5年ぶりのインドネシアに向かう飛行機でこれを書いている。
関空で搭乗時間ギリギリまで母と他愛ない話をし、駆け足でゲートに向かいながら、胸の中に小さな不安を感じた。
この不安のはっきりした理由はわからないが、5年ぶりに同じ土地に舞い戻るということは5年前の自分と今の自分との違いを直視しなければいけないということであり、そして自分でそれを知る良い機会であるように感じた。
5年前、初めての海外長期滞在の地として降り立ったジャカルタは、無垢だった私にとって新鮮でこの上なく刺激的だった。
英語は日常会話レベルも怪しかったので、電子辞書を持ち歩き、それを使いながらなんとか同僚たちと会話した。
ホストファミリーとの食事では、英語が堪能なホストブラザーたちが発する英語のジョークがわからずに、申し訳ない気持ちになった。
語学もままならず、スキルも知識もなかった大学1年生の私は、それでも自分にできることは何かを必死に考え、日本の四大公害病である水俣病のポスターをまるめて持って行った。そして、水俣病を通して環境啓発をしようと水俣展を企画した。
そういえば、そのとき、自分にもっとスキルがあれば、もっと知識があれば、専門があれば、人に助けてもらうだけじゃなくて人に役立つことができるのに、と思ったのが、それから学問を続け、留学もした理由だった。
そして今気がつけば、研究者としての道を選びインドネシア法を専門にしようとしている。
研究者として、どうしたら社会に貢献できる研究ができるのか。
これはマスターコースに入ってからずっと問い続けてきた問いである。
私は研究という行為が好きだと思う。
机に座って、本を読み、頭で考え、書くことが好きだし、自分のやりたいことを、価値があると思うことを自分の裁量でできるところが自分に合っていると思う。
ただ最近、研究者でいるだけでは物足りない、と感じている。
教授方にはまだ研究者として一人前でもないのに生意気な、と言われるかもしれないが、研究をしているだけでは満足できない。
私は自分の研究を活かして、直接的な支援がしたい。
国際社会は当たり前のように、「child marriageは撲滅すべきだ」というけれど、それは西洋中心にした1つの物差しでみた価値観なのではないか。
当たり前と思いがちなことを当たり前にせず、本当に当事者が、そしてその社会・コミュニティが必要なことを理解して、彼女がそれらを得られるように手助けをしたい。
こんなことを考えながら、あと数時間でジャカルタに降り立つわけだが、空港にもホストシスターが迎えに来てくれるというし、フィールドワークに際しても現地のアシスタントが同行してくれるし、手助けをするどころか助けを十分過ぎるくらい受けて今回の滞在が成立している。
今回受ける恩を返せるような研究にしなければ。と、機内でもらったKOMPAS(インドネシアの全国紙)から単語をひろいながら、読み進める。
0 件のコメント:
コメントを投稿