2015年4月23日木曜日

見えない天井はどこにある?


数年前、ミャンマーでインターンシップをしていた頃の経験を基に書いた記事がある。


「政府の目はどこにある?」

検閲から解放されたはずのミャンマー市民が、いかにその影から逃げられずにいるかという話。

「検閲」というものが物理的になくなっていたとしても、長年縛られてきたものを心理的に拭い去るには時間と度胸が必要なのだ。




日本社会はずっと、「ガラスの天井」があると言われてきた。

※「ガラスの天井」=(glass ceiling)
組織内で昇進に値する人材が、性別や人種などを理由に低い地位に甘んじることを強いられている不当な状態を、キャリアアップを阻む“見えない天井”になぞらえた比喩表現。

この言葉は特に女性の社会進出、昇進の厳しさを表す言葉として使われてきた。

実際にガラスの天井があって、上にいこうとする意欲のある女性が頭打ちになった時代もあったんだと思う。今でも、実際にそれが現実であるコミュニティーや会社、社会もあると思う。

でも、今の日本では、世界では、ガラスの天井はだんだんと破られてきているのではないか。

実際に、未だにガラスの天井があるのはどれくらいのコミュニティーなのだろう。

ガラスの天井という「ガラスの」と言われるのは、それが見えないことの比喩表現である。

見えないのなら、どうして、そこにまだあるのかないのかわかるのだろう。

私たちの先人がその「見えない」天井に頭打ちになっているのをみて、私たちは自身の頭の中に別の「見えない」天井を作ったのではないか。

本当にそのガラスの天井が今でも存在するとしたら、それは誰が確認したのだろう?

存在の是非を確認するには、誰かが頭を打つ覚悟で上に行く他にないのではないだろうか?

もしかしたら、そのままひょいっと、上にいけてしまうのかもしれない。

そしたらそれを見ていた他の女性も、きっと上に行ってみようという気になるのだろう。

実際に「confidence gap」という研究結果がある。
http://www.theatlantic.com/features/archive/2014/04/the-confidence-gap/359815/
(英語記事。長いです)

一部抜粋
"A review of personnel records found that women working at HP applied for a promotion only when they believed they met 100 percent of the qualifications listed for the job. Men were happy to apply when they thought they could meet 60 percent of the job requirements. "


「HP(ヒューレット・パッカード)社員の個人データの集積によると、女性社員はあるポジションが求める要件の100%を満たしていると確信した時にしか昇進願いを出さないことがわかった。それに対して男性社員は、要件の60%を満たしていれば意気揚々と昇進願いを出したという。」

つまり、能力のあるなし、結果がどうなるかに関わらず、女性は男性に比べてまずトライをする自信が少ないのである。それは、彼女たちの頭の中には見えない天井があるからなのではないだろうか。




今、私自身が日本社会で若い母親として過ごして感じるのは、ここではガラスの天井どころか「ガラスの箱」の中に閉じ込められている(と感じている)女性・母親が多いということ。

誰かがひょいっとでてしまえば他の人ももう少し自由になれるものを、画一的な社会や生き方がよしとされる日本社会ではなかなか、出る杭になって出て行こうとする人も少ない。

「母親なんだから」「女なんだから」「もう歳なんだから」

そんなガラスの壁たちを自分の周りに張り巡らせているのは、社会でもなく、男性でもなく、彼女たち自身なのではないだろうか。




と言っているのは、私自身がつい最近、自分で作っていたガラスの壁に気づいたからでもある。

私は名声とか地位とかは気にしない方なので、上に行きたい、(だから天井が気になる)というよりは、自分たちの(私と、娘の)世界を広げたい(だから壁が気になる)という欲望がある。

母親になっても、何歳になっても、その欲望は志として持っておきたいな、と思っていた。というのも、娘にも大きなスケールで世界をみていてほしかったから。

だから、娘ができてからも、妊娠中はミャンマーやアメリカに行き、名古屋で勉強しながら、夏はヨーロッパで過ごし、研究もオランダやインドネシアと名古屋を行き来しながら、機会があればフィリピンでインターンシップをしたり、東京に出かけたりと、他の母親や学生に言わせると「クレイジー」なくらい飛び回っていた。

そうしているうちに、名古屋での修士課程も終わる。論文を書きながら、その後のこともいろいろ考える。

博士課程に進むにしても、名古屋にいる必要はないという太っ腹なプログラムと、理解のある指導教官に恵まれているため、どこに住んで何をするかという選択肢は無限にある。

フランス、オランダ、インドネシア、アメリカ、イギリス、東京・・・。

その時、私は、いろいろな条件(保育園とか、金銭面とか)を考えた上での「できること」から「可能な選択肢」を見出し、そこからどの選択肢にしようかという方法で決めていたのだ。

私が勝手に持っている持論の中の1つに、「誰と過ごしたいか」(who)がわかっていれば、「どうやって」(how)は自然とついてくる、というのがある。だから例えば、遠距離恋愛だってへっちゃらだと思っている。

それならやりたいことだって一緒なはずじゃないか。なぜ、(自分のため、娘のため含めて)「やりたいこと」(what)から「どうすればそれができるか」(how))を考えていないのか。

それを気づかせてくれたのは、パートナーだった。

「でも、この選択肢だと保育園がどうなるかわかんないし」「名古屋でいれば安心安泰だし楽しくやれるし」

などと言っている私に喝を入れてくれ、「娘にとっていい道と、自分のキャリアと幸せにとっていい道」を両立できる「やりたいこと」を考えることからまずはじめて、そこから「それをするにはどうすればいいか」を考えることを思い出させてくれたのは彼だった。



「やりたいこと」から考えた結果がどうなるかはまだわからない。けど、少なくとも今の私の周りには、もうガラスの壁はないし、私がそのガラスの壁を突っ切っていく(実際にないんだから、「突っ切る」とも言わない?)ことで、同じような壁をみていた他の人にも、「勇気を与えられるような存在」になれればいいなと思う。

そして、こうやって「型」をやぶっていく女性、母親は、絶対に私だけじゃないから、そういう人たちに目を向けて、どんどん自分の頭の中の壁を壊していけばいいと思う。

そして、そんな型破りな人たちは、マイノリティーになることや、一部からの反発を恐れずに、どんどん発信していってほしいと思う。

2015年3月31日火曜日

子育てが大変なのは悪いこと?




この動画をみて、ふと気づいたことがあった。

ああ、私は頑張っていたんだ。
そして何より、頑張っていることをみんなに見せないように必死になっていたんだ、と。

そして、頑張っているところを見せたくなかったのは、きっと「子育ては大変」というネガティブなイメージを払拭したかったからなんだろうと思う。
「勉強との両立なんて大変だね〜」と言われるのが嫌だったから、人一倍効率的にやってきたし、「子供ができるとやっぱり自由と時間がなくなるんだね」と思われるのが嫌だったから、今まで通り外にもでかけたし、自分の時間もとるように心がけてた。

先日、ふと参加したイベントでたまたま会った人と話していた時に、彼が「子供をもつと幸せ度が下がるという統計結果がある」と、自分が子供を持つつもりがない理由として話していた。
社会学者として、そして一人の母親として、その統計の方法とサンプルの選び方と質問の仕方と結果を全部まとめて見せてから言いなさいと思ったけれど、そこで異常に反発(心の中でだけれど)している自分に気がついた。

子育てで大変な思いをすること=不幸せ 
という公式ができているような気がするのは私だけだろうか?
そして、そんな公式ができてしまっているのはなぜなんだろうか?

例えば、アスリートが寝る間も惜しんで、怪我なんかもしながら、他のことを全て犠牲にして練習する大変さは、「努力」として評価の対象になる。
もっと身近な例でいうと、高校の部活に情熱を注いで大変な練習を乗り越えていることは、みんなからの賞賛の対象だった。実際に私は中高テニス部で、テニス以外のことをしている時は食べている時か寝ている時かお風呂に入っている時くらいしかない、というような生活をしていた。その時は、本当に大変だったし、しょっちゅう泣いていたし、身なりなんて気にしている暇もなかった。でも、その時は周りの皆は「努力の証」として見ていた。

実際に、何かを成し遂げようと思ったら、それがどんなことであろうとも、大変なことや苦労は避けて通れない。成功も、達成も、充実感も、その大変さがあるからこそ価値のあるものになる。

それが、なぜ子育ての大変さとなると、子育て中のママが疲れていたり、寝ていなかったり、身なりを気にしていかなったりすると、「不幸せ」のイメージがつきまとうのだろう?

ひとつの違いとして思いついたのは、子育ては他のことと違って「途中放棄」ができないということだった。
他のこと、例えば部活の例だったら、辞めようと思えばいつでも辞められる。ということは、大変な思いをしながらも続けているのは、自分の意思と決断でしているということだ。
それと違って、子育ては途中でやめられないからいつの間にか「義務」とみなされるようになるのだろうか?

そういえば最近読んだ本の中に、「選択の科学」というものがあった。
その本の中で紹介されていた数ある実験の中の1つの結果に、「人は自分で選んでやっているわけではないと感じている物事をする時に、選んでいないということ自体に不幸感を感じる」というものがあった。

でも、子育ても、強制されてやっているわけじゃない。ほとんどの人が、産みたい、産もうと思って決断して産んだはず。なら、その決断を自分の選択として自信を持っていいはずではないか。

最近では、子育ての大変な面が異常にクローズアップされて、政府の子育支援・出生率上昇政策はその大変さを軽減するためのものばっかりだ。
たしかに、子育ては楽じゃない。それは自信を持って言える。
でも、子供をもつことは、子供をもってからしかわからない(少なくとも、私は子供をもつまでわからなかった)楽しさと、その苦労が全部ふっとぶような幸せを感じる瞬間がある。
それは、保育園にお迎えに行ったときに私の顔をみて「ママー!」と満面の笑みで走って来る娘を見た時だったり、彼女がもっているみかんの半分を「ママも!」と差し出してくれた時だったり、絵本を読みながら膝の上で寝てしまった寝顔を見ている時だったり。

自分の強みも弱みもわかったうえで、どちらもさらけだして「これが私で、そんな私が私は好きなの」と言える人はきもちいい。
それなら私は、子育ての大変さも楽しさも包み隠さず見せて、「子育てって、めっちゃ大変だけど、めっちゃ楽しいから、そんなふうに子供をもてることが本当に幸せ」って言えるようになろう。

2014年12月31日水曜日

2014年の振り返りと2015年の抱負。


Pelabuhanratu(女王の海)のビーチでの夕日。



インドネシアの交通渋滞は、自他ともに認める社会問題である。


人々は、常に渋滞状況を考慮に入れて行動しなければならないし、渋滞のせいで遅刻なんて日常茶飯事(もはや本当に渋滞のせいなのか、渋滞が言い訳に使われているのかわからない)、ジャカルタの人が早起きなのも渋滞を避けるためだそうだ。

でも、実は私は渋滞が嫌いじゃない。

というのも、渋滞に巻き込まれた交通機関の中では、「考える」こと以外にできることがないから。

乗り物酔いをしない人は、ガタガタ揺れるバスの中だって本を読んだりできるのかもしれないが、三半規管が敏感な私では5分でダウンしてしまう。

だから、常に生産的なことをしていたい私も、この状況には逆らえない。じっとしてじっくり考え事ができる、かなり贅沢な時間なのだ。

最後のインタビューを終え、ガタガタ揺れるバスの中で7時間、年末にいつもしようと心がけている今年の振り返りと来年の目標設定をしていた。



今年は、試行錯誤の年だった。

は、親になると、1人から、ふたでひとりになる。

ひとりふたりになると、今までの自分のあり方を一度壊さなければいけなくなる。

自分のアイデンティティーを、一から作り直すような感覚だ。

特に子供が小さいうちは、どこにいくのも子供と一緒だし、一緒でない時も、人は子供と自身の2人を「セット」としてみる。

保育園にいくと先生達はみな「○○ちゃんのお母さん」と呼ぶし、大学に行くとまず「○○(娘の名前)元気?」と尋ねてくれる。

振る舞いも、頭の中も、計画だって、親になる前の「私」がしていたようでは通用しない。

今年は、そんな自分に戸惑いながら、失敗ながら学び、少しづつ土台のようなものを築きあげた年だった。

新しい土地で、一から人間関係と信頼を築いた年でもあった。

来年は、その築いた土台から、飛躍する年にしたい。

ということで今年の抱負。


1)アグレッシブにいく。
こんなことを抱負にあげると、「アグレッシブは十分だから、ちょっとは落ち着け。子供もいるんだし。」という声が聞こえてきそうだけど・・・
 子供がいることで、守りの態勢に入りがちだからこそ、あえて自分にこれを言い聞かせたいと思う。

2)自分に正直になって、自分を理解する。
最近になって、自分のことを理解することが、選択だらけの人生において自分の道を歩むために大切で、同時に難しいことであることにも気づいた。
自分のいる環境、周りにいる人に順応、適応する努力も必要だけど、嫌いなものは嫌い、違和感は違和感、と自分に正直になることは自分を理解するために必要なことだと思う。

3)他人にポシティブフィードバックをする。
私は他人を理解するのが好きで、努力しなくてもポジティブな面と、同時にネガティブな面が見えてしまうことが多い。今年はこの能力をうまく使いたい。
ポジティブなことは、照れずに意識的に相手に伝える。
ネガティブなことは、必要なときは相手にとって効果的な言い方を考えて伝える。

4)生活はシンプルに。
優先順位の低いものはできるだけシンプルにしてルーティーン化する。
そうすることで優先順位の高い大切なことに集中できる。



また半年先にどこにいるかわからないような生活をしていますが、離れていても、どこにいても、自分にとって大切な人を大切にできるようにしたいと思っています。2015年もよろしくお願いします。

2014年12月19日金曜日

変わることと進むこと


5年ぶりのインドネシアに向かう飛行機でこれを書いている。

関空で搭乗時間ギリギリまで母と他愛ない話をし、駆け足でゲートに向かいながら、胸の中に小さな不安を感じた。

この不安のはっきりした理由はわからないが、5年ぶりに同じ土地に舞い戻るということは5年前の自分と今の自分との違いを直視しなければいけないということであり、そして自分でそれを知る良い機会であるように感じた。

5年前、初めての海外長期滞在の地として降り立ったジャカルタは、無垢だった私にとって新鮮でこの上なく刺激的だった。

英語は日常会話レベルも怪しかったので、電子辞書を持ち歩き、それを使いながらなんとか同僚たちと会話した。

ホストファミリーとの食事では、英語が堪能なホストブラザーたちが発する英語のジョークがわからずに、申し訳ない気持ちになった。

語学もままならず、スキルも知識もなかった大学1年生の私は、それでも自分にできることは何かを必死に考え、日本の四大公害病である水俣病のポスターをまるめて持って行った。そして、水俣病を通して環境啓発をしようと水俣展を企画した。

そういえば、そのとき、自分にもっとスキルがあれば、もっと知識があれば、専門があれば、人に助けてもらうだけじゃなくて人に役立つことができるのに、と思ったのが、それから学問を続け、留学もした理由だった。

そして今気がつけば、研究者としての道を選びインドネシア法を専門にしようとしている。

研究者として、どうしたら社会に貢献できる研究ができるのか。

これはマスターコースに入ってからずっと問い続けてきた問いである。

私は研究という行為が好きだと思う。

机に座って、本を読み、頭で考え、書くことが好きだし、自分のやりたいことを、価値があると思うことを自分の裁量でできるところが自分に合っていると思う。

ただ最近、研究者でいるだけでは物足りない、と感じている。

教授方にはまだ研究者として一人前でもないのに生意気な、と言われるかもしれないが、研究をしているだけでは満足できない。

私は自分の研究を活かして、直接的な支援がしたい。

国際社会は当たり前のように、「child marriageは撲滅すべきだ」というけれど、それは西洋中心にした1つの物差しでみた価値観なのではないか。

当たり前と思いがちなことを当たり前にせず、本当に当事者が、そしてその社会・コミュニティが必要なことを理解して、彼女がそれらを得られるように手助けをしたい。


こんなことを考えながら、あと数時間でジャカルタに降り立つわけだが、空港にもホストシスターが迎えに来てくれるというし、フィールドワークに際しても現地のアシスタントが同行してくれるし、手助けをするどころか助けを十分過ぎるくらい受けて今回の滞在が成立している。

今回受ける恩を返せるような研究にしなければ。と、機内でもらったKOMPAS(インドネシアの全国紙)から単語をひろいながら、読み進める。



2014年11月28日金曜日

助けてもらうこと




新しい土地名古屋での生活を始めてからもう1年がたつ。

それ以前の数年間は外国へ行っては日本に帰って来て、数ヶ月滞在してはまた別のところへ行く、という生活をしていたので、こうやって自分の「ホーム」みたいな場所ができることは新鮮で、嬉しい。

18年間関西を出たことがなかった私が、東京で一人暮らしを始め、オランダで1年弱勉強し、こうして今は名古屋にいる。

信頼のおける友達や知り合いがいて、お気に入りの場所がある、そんな「ホーム」が増えていくのが嬉しいし、自分は恵まれているなあと実感する。

特に、子供がいると「ホーム」をつくることは大事になるのかもしれない。

名古屋での生活を始めた時は、知り合いも友達もおらず、いざという時に頼れる人がいなかった。

今では、友達、クラスメイト、一緒に住んでいる人たち、ご近所ママさんなど、いざという時に助けてくれそうな人に囲まれている。この安心感は私たちにとって大きなものだと思う。

土日の研究会で娘を連れて行けない時にベビーシットしてくれる友人も。

私も娘も風邪でダウンしていた時に電話をかけたら駆けつけてくれる友人も。



今、大学で共同研究のプロジェクトを進めている。メンバーはウズベキスタン人、台湾人、中国人、バングラデシュ人、そして私を含め日本人が2人。
以前、研究発表の都合で急遽、土曜日にミーティングを入れなければならないことになった。しかもそれが決まったのは金曜日。

もともと土日は基本的に娘との時間と決めていることもあり、娘を連れてミーティングに行くことに決めた。もちろん、メンバーの許可をとって。

すると、面白いことがおこった。

ミーティングをしている間、いつの間にかみんなが代わる代わる娘の面倒をみてくれているのだ。

私がディスカッションをリードしている時は、それを聞きながら娘をだっこしてくれている人がいる。

私が議論に夢中になっている時は、娘が椅子から落ちないか気を配ってくれている人がいる。

挙げ句の果てには、通りかかった研究チーム外の友達が、娘をみて「遊んで来て良い?」と言って娘を連れ出してくれた。

30分くらいだっただろうか。ミーティングも大詰めで、みんなも疲れて来ているときだったので、本当に助かった。

それまで娘と何度も会っている人たちだからか、娘もいやがることなく代わる代わる抱かれていた。

もちろん、こんな風にうまくいかない場面の方が多いだろうから、場面、その仕事の重大さ、周りの人たちとの関係、娘のこと、いろいろなことを考慮して決めなければいけないことだと思う。

でもこうやっていざというときに助けてくれる友達ができたのはとても貴重なことだし、そういう関係を築けたという事実が自信にも繋がった。



「助けて」と言うことは、自分ができることとできないことを明確に理解し、さらに他人を信用して仕事を委ねることができることに等しい、と思う。

私は、基本的に人に助けてというのが苦手だ。

1つには、その人に割いてもらう労力、時間に値するほどの価値のあるものなのか、と考えてしまうこと。例えば、悩んでいることがあってもなかなか他人に相談する、ということに踏み出せないのはこの理由がある。

2つ目は、自分は一人でできる、と信じたいから。自分にはそれだけの力があると信じたいからだと思う。

でも、一人でできることなんてしれているのかもしれない。

自分でベストを尽くして、できるところまでやってみて、それでもだめなら助けを求めてもいいじゃないか。

そうして助けてもらった分は、いつか返せばいい。

その助けてくれた本人に返せなくても、自分の周りの人に、自分ができるときにできることで返していけばいい。

最近亡くなった私の祖父は、よく「人生は借りを返すために生きていくようなもんだ」と言っていた。情にあつく、人間関係を一番に大事にする人だった。それで若い頃に始めた小さな薬局を大きくし、成功を納め、今ではその薬局は大きな組織になり私の母を含めた祖父の子供たちに受け継がれている。



テニスも、ダブルスよりシングルスの方が好きだった。

今でも何においても個人プレー派だけれど、子供が産まれたことで「助けて」と言わなければならない状況におかれることも増えた。

自分のバウンダリーを広げて、少しづつチームプレーも学ぶ時なのかもしれない。

2014年9月28日日曜日

違いと、多様性と、寛容性

ライデンでの研究が終わった。

怒濤の5週間だった。

どうやってこの5週間を最大限に活用しようか、と常に自分に問いかけながらの滞在だった。

この滞在で、他の国でも娘と研究を両立できるという自信がついたし、それにやっぱりライデンで研究したいという気持ちが確信になった。

研究のためのベストの環境だというのがひとつ。

もうひとつは、ライデンというか、オランダというか、ヨーロッパというか、の居心地の良さだと思う。

私は生粋の日本人だし、私の国はなんだかんだいって日本だと思っているし、私の故郷は家族のいる、そして私が18年間過ごした関西だ。

毎回海外から帰る旅に日本食とお風呂の素晴らしさに感動するし、日本が嫌いなわけでは全くない。

ただ、なんだか居心地の悪さを感じることがある。

それは日本にいる時に感じるのではなくって、外に出た時に、「ああ、私は今まで何かに縛られていたんだな」という「開放感」を感じることがある。

その理由を考えているうちに、日本社会のもつ「スタンダード」にそぐわなくてはならないというプレッシャーに気づいた。

特に私のように日本では「マイノリティ」なステータスや性格(というか態度、行動?)を持っていると、その社会的プレッシャーは 自分でも知らないうちに負担になっているんだなあと気づかされる。

その点、オランダでは多様性、違いを尊重する文化がある。

だから、私の変わったプロフィールでも、その枠でではなく、私を個人としてみてもらえているような気がした。

研究の現場では、私が若いとか、女だとか、母親だとか、関係なく、私が考えていること、やっていること、やりたいこと、そういったものだけをベースに純粋に評価してもらえた。

これが国民性の違いだとかいう一般化はしたくないし、もちろんこれは私が感じていることだから他の要因も関係しているのだと思う。


けど、日本は、日本人は、一度、「違い、多様性に対する寛容性」について考える価値はあると思う。

前にお世話になっている年上のオランダ人の人に「日本に必要なものは何だと思う?」と聞かれた時に、「diversity(多様性)」だと即答していた私を思い出す。

違いを認めるのは規模や程度の大きさに関らず、容易なことではない。

この世界には、それ(違いをただ違いとして認めること)ができれば解決される紛争や問題がたくさんあるような気がする。

私だって完璧にできているわけじゃない。

娘の育て方の方針とかいったことで、娘のフランスの家族と意見が違うことだって多い。(この前も、寝かしつけ方のことで口論になった)

クラスメイト(私のプログラムは半分以上が外国人だ)や共同研究者(オランダ人)と一緒に研究していると、違いに直面せざるをえない場面も多い。(ミーティングの仕方から、ものの言い方まで・・・)

でも、違いの認め方なんていうのは、こういう小さいこと、日常でおこることからクリアして、 学んでいけるものなんじゃないかと思っている。

2014年8月21日木曜日

オランダと娘と研究と

オランダに来ています。(写真は名古屋)

私はインドネシアの法律に関する研究をしていて、その研究のためにベストな場所は実はオランダのライデンというところなのです。

計5週間滞在する中の、今ちょうど半分過ぎたところ。

娘は、数日前からこちらのインターナショナル保育園(いろんな国籍の子がいて、先生も英語とオランダ語をしゃべるということでインターナショナルとついているらしい)に行き始め

なんとか毎日保育園での時間を過ごしているものの(先生によると、めっちゃいい子にしているらしい)

毎朝保育園に送り、私が出て行こうとすると大泣きする。

ママーと言いながらしがみついてくる娘を先生に預け、泣いてるところを見ながら

「本当はママも○○(娘の名前)と一緒にいたいんだけどね、ママお仕事なの。また夕方に迎えに来るからね。」

と言いながら保育園を出る。

気になって少し後で娘に気づかれないように見にいくと、けろっと先生に抱かれておとなしくしていることが多いのだけれど。



保育園で朝泣くのは普通のことだし、この環境にもすぐに慣れるだろうし、結果的には娘に良い経験・影響になることはわかってる。

でもやっぱり私自身がやりきれない時もある。

朝大泣きする娘をおいてオフィスに行くときは、

「娘との時間を犠牲にしてまでする価値のあることなのか」

なんて考えこんでしまう。




長時間保育園に預けている分、一緒にいる時間は思う存分甘えさせてあげようと思っている。

毎日、 夕食後には半時間くらい散歩にでかける。

最近は歩けるようになったので、私がだっこしようとしても「一人で歩ける!」とばかりにいやがって一人で歩いていったり。

こっちに行こう、とリードして手をつないでも「あっち!!!」と言って自分の行きたい方向へ歩いて行ったり。

ああ、こうやってだんだんと自立して、だんだんと私から離れていくんだな、こういうのを成長というんだな、と思う。

甘えさせてあげている、と言ったけれど、甘えさせてもらっているのは私の方なのかもしれない。

気づいたら、日中の研究のモチベーションは夕方の散歩になっているし。



私の大好きな人が、この言葉が好きなんだといって教えてくれた言葉がある。

師匠が悩んで相談をもちかけてきた弟子に対して言った

「悩んでいる暇があったら勉強しろ!」



「娘との時間を犠牲にしてまでする価値のあることなのか」

毎朝悩むくらいなら、その時間を今しかできないことに使おう。

「娘との時間を犠牲にしてまで価値のあることにする」ために研究するんだ。

オランダ滞在は残り半分。Let's make the best out of it.