会で起こっていることで気になることをテーマにする。トレンドやキャリア戦略といった視点で研究テーマや方向性を決める同僚が多い中、私はそういう移り行くものには関係ないものをテーマにしたいと思ってやってきた。

それはつまり、自分の心が動くテーマであり、問いであり、その背景にはずっと自分の信じるものや達成したいことや社会との繋がりがあったはずなのだけれど、「誰のために」という問いを投げかけられたことは今までなかったので、自分の中で明確になっていなかった。

彼女と会っていた時は「あれ、私の研究は誰のための研究なんだろう・・・」と答えが出なかったのだけれど、その後数日間考えていると答えが浮かんできた。「声が届きにくい社会的弱者(marginalized people)」のため。そして彼らの声を拾い上げて、一つの意見や視点として議論の机上に持ってくること。これ掘り下げると「平等」や「多様性」にも繋がっていて、声の大きな人たち(社会的強者、つまり力や富、資源、名声、地位がある人たち)の意見が支配してしまいやすい議論や社会的論調的なものに、そういう「マジョリティー」だけでない「マイノリティー」の意見を入れて風通しをよくしていきたいと思っているから。「普通」や「常識」の枠にそって人生を送るのは楽だから、大抵の人はそういう生き方を選ぶ。でも人間なんだからそれぞれの違った考え方や生き方があって当たり前だし、その違いが受け入れられる環境があってこそ、人は自由に生きられるのではないか。だから社会的弱者や、マイノリティーとされる人たちの声を拾い上げて、個性として理解すること、社会の中に位置付けていくこと、は私にとって大事なのだ。

多様性って何だろう、と考えた時に、最近よくヨーロッパで謳われているダイバーシティーポリシーなるものについて考えてみた。よくいわれるのは、採用基準の話で、人種や性別でバイアスがかかった採用をしてはいけない、とか、同じ経歴で役職でも収入が違うとか。だから収入の差を埋めるとか、アファーマティブアクションとかクオータ制導入という話になってくる。でも私はそういう、数字で測れるようなものは真の多様性とは違うと思う。というのも、そうすると「白人男性ばっかりだとまずいから、黒人女性を一人入れておけ」みたいな話になってくるし、そうやって参加した「マイノリティー」は、たしかに目に見えるところでは「マイノリティー」かもしれないけれど、結局マジョリティーの「ような」人か、その環境でマジョリティーに染まるしかないからである。

日本社会でわかりやすい例でいうと、女性の社会進出!幹部の女性比率○%!と謳ってそれを数字の上で達成した会社があるとしても、結局出世する女性はマジョリティである男性の「ような」人である必要があったり(育児休暇をとらずに働くとか、男性的な態度や振る舞いをするという点で)、そうでなくてもマジョリティの行動規範に染まっていったりと、結局真の「多様性」には繋がらない。

真の多様性は、一人一人がそれぞれその人らしくいられる、長いものに巻かれたり、強い者に組み伏せられたり合わせたりする必要のない環境がある時に達成されるものだと思う。その人が思うこと、考えること、感じることを、周りとの「違い」を気にせずに、マジョリティーに合わせるプレッシャーを感じる必要なく、表現できれば、その環境は一人一人の「違い」を尊重してそれを活かしていける環境になれる。

ではそういう真に多様性のある環境には何があるのか、何が必要なのか?私は、「対話」と「相互理解」に尽きると考える。

先日、数年前に話を聞いてずっと気になっていた「はっぴーの家ろっけん」という一風変わった介護施設に伺って、施設の視察+ケアマネジャーの方とのインタビューのためのお時間をいただいた。詳しくはまた別にまとめようと思うけれど、ここで言いたいのは、
1)共同生活で他人と暮らす上で考え方や行動に違いがあるのは当たり前。トラブルも、個人のニーズのすり合わせが必要になってくるのも、理解し難いことがあるのも、当然のこと。
2)そこでルールをつくったり罰則を与えたり、あるいは「普通は」「一般的には」という言葉を使って他人の行動を管理したり変えようとしたりするのではなく、
3)とにかく話し合う。話し合うことで問題が解決するわけではないけれど、対話によって、新しい側面をみることができる。いろんな側面をみることで、他の人や問題に対する見方が変わってくる。
4)そうすることで、他人を変えようとすることなく、違いを「排除」することなく、それぞれがそれぞれのままで、共同生活ができる。

ルールをつくるのは簡単。力や圧力で人の行動を変えようとするのは手っ取り早い。対して、対話による相互理解は、手間も時間もめっちゃかかる。それでもそちらを選ぶのは、彼らの一番の優先事項が、主体的に自由に暮らせること、それぞれの意志と希望とニーズに沿った生き方ができることだから。

自由と多様性は表裏一体なのだ。


2022年12月19日月曜日

人との出会い

先学期初めて、ライデン大学法学部で成績トップの生徒だけが受けられる、Honours Collegeというプログラムの中のLaw, Gender, Race and Sexualityというコースを受け持った。私が普段受け持っている通常の講義は毎回50人を超える生徒がサインアップするのだけれど、Honours Collegeは少数精鋭という考えなのかその半数くらいがマックスだそうで、50ほどあった受講希望の中から26人ほどの生徒が参加した。

やはり少人数だと授業でできることの幅も広がる。講義もよりインタラクティブになったし、グループワークを課題にして各グループの研究発表を最後に企画したりした。そのおかげか、たくさんの生徒から嬉しい言葉、講義を始めた数年前の自分が聞いたら嘘かと思うような素晴らしいコメントをもらったりしたのだけれど、その中でも、生徒の一人がくれた、

Your lectures have changed my perspective on life and society, which I will take with me for the rest of my life. (先生の講義で社会や人生に対する視点が変わりました。今後の人生にずっと影響を与える講義になりました。)

というコメントを読んだ時には少し震えた。

そもそも私がアカデミアで仕事をしようか迷っていた時に決定的となったのが、今の上司であり私の博士時代の指導教官であったオランダ人教授との出逢いだった。私が学士時代オランダに留学した時に受けた「インドネシアの法と統治」や「法と文化」といった講義を受け持っていたのがその教授であった。その時に彼の講義を受けて学問は楽しいと実感したし、垣間見た彼の人間性は私の人生観にも影響を与えた。つまり、彼という教授が大学にいたことで、私の「人生が変わった」のだ。

振り返ってみると、私の人生の分岐点といえるようなところにあったのはいつも人との出逢いとその人たちから受けた感銘であった。小学校3年生の時担任だった先生。高校時代数週間きていた実習生。部活の顧問だった先生のアドバイス。上記の指導教官。他に友人や、本当に一度会っただけの人でも、彼らの言葉が今でも心に残っているものもある。こうやって挙げてみると教育者が多いことにも気がつく。色々な人との出会いが点となりそれが繋がって今の私がある。

学生を終え、娘を産み、この10年間、本当にがむしゃらに走ってきたけれど、そのおかげでなのか、世界中探してもこれ以上望むものは考えられないほどのポジションをもらえることになった。所謂、ドリーム・ジョブが、すとん、と、まるで当然そこにあるべきものように、私の手の中に落ちてきた。成長すること、学ぶことを貪欲にやってきたけれど、30代、これから10年は、もう少し、「私は他の人に何を与えられるのか」「どのようなポジティブな影響を与える存在になれるのか」ということにフォーカスをずらしていく時期かなと思う。それは学びとか知識の伝達という意味もだけれど、それだけじゃなく、人間的な、人格的な意味でも。私が今の上司に影響を受けたように。ただ彼が彼であることで、周りに良い影響を与える、人格者、あるいはもっとシンプルに、「善い人間」であること。

今ちょうど私の受け持つ講義がないタームで、充電中&次の講義に向けていろいろ構想を練っているところ。2月に始まる講義でも、生徒と、限られた時間で自分にできることを精一杯伝えたい、と、まだ会わぬ生徒たちに想いを馳せている。

2022年12月14日水曜日

逞しく育つ

 今日は、家族揃って何年も通っているイタリアンのお店にふらっと寄って夕飯を食べに行った。ご夫婦で経営されているレストランで、旦那さんがシェフ、奥さんがウエイターをされていて、子供の歳も私の娘と同い年なので手が空いているときには奥さんと話に花が咲くこともある。今日も、ふと奥さんと話になったのが、「子供たちを逞しく育てたい」という彼女の想い。私自身の研究テーマにも関連するのでその点でも興味深かったのだけれど、今の社会で子育て、子供にたいするアプローチは「守る」ことに徹底している。皆が、社会が、先生が、親が、「子供を守る」「安全な環境に」ということに必死だけれど、でもそれだけでは子供は強く育たないよね、という彼女。確かに、安全な鳥籠の中にずっと入れて保護しているだけでは、いざ大人になって自由になり自立してその籠から出ていくときに、自分で自分を守ることができないという状況に陥るかもしれない。

そんな話になったのも彼女自身が今娘さん(私の娘と同じ歳)への接し方で考えるものがあったからかもしれない。9歳、小学3年生になっている娘さん。仲のいい友達が最近遠くへ引っ越して転校してしまったり、今学校でいる友達で意地悪してくる子がいるとかで、泣いて学校に行きたくないという朝もあるらしい。私自身も小学校では軽いいじめにあったこともあったし、小学校くらいの年頃の女の子の友達関係ってなかなか複雑で難しくなってくる。子供たちも、親である私たちに辛いことを全て話しているわけじゃないと思う。一人で抱えてることもあるのだろうと感じる。そんな時にどうやって娘に接して、どれだけ守って話を聞いてアドバイスをしてでも子供たちを信じて・・・というのはたしかに親として悩むところなのかもしれない。

娘が痛い思いをしたり、辛い思いをしているのを見ると、私自身が切り刻まれるような気持ちになることもある。彼女の辛さや痛みを、できるだけ取り除いてあげたい、できるだけ経験してほしくない、と願う気持ちは当然ある。でも、それを排除しようとするのが真の親の役目だろうか?傷つけないように守って守って、安全な籠の中に入れておくことが、彼女たちにとって最善なのだろうか?「守るより、逞しく、強い子に育てたい」そう言うママさんの声には確信があり、目はまっすぐで、私も納得してしまった。賛同せずにはいられなかった。

シェフに呼ばれてパタパタと厨房に帰っていくママさんを見て、私の娘が「ママトークしてたの」と聞くので笑った。話してたことについてどう思った、と聞くと娘は「私は強いから大丈夫」と迷わず言う。少しびっくりして、そうか、○○は強いのか、それはどうやって育ったから強くなったと思う?と聞くと、また彼女は即答する。「それはママが強いからでしょ」。

ちょっと嬉しかったけれど、娘には弱いところもたーくさん見せてるので、そうか、○○はママが強いと思うのか、弱いところもあるけどね。さっき話してた強さがどんな強さかっていうと、「打たれ強さ」っていう意味でもあると思うんだよね。生きてたらいろんなことがあって、辛いこととか嫌なこともあるから、大人になってから一人でそれに立ち向かえるように練習しとかないとね。と言うと、娘は「うん。失敗しても辛くても諦めないってことでしょ。ママがそうでしょ。」と言ってのける。

ここで私は日本語では「打たれ強い」という言葉を選んだけれど、もともとは「Resilient」という言葉が浮かんでいた。転ばない、失敗しない、傷つかない強さじゃなくて、そこから立ち直る強さ。転びながら、立ち上がって、疲れたら休んで、学習しながら、前を向いて進んでいく強さ。だから今のうちに、たくさん転びなさい。たくさん失敗しなさい。たくさん傷ついておきなさい。私がいるから、安全なところに戻ってきなさい。傷が癒えたら、また前に進む勇気が出たら、またいろんなことを試して経験しに行きなさい。これも、そこに愛があるからこそなのです。汚れひとつない綺麗なドレスのままでいるより、転んで泥んこになるくらいの方が、人生楽しいかもしれない。



2022年11月18日金曜日

苦しい気持ち

ここ数年、10代の若者のメンタルサポートケアをLINEで行う団体のボランティアとして活動している。毎日何十人もの若者が助けを求め、何百通ものメッセージが団体に送られてくる。私が担当した子の一人に、父親から性的虐待を受けていた女の子がいる。初めて彼女とLINEで話したのは数年前だったか、その時は毎日のように死にたいとメッセージが来て、その度に彼女の気分がなんとかおさまるまで何時間も話に付き合うこともあった。父親がいる家に帰りたくなくて、寒い中ずっと外にいるという彼女になんとか安全な場所に移動してもらおうとやきもきしたことも何度もあった。

様々な自傷行為をしていた彼女、何度目かの自殺未遂で彼女は病院に送られそこから緊急入院することになった。入院中は携帯を触れないとのことでメッセージも途絶えたのだけれど、退院した時にメッセージをくれた頃には彼女はだいぶ落ち着いたようだった。入院期間にあたたかいサポートを受けて心も体も休息できたとのことで安心した。まだまだ苦しみは絶えないようだったけれど、通院してサポートを受けながら少しずつ前に進んで落ち着いてきているようだった。と思ったら最近音沙汰がなくなり。音沙汰なしで数ヶ月が経った数日前、また彼女から丁寧なメッセージが届いた。内容は、連絡ができてなくて申し訳ない気持ちだったこと、両親が離婚して家に父親がいなくなったこと、学校にはいけてないけど幸せを感じられていること。環境の変化はプラスの変化でもマイナスの変化でも大変な労力を使うことだけれど、父親が家にいなくなったことで環境は良くなったのだと思う。

少し話していると、彼女は、幸せだけど、すごく辛いし苦しいという。弱音を吐きたくなくて、迷惑をかけたくなくて、だから辛くて苦しい気持ちを自分で抱えこんでしまう。どんな気持ちになるのかと心に手をあてて聞いてみるように彼女にいうと、とにかく「死にたい」「苦しい」気持ちに翻弄されてしまうという。「死にたい」「苦しい」気持ちの奥には何か他の気持ちがあることが多い。それは不安だったり、怒りだったり、悲しみだったり、いろんな気持ちが隠れているのだけれど、その子の傷が深ければ深いほど、深いところにある気持ちに気づいてあげることは難しくなる。

でも辛い時にその気持ちを掘り下げて(または、人に話を聞いてもらうことで気持ちを掘り下げるのを助けてもらって)、自分の気持ちに気づいてそれを認めてあげることは、大変な癒しになる。

それから・・・他の誰かに、その気持ちを受け止めてもらうこと。辛かったね、怖かったね、不安だったね、と、認めて受け入れてもらうこと。その過程を経て苦しみは和らいでいくのだと思う。

私が自分自身の子育てで意識していることも同じ。娘が苦しい時や辛い時、ネガティブな感情を感じて表現している時には、そうだね嫌だったね、といって抱きしめる。それだけで、彼女の苦しさが昇華されるのが伝わってくる。

2022年11月14日月曜日

「良い人生」とは?

十年来の友人が関西に一ヶ月滞在している。

彼と初めて出逢ったのも関西。その時私は名古屋で勉強しながら1歳の娘を育てていたのだけれど、大学での活動や勉強に少し物足りなさを感じ、もう少し自由な議論ができる場所を求めていた頃だった。そんな時彼が友人たちと企画運営していたディスカッショングループを見つけ参加したのがきっかけだった。

そのディカッショングループでは時には哲学的、また別の時には政治的なトピックについて話し合いそういう議論が好きな仲間とも出逢えた。その中でもオーガナイザーであった彼は一際哲学的探求に熱心で好奇心に溢れている印象だった。

それから約9年。彼はその後イギリスで修士課程を終え、アメリカに渡りPhDを終え、その間台湾に短期滞在したり、日本に遊びに来たり、ヨーロッパに帰省(彼はポーランド系フランス人)したり。私は日本、インドネシア、オランダとお互いいろんな場所を行ったり来たりの生活だったのだけれど、なにかと連絡をとっては葉書を送りあったり、会えるタイミングを見つけてばオランダ、フランス、日本でちょくちょく会ったりしていた。でも、今のように数週間同じ場所に滞在するのは九年ぶり。(九年前も私は名古屋で彼は大阪だったから、その距離を考えると同じ場所に滞在するのは初めてかも)。

共通の趣味である山登りに行ったり、美術館を訪れたりとこの貴重な数週間を楽しんでいるのだけれど、その中でも一番嬉しいのが、また9年前のようなディスカッションを二人で何回かホストしていること。特に彼はこの9年間もいろんな場所でディスカッションをホストしていたので、経験も豊富。先週京都で行ったセッションでは、私のアイデアで、「良い人生とは何か」について話し合った。少人数制なので定員は10名なのだが、キャンセル待ちが出るくらいの盛況ぶり。

私はソクラテスの "Unexamined life is not worth living."「吟味されざる人生では生きる価値がない」という言葉から。彼が思いついたのはカミュの「シーシュポスの神話」。神々の怒りを買ってしまったシーシュポスは、大きな岩を山頂に押して運ぶという罰を受ける。彼は神々の言い付け通りに岩を運ぶのだが、山頂に運び終えたその瞬間に岩は転がり落ちてしまう。同じ動作を何度繰り返しても、結局は同じ結果にしかならない。というなんともいえない話なのだが、カミュはここで人生の不条理について、そしてそれにも関わらず生き続ける人間の姿を描いている。

「良い人生」について考えると「意味のある人生」とは、そしてその意味とは何かという問いにもぶつかる。私はディスカッションの初めに皆で意見交換をした時には個人の見解として「成長すること、理解しようと努めること、繋がりをもって深めること」が良い人生、意味のある人生だとシェアした。それぞれの参加者が十人十色の「意味」をシェアして、議論はいろんなところに派生していったのだけれど、一番難しいなと思った問いは、「意味」は個人一人で決められるものなのかということだ。

自分の人生の意味や価値は自分で決める、というのは一見正義であり真理であるかのように聞こえる。でも、それが真ならば、どんなに他人や社会にとって悪であり、疎まれ蔑まれ馬鹿にされるような人生であっても、本人自身が満足していればそれで「良い人生」「意味のある人生」であるということになる。また、人生の意味は本人が決めるものでありだからそれはどんなに些細なことでも意味になりえるということになる(例えば毎日歯を磨くことを人生の意味とすることも可能になる)。その人自身の人生なのだからそれでいいのではと思う反面、それではあまりにも独りよがりにならないかという気持ちも湧いてくる。


今回のディスカッションは友人がリードして、とてもうまくいった。さすが経験豊富な彼はリードもうまく充実した2時間だったと思う。さすがだね、と彼の技量を褒めると、練習すれば誰でもできると謙遜し、過去の経験で彼が失敗した時のことなんかをシェアしてくれる。そのイベントの翌日である今日、毎日のように他愛のないやりとりをしているメッセージの中で、彼が「一時的な思考だから無視してくれていいんだけど、僕は自分の苦しみに意味がないことに憤りを感じる。僕の苦しみに意味や理由があれば、それは耐えられるものになるのに。」という。

たぶん頭が良過ぎて、優し過ぎて繊細で、傷つきやすい彼は10代の頃からずっと精神的に苦しんできた(一般的に鬱と呼ばれるようなもの)。私自身も数年前に彼を傷つけてしまいそれから2年ほど連絡をとってなかった時期もあった(もう彼は絶交するつもりだったのかもしれないけれど、私から謝罪のメッセージを彼に送ってから、また友人関係が復活して今に至る)。自分自身の苦しみの意味のなさが憎い。意味があれば少しは耐えられるものになるのに。そういう彼の真意を慎重に汲み取ろうとしながら、理解しようとしてみる。

人生は不条理だ。苦しみも同じように不条理だ。その無意味(meaninglessness)の箱の中に生きる私たちは、それでも生き続ける。何度も同じように岩を転がしては元の場所に戻ってしまうことを繰り返すシーシュポスにとって、人生の意味はその岩を転がし続けることだった。意味は行為によって作られるものなのではないか。私たちは私たちなりに意味を「つくる」ことでこの「無意味」な人生を生きているのではないか。

彼は今週末まで関西にいて、毎日何かしら会ってご飯を食べたりまたディスカッションイベントをしたりする予定になっている。どんな他愛のない日常でも、少しでも意味を見出せたら、または意味を「つくる」ことの手助けができたなら、少しは彼のような優しい人の救いになるのだろうか。



2022年1月3日月曜日

コロナの上にも何年、いつのまにか新年

節目に、自分のブログを読み返す。自分の言葉に救われることがある。 
良本を読む。顔も知らない誰かの言葉に心癒される。 
映像が美しい映画をみる。その世界観に心洗われる。 
かけがえのない友人たちと年末年始を静かに過ごす。たわいもない事から、世界の時事、人生の課題まで、心ゆくまで話す。 
フランスの家族とクリスマスを過ごす。 
離れたところにいる日本の家族とは、スカイプで声を聞いたりラインで写真をシェアし合う。 ライデンにも、関西にも、帰る家がある。 
私の講義を楽しみにしてくれている生徒たちがいる。
 intellectually stimulatingな研究を共にできる同僚兼友人がいる。 
自分の能力を必要としてくれ、それを良い待遇で提示してくれる職場がある。
遠く他の国から会いに来てくれる友人がいて、 遠くても近くても足を運んで会いたい、話したいと思える友人がいる。
五体満足で健康で、フルマラソンに向けてのトレーニングができる。
大好きなテニスを通じて仲間ができる。 
血を、生活を、喜びと悲しみを、分かち合える、何よりも大事な娘がいる。 

また急足でざっと駆け抜けてしまったこの一、二年だけれど、振り返ると今私の周りには感謝すべきことがたくさんある。 
肩肘張って、目標に向かって邁進するのも私だけれど、たまにはこうやって立ち止まって振り返るのもいい。 
なんでも効率的にやりたい性分だけれど、時間をかけてひとつひとつのことを丁寧にしてみるのもいい。 
誰も読んでいないだろうブログを、自分の頭の中の整理と内省のために文字にしてみるのもいい。 
先々まで計画して企画してそれを実行・達成していくのもいいけど、こうやって行き当たりばったりに、徒然なるままに思いを書いてみるのもいい。 
考えることは好物だけれど、考えてもどうにもならないことを諦めてもいい。


 "Especially do not feign affection Neither be cynical about love; for in the face of all aridity and disenchantment it is as perennial as the grass." - Max Ehrmann 

"The unexamined life is not worth living." - Socrates

 2022年の抱負。 
繋がりを大事にする。 
たくさん書く。 
自分を信じる。

2020年12月28日月曜日

前を向く。

1、2ヶ月まえくらいから少しの間、大きな決断を迫られることがあった。

詳しくはここには書けないけれど、選択肢の1つは、日本の大学で、私の年齢やPhD取得後1年も経っていないことを考えると普通はあり得ないほどの良いポジションのオファーがあった。環境としても、日本の大学では他に比がないほど国際的で、私の興味分野にも合い、日本の大学で働くならここ以上にいい環境はないだろうと思うところだった。今の大学業界、特に社会科学分野、安定したポジションは世界中をみても本当に少なく、優秀な人であっても「運」がないとつけない。そんな今の状況のこの業界にいる人なら「喉から手が出るほど」ほしいポジションだと言われた。

そしてもう一つの選択肢は、オファーを受けずに、今私が取り組んでいる研究と講義をそのまま進めていくこと。難しい内容だけれど興味を持って取り組める研究をかなり自由にやらせてもらえ、でも講義や他の仕事もある程度責任をもって任されているという今の環境は自分ではかなり気に入っていた。それでもこのポジションは数年の契約なので、その後のポジションがどうなるかという確証はない。いわゆる「ポスドク」といわれる期間には、こういった短期のポジションをいくつか渡り歩きながら、安定したポジションを探すというのがセオリーで、安定したポジションが見つかればそっちをとるというのが普通の考え方だ。

どちらを選ぶかによって人生は大きく変わる決断だし、めちゃくちゃ考えて、悩んで、最後の最後まで悩んで、結局1つめの選択肢を選ぶことにした。「どう考えてもそっちを選ばない理由がない」と言われたし、自分でもそれはそうだと思った。

で、オファーを受けますと連絡してから、説明のしようのない気持ちに襲われた。今でも、それを「気持ちがついていかなった」としか言い表せず、なぜそんな気持ちになったのかよくわからない。でも、頭では受けよう、受けたい、と思っても、心がどうしようもなく逆らっていた。で、数時間後、「やっぱりできません」というメールを、その時に自分にできる最大限に正直な説明と、謝罪の言葉とともに、お送りした。

返事がギリギリになったことで迷惑をかけたことや、ひとつを選ぶことで手放さなければいけなかったものの重みもずっしりとのしかかり、わかっていたものの、うじうじと悩んだ時期がその後数週間あって。今は、やっぱりあの時自分の気持ちに従っていてよかったと思う。自分の今までの人生を振り返ってみると、向こうみずで、周りから見たら無鉄砲で馬鹿らしい選択でも、自分でも説明できなくても、自分が直感でこれでいいと思える選択肢の方をとってきたし、それで後悔したことはない。

自分で選んだこと、それは自分の頭や固定概念や理性やリスクを考えて計算して選んだという意味ではなく、自分の中にあるそういったものには影響を受けながらも、それでもそれらの枠の外で、少し離れたところで決断すること。そういうふうに選んだことならその道がどんなに険しくても不安でも大変でも頑張っていける、と、思う。それは、人がいうように「まだ若いから」なのか、「私らしい」生き方(これはまた別の人に言われた)なのか、わからないけれど。

ご縁も大切にしたい。自分がはじめたことは最後までやり通したい。自由は必要。でも安定も自由をうみだす。名声や世間体のようなものに惹かれる自分もいる。そんなに若くして未婚で子供を産んで、せっかく前途があったキャリアがもったいない、という人たちを見返したいという変な反骨精神みたいなのもあった(る)。でも結局は、そういうのは「残らない」ものなんだろうなと思った。

出産後に読んだこの記事。https://www.theatlantic.com/magazine/archive/2012/07/why-women-still-cant-have-it-all/309020/ 今回の決断で悩んでいた時にも読み返してみた。女性(母親)とキャリアについて書かれた記事で、長時間労働を強いられがちないわゆる「キャリアを積む」ということと、女性が母親であり子供と時間を過ごし「たい」と思うことがいかに矛盾しているかということが書かれている。

「キャリアを積む」ということは、「自分が楽しんでできる仕事を選びとっていける」という意味だと私は思っているけれど、世間一般的には「キャリア」とは名声や収入のある仕事に就くことと同意義で使われることが多い気がする。そしてよくよくみてみると、そういった名声のある仕事は、仕事以外の時間がなくなるほどの長時間労働だったり、ストレスの多い仕事であることが多いと思う。そのせいで比較的収入が多くても、時給にするとマクドナルドのバイト並み、というような話も聞く。そんな「キャリア」は、それで名声を得たとしても、それだけの価値のあることだろうか。ストレスにまみれ時間に追われ、本当の意味で「生きる」ことを疎かにしてしまわないだろうか。

娘が産まれてから、私の中の優先順位一番目は揺るぎなく疑いなく彼女で、彼女との時間で、彼女の成長を傍で見守りその過程を助けることだ。彼女との時間を大切にしたくて、多忙になる「キャリア」の階段を登らないことを選ぶのは、女性として、母親として、「キャリア」を犠牲にすることなのだろうか?

私は違うと思う。たしかに、「キャリア」というものを名声や収入など世間一般で使われるようなものとして捉えると、子供との時間を優先して昇進などを断るのは「キャリアを犠牲に」しているということになるのかもしれない。でも、私はそういった一般常識や固定概念のようなものとは離れたところで自分にとっての人生や楽しさを見出したい。そして、私にとっての「キャリア」とは、自分が楽しんでできて、自分と娘を養っていけるだけの収入が手に入り、やりがいはあるけれど自由で、仕事にのまれてしまわないほどに時間が確保できる。そんな仕事であり、それはたぶん、世間一般にハイキャリアと呼ばれるものとは別物な気がする。そういう仕事をつきつめていった結果、いわゆるハイキャリアと呼ばれるようなものに行き着くことはあるかもしれないけれど。

今年、私は、2人もの友人を亡くした。一人は今年の初めごろ、胃癌だった。50歳で亡くなった友人は、タバコはやらない人だし、3人のまだ幼い子供と奥さんを残して逝かなければならなかった。もう一人も50代で、白血病と類似する病気だったという。彼らと会って話ができること、彼らへ送ったメッセージに返事が来ること。そういう当たり前に思っていたことが、ある日突然できなくなってしまうこと、そして彼らがこの世界にいないということが自分の世界が変わってしまうような自分の存在感を揺るがすような出来事であっても、それでも世間は、世界は何もなかったようにいつも通り続いていくこと。

だから生きているということは奇跡で、「生き残る」ためだけに使うよりも、きちんと「生き」たい。

ここ数ヶ月、ジムへ行くまでの道でよくBIG ISSUE(ホームレスの自立支援のための雑誌)を購入する。450円の雑誌を1冊売る毎に、販売員の方には200円程が収入になる仕組みらしい。私がお釣りはいいですと500円玉を渡すと、「大切に使わせてもらいます」という返事が返ってくる。そのBIG ISSUEの最新号に、作家の西加奈子のインタビューが載っていた。「選ぶということは選ばなかった方を捨てるというふうに考えがちだけれど、本当は、選ばなかったほうに支えられるということもある」。正確な文言は覚えていないけれど、そんな趣旨のインタビューだった。

そう、だから、とにかく、前を向く。楽しく過ごせる方法を探し、見つけ、創造し実行していく。自分の周りに溢れている美しいものを愛でる。多くを望まない。けれど妥協はしない。

2021年の抱負。
(1) 前を向く。晴れの日は晴れを愛し、雨の日も雨を愛す。
(2) 美しいものに触れ、自由と感性を大切にする。
(3) 自分の理想を描いていく。楽しいことを創り、実行していく。