2016年12月31日土曜日

2016年の終わりと2017年の始まり





2016年は走り続けた年だった。


2−3年のうちに挑戦できたらいいかな、と思っていたようなポジションが気づいたら自分の手の中にあり、背伸びをしているような感覚で始めたライデンでのPhD。

背伸びをしながら、信頼して雇ってくれた上司や支えてくれた同僚の期待に応えられるように、と9ヶ月がむしゃらに走って研究をした。

そうしているうちに、周りの同僚からも少しづつ、認められているのがわかる。

一番感謝している指導教官(上司)から、「1年弱でこんなに発展したPhDは見た事がないし、その発展のプロセスに貢献できて幸せだ。この冬休みは、仕事をしないで、ゆっくり骨を休めなさい。」とあたたかいメールをもらい、今は一度、少しだけ立ち止まってみる時なのかなと思う。

また走り出すことのことを考えると立ち止まってしまうのは怖いけれど、今は娘というかけがえのない存在があって、自分の体も心も自分だけのものではないから、この3週間の休みは足と心を休める努力をしよう。

来年も、インドネシアでのフィールドワークがあったり、慌ただしく変化の多い年になる。 だからこそ、軸を決めて安定させられるところはさせたい。

2017年の目標

1)減らすこと。選択と集中。
たくさんのことを同時にしようとするのではなく、意識して選択して選んだものに集中する。しっかりした土壌作りをするには近道はないし、時間がかかるから、自分が選んだところを時間とエネルギーを費やして耕していきたい。それは研究もそうだけれど、人間関係も。

2)ぶれない。揺れない。
ぶれない軸をもつには、自分のことをもっと理解する必要がある。自分が好きなこと嫌いなこと、妥協できるところ受け入れられないところ、ほしいもの要らないもの、心地よいこと不快なもの、大事なものそこまで大事でないもの。そういうものの区別をして、些細なことには影響されないように。

3)日々の小さな幸せを噛みしめて感謝する。 
娘はもう3歳8ヶ月だけれど、一瞬の間に大きくなったような感覚だし、これからもこういう成長の速度は変わらないのだと思う。彼女ともそうだけれど、他の大切な人たちとも、今の瞬間を共にできるのは今しかないから、一緒に食べるごはんとか、毎日のお風呂の時間とか、絵本の時間、一つ一つ、丁寧に、大事にする。

Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever. (Mahatma Gandhi)
来年もいろんなところを転々とする予定ですが、大切な人は大切にして関係を紡いでいけますように。

2016年11月29日火曜日

冬の夜と、小包

 
今朝は、私たちがオランダに来てから初めて気温が零度を下回っていた。

道路には霜が張っていた。もしかしたら、朝方に降った雪の残りだったのかも。

あっという間に冬が来て、いつの間にか日も短くなり、夕方の5時にはもう真っ暗。

日が短くなるとみんな早いうちにいそいそと帰っていくようになる(オランダで早く帰る、というのは本当に早い。みんな10時に出勤で5時にはオフィスを出ている人がほとんど・・・)

できるだけ早くお迎えに・・・と思いながらも、仕事が多いのと楽しいのとで私がオフィスを出るのは大抵6時過ぎ。そうすると帰り道はもう真っ暗。

帰り際、先週「小包が届いていたけどいなかったので、ここまで取りに来てください」というような趣旨の(もちろん手紙類はオランダ語なので、だいたい当てずっぽうで読む)手紙が届いていたのを思い出し、郵便局にとりにいく。

愛知からの小包だった。

家に帰って開けてみると、コーヒーと、あんこと、写真と、絵葉書と、手紙が入っている。

「(・・・)正解のない決断ばかりかと思います。出産経験のない私が何を言うこともできませんが、私は⚪︎⚪︎さんの決断を応援します。世界で一人は、味方がいます。忘れないでください。(・・・)オランダでもどこでも、お二人は、お二人の道を。」

はじめは私がおんぶやだっこをしながら歩き始めた道だったけれど、今では娘も立派に一人で歩き、手を繋いで、ゆっくりでも、少しづつ前に進んでいる。

たった二人だけれど、それでも二人。心細くなる時もあるけど、困った時は喜んで手を差し伸べてくれる人に囲まれている感覚もある。

しばらく会ってなくてもこうやって気にかけてくれ、こんなに離れた場所からでも支えてもらえること、改めて実感する。

http://www.nytimes.com/2013/12/01/fashion/coming-out-as-a-modern-family-modern-love.html?_r=0

英語の記事だけれど、女性の「パートナー」がいることについて12歳の息子に告白する母親の話。話自体は正直共感できるところは多くないのだけれど、最後の一文が気に入っている。「Maybe, in the end, a modern family is just a more honest family.」

前例のない、正解のない道だけれど、自分に嘘をつかずに、難しいことから逃げずに、自分が正しいと思う道を歩んでいければいい、と思う。

今日は、シナモンとナツメグを使ったパンプキンスープを作って、明日の寒さに備えよう。




2016年11月16日水曜日

この一球は絶対無二の一球なり




最近、何かとスポーツをする機会に恵まれている。


期間限定でオーストラリアから来ている研究者のJは最高のテニスパートナーだし(同じくらいのレベルのプレーヤーで、しかも場所と時間が合う人を見つけることはなかなか難しい)、

職場のランチタイムを使ってスタッフ総出の卓球トーナメントが開催されていたり

他のPhDの学生と仕事終わりにスカッシュをする機会ができたり。

本当は、その仕事終わりの1時間も惜しいくらいやることが多いのだけれど、そういうストレスフルな時期こそスポーツをたまにするのは大事だと思って機会を見つけては参加している。



どんなスポーツでもそうだと思うけれど、自由に打ち合いをしている時と、試合でプレッシャーの下プレイする時では、打て方が全く変わってくる。

どう違うかというと、プレッシャー下でプレイする方が、遥かに思い通りに打てない。

つまり、勝ち負けが決まる試合をする時は、普段のレベルにプラスして、心を平静に保つこと、余計なことに気を散らさないことが必要とされるからだ。

毎日テニスに明け暮れていた頃、コーチがこう言っていた。

「練習で10回中10回入るまでになって、初めて試合でそれが入るようになる」

その時はテニス以外は頭になかったし生活のほぼ全てをテニスに捧げられたからそういうやり方もできたししていたけれど、今の生活ではもちろんそれはできないしやるつもりもない。

でも、試合となるとやっぱり負けたくはないので、それなりに頑張るのだけれど、同レベルくらいの相手と試合をすると、最初はリードしていてあと一歩で勝ちが見えるというところで、追いつかれるという自分のパターンに気づく。


なんでなんだろう、と考えていると一つのことに気づく。

一球一球をその一球だけに集中してプレイしていれば、リードしていても追いつかれてもプレイがぶれることはないはず。

リードしたとき、追いつかれている時に、先を想像したり、点数を気にするから、打ち方が変わってしまうのだ。


この一球は絶対無二の一球なり
されば心身を挙げて一打すべし
この一球一打に技を磨き体力を鍛え
精神力を養うべきなり
この一打に今の自己を発揮すべし
これを庭球する心という


もともと福田雅之助というテニス選手が残した言葉なのだけれど、テニス選手の間では語り継がれている有名な言葉。

この言葉がすごく好きで、大切な試合の前には全文を呟いていた。試合中にもプレッシャーに負けそうになった時には、最初の一文を呪文のように唱えていた。




人生にも同じことが言えると思う。

この一日は、絶対無二の一日なり

この一日に今の自己を発揮すべし



不安なことはいっぱいあるけれど、後でも考えられることは今は忘れてもいい。

3歳7ヶ月28日目の娘と一緒に過ごせるのは、今日しかないから。3歳の娘と一緒に過ごせるのは365日しかないから。

4年間しかないPhDは、1日1日が大事だから。

いっぱいいっぱいで生きていても(もうこれは否定できない)、一日一日を丁寧に大切に生きることはできるから。

2016年10月13日木曜日

ホーム


オランダは夏が終わったと思ったらもう冬が来たような気候で。

日も短くなり、仕事場を出る6時頃にはもう薄暗く、朝も私たちを自然の光で起こしてくれていた朝日が出るのは8時頃。

私の目覚まし時計である娘の起床が少し遅くなったので、私も以前より少し遅くベッドをでて朝食の準備をする。

最初の頃は不安そうで嫌がっていた保育園も、先生にも慣れ、友達も増え、言語も話せるようになった今は楽しみにして行っている(もちろん、まだたまに「ママがいい〜〜〜」と泣くけれど)。

私も、「気のおける」友達が増え、職場でもやっと自信と手応えがついてきた。同僚が集まる場で発言するのも怖くて自信がなかった、自信がなかったから無理をして長時間オフィスに残っていた最初の頃と比べたら、かなりの進歩。

PhDの3年目くらいにできたらいいな、と思っていた講義も、なんだか突然任されて修士の学生を相手に講義をしてみたり

職場の機関の小さなプロジェクトを任されたり

無理して話題を探さなくても気軽に立ち話をできる(始めの頃は立ち話がすごく苦手だった)同僚が増えたり

そんな小さなことが心地よくて、嬉しい。

朝自転車に乗りながら、河川の近くにいるアヒルたちが何をしているのか娘と話したり

夕方はいろんな色に染まる空をみながら、「きれいだね〜」と何色がみえるか話あったり

きっと質素でシンプルな生活だけど、それがとても心地よくて幸せで。

ブレイクスルー、というか、あ、最初の山、とりあえず登りきったな、という感じがする。

ほっとする間もなく、インドネシアでのフィールドワークの準備を始めなければならない。

家を決めて、シッターさんやお手伝いさんを探して、学校の手続き、ビザ、保険や予防接種・・・・

オランダに来るためにしていた準備と同じように、また山積みの「不確定事項、要検討事項」。

は〜せっかくこの土地に慣れてきたのに、また引越しかあ。

というのが本音。でも、これは私の研究のために必要なことで、それは前からわかっていたこと。わかっていて、それでも娘を連れていくと決めたのは、私で、準備が何倍も大変になっても、その決断は全く後悔していない。

でも正直、保育園のお迎えの時に、仲のいい友達に「バイバイ〜!」といってハグをしにいくのをみたり、オランダ語や英語をうれしそうに話しているのをみると、

あ〜また新しい土地で新しい学校、新しい言語にさらされるの、かわいそうかもしれない

という思いがよぎる。

同じように移動が多い研究者の先輩ママさんが息子さんのことを「最初は誰にでもすっごくフレンドリーなんだけど、彼は誰に対してもあるところで壁をつくるみたい。」と言っていたのを思い出す。

彼女にとって「安心できる」人間関係や場所は、果たしてできるのだろうか・・・。

そんなことを考えていると、なんだか見透かしたように娘が家の話をし始める。

「インドネシアのお家の話?」と聞く私に「うん!」と答える娘。

「クリスマスはぱぷう達とパリでお祝いして、それから日本に帰ってばあば達と会って、それからママとはインドネシアにいくんだよ。大丈夫?怖くない?楽しみ?」

「うん!それで?」笑顔で聞く娘。

「それから、またオランダに戻ってくるよ。」

「わかった〜!」とまた笑顔の娘。

ああ、そうだった。

ヨーロッパにいるパパに娘を任せて一人でフィールドワークに行く選択肢もあったのに、それでも連れていくと決めた時、場所や友達や言語が変わっても、私自身が娘の「ホーム」でいようと決めたんだった。

娘の笑顔に、「ママと一緒なんでしょ?だったら大丈夫!」という言葉を見た気がした。

2016年9月21日水曜日

ベルギー:ビーチ、ビールと学会



1年ほど前に参加を決め、半年ほど前から発表のための論文に取り組みあたためてきた学会が終わった。

ベルギーでの開催なので、パリからフランスのおじいちゃんおばあちゃんに来てもらい、学会の数日間娘と一緒に過ごしてもらうことに。

協力的な家族が遠くないヨーロッパにいることと、他の人に預けても柔軟に楽しんでくれる娘に感謝。「私だけでなく、多くの人に愛されて育ってほしい」という一心で、 毎週スカイプをしたりしてフランスの家族と娘の関係をあたためてきたけれど、こうやって私が一緒に居られない時に彼らだけで時間を存分に楽しんでくれるので、面倒なこともあったけど頑張ってよかったなあと思う。

親しんでいる言語の数とか、産まれてから今まで飛行機に乗った(いわゆる移動の)数とかを差し置いても、関わる人の数においても彼女は特殊な環境で育っていると思う。

日本の家族、フランスの家族との関係はもちろん、名古屋にいる時も今も、友達や同僚、教授や上司とご飯を食べに行ったりする時も、彼女を連れて行っている。

私一人だから、連れて行く以外に選択肢がないといえばそうなのだけれど。

でも、こうやって彼女を含めた友人関係を築くことで、「関係をあたためる」ということを意識してするようになった。それにあたためたひとつひとつの関係は、より深く、大切で、長持ちするものになった。これは、彼女のおかげ。


 ベルギーの学会の話に戻る。学会後、フランスのおじいちゃんに「学会はどうだった?」と聞かれ、「すごくためになった、(娘の名前)をみてくれていて本当にありがとう。でも、英語をもっと勉強しなければいけないと、痛感した。 語彙もそうだし、自分の複雑な考えをシンプルにわかりやすく説明できるくらいのレベルの言語力がほしいと、他の発表者を見ていて思った。」

実際、英語が「何をしても困らない程度」にできるようになってから、フランス語やインドネシア語の勉強を優先して英語の勉強がおろそかになっていたのだけれど、こっちに来てからは自分の英語力もまだまだ足りないことを実感していた。書くことにおいても、話すことにおいても、言葉を自由に操り自分の考えを明確に表現する、ということをゴールにすると、必要な語彙力もぐっとあがる。

でも、そういうとフランスのおじいちゃんは「自分が10年後、20年後、30年後に、同じような会議で彼らと同じようなレベルで発表できるようになることを目指せばいいじゃない。」という。

そうだ、そうだ。

私は、会議の発表者でもたぶん最年少、今の研究機関で働いている人の中でも最年少で、ふだん何十年も歳が離れた人たちと仕事や話をしている。経験値も知識量も違うのは当たり前なのだけれど、私の職場(というより職種?)では上下関係がなくあまりにもフラットなので、思わず忘れてしまう。

そうそう、うんと上を見て、ずっとずっと前にあるゴールを見るのもいいけれど、気が遠くなってしまったら、足元を見て、一歩一歩歩いているのを確かめればいい。私が前に見ている人たちも、そこにいるのはこうやって一歩一歩を積み重ねてきた結果なのだから。

2016年8月31日水曜日

楽と幸せ

こちらの職場では、誕生日を迎えた人がオフィスに何か甘いもの、ケーキやらクッキーやらを持ってくる、という習慣がある。

私は誕生日をインドネシアで迎えたので、オランダのオフィスに帰って来て何も持っていかなくても誰も文句を言う人はいないのだけれど、毎週のように誰かの誕生日にあやかってオフィスで糖分を摂取しているので、一度くらい何かつくって今までの分(そしてこれからの分)のお返しをしようと思ってデーツケーキをつくった。

ケーキといっても、焼くのではなく、バターとハチミツで似たデーツに、砕いたビスケットとクルミをまぜて型に入れ、冷蔵庫で固めてから四角に切るだけ。あと、細かいココナッツを上からまぶして食べる。

シンプルで、甘すぎず、持ち運びもしやすい、お気に入りのレシピ。


「先月誕生日でした。デーツケーキを休憩室に置いておいたので、食べてください。」とメーリングリストに流すと、仲のいい同僚たちから一言のメールが返ってくる。

たまにランチを一緒に食べる同僚のY(3児の母で、若く見えるけどたぶん40代)が、いち早く「おめでとう!何歳になったの?」とメールをくれたので、「I became 26! (When I say this to people they usually get totally surprised – I know, I look older! J)」返すと、Yは私のオフィスまで降りてきて「Not older, you look wiser!」と言ってハグをくれる。

指導教官にも、「改めて考えると本当に若くして産んだんだね。It’s like you needed to be grown up so quickly!」と言われたことを思い出す。

娘を産む前から実年齢より年上に見られることが多かったけれど、産んだ後は年齢を言った時の周りの驚きの程度が明らかに上がった。

23歳で子供を持った時、周りの30代40代のお母さんたちに囲まれながら、「 今まではまだ若いからという理由でチヤホヤされたり、大目にみてもらえるところもあったけれど、子供にとっては、20歳のママも、30歳のママも、40歳のママもみな同じ一人のママだ。これからは年上のママと比べて『足りない』ところがないように人間として強く、成長しなければ」と思ったのを覚えている。


名古屋にいる時も、一緒に時間を過ごす友達は年上の人たちが多かったけれど、ライデンに来てからさらに友人の平均年齢があがった。まず職場の同僚たちがほぼ全員年上、というのも大きい。

一緒に論文を書いたり、プロジェクトを一緒に進める一番親しい同僚は、たしかもうすぐ60歳。(といっても、オランダ人の60歳はまだまだ信じられないくらいパワフルで活動的)ランチをよく一緒に食べる同僚たちは、たぶん40代。職場でよく集まる比較的若いグループも、30代前半が多いと思う。職場以外の友人も、同年代はいない気がする。

こうやって、経験も知識も豊富で、人間的にも深みのある人たちと時間を過ごせるのは、本当にありがたいことだと思っている。

ちょっとやそっとのことがあっても、まずあたふたすることも少なくなったし、自分では処理しきれないことがあっても相談すると経験に基づいたアドバイスをくれる人たちがいて、何があってもこわくない、というような気持ちでいる。

でも、こわいものがなくても、寂しい気持ちになることはたまにある。

若い母親、というだけでなく、シングルマザー、ハーフの子を持ち、言葉も話せない外国に住み、研究といっても学生で。

こうやってみると私はマイノリティーのオンパレードだ。

大学を出て、いい会社に入って、たまに海外出張なんかしながら、何年か結婚相手に相応しい人を探して、結婚して何年かしてからキャリアも積んだ頃に子供をつくって、日本のどこかに家を買って定住して・・・

という、敷かれたレールを、他の人と歩調を揃えながら歩いてきていたら、どれだけ楽だろう、と思う。

どんなに友人、家族、同僚、パートナーに恵まれていても、自分と「同じような」道を歩んでいる人は周りにいない。

ふと気づくと周りには誰もいなくって、たまに孤独感に襲われる時がある。



こんなことを徒然書きながら 、新聞記事のためのインタビューを受けた時、自分が言った言葉を思い出す。「楽と幸せは違う」

たしかに、私が選んで歩いてきた人生は、決して楽なものじゃない。

雨の中自転車で出勤し、娘は保育園で「ママと一緒がいい〜」と泣き、論文の締切も近く、職場でも自分の知識のなさを実感し、 税金を納めるための書類が全てオランダ語で送られてきたようなタイミングの悪い日なんかがあれば、「なんでここでこんなに大変な思いして頑張ってるんやろう」と思うこともある。

でも、ここに来てから、一日として、「ああ、幸せだなあ」と感じなかった日はない。

2016年8月30日火曜日

研究をする理由とモチベーション

ジャカルタにいると、ライデンからの同僚と一緒になることが多い(みんなフィールドワークや、文献調査、プロジェクトでこっちに短期間で来ている期間が重なる)。

そんな 同僚と一緒にご飯を食べている時、「なんで研究をしているの?モチベーションは何?」という話になった。
 
同じ研究機関(開発法学)で働くWは、現在ジャカルタで土地紛争の解決のためのプロジェクトのチームマネジメントをしに来ている。

一日中議論をしながらなんとか提案をまとめようとするのが骨の折れる仕事のようで、疲れた彼は「インドネシアの土地紛争の問題は根が深いんだよ。国全体のシステムの問題なの。だからこんなプロジェクトでできる小さな変化なんて、意味がないって感じてしまう。A(私たちのボスで、このプロジェクトのリーダー)は、本当にこれが社会のためになると信じてプロジェクトを進めているんだろうか。」と思わず愚痴をこぼす。

さらに、「本当に社会に変化を起したいなら、 金持ちになって権力を得た方が手っ取り早いのではないか?お金は権力と影響力に繋がる。特にこの国では。」と続ける。

そんなWに、私が研究をするモチベーションは何なのかと聞かれ、ちょっと考える。

まずひとつの理由は、「教えたいから」というのがある。

私は小学校でも、中学校でも、高校でも、そしてライデン大学に留学していた時も、少なからず影響を受けた先生たちがいた。

特に私が今指導してもらっている教授には、「人生を変える」ほどの影響を受けたと言っても過言ではない。

そして、彼が私の人生を変えたのなら、きっと他の何人もの生徒の人生を変えてきたはず。

そして彼の影響を受けた生徒たちを通じて、彼の影響は受け継がれる。彼が直接的に与える変化は数人(もしかしたら数十人、数百人)の考え方でも、それは大きな波になる可能性を秘めている。
 
あと、「教える」ことで生まれる変化は、教える側が押し付けたものでないことも私が好きな理由のひとつ。「教える」ことで生まれる変化は、受け取った側が考え方に納得して自分自身の中に内在化させるプロセスがあってこそ生まれる変化なんだと思うから。

「国際人権法」という分野で現地社会をみながら研究していて痛感せずにいられないのは、西洋的な理想に基づいて「造られた」国際人権法と、いわゆる非西洋の社会に存在する社会規範とのギャップである。

「非西洋社会」といっても、グローバルでボーダーレスになっている現代社会では西洋の理想や影響は顕著である(特に都市では)。

でもそういった影響が比較的少ない農村部などでは、伝統的な規範で生きる人たちがいて、その人たちにとって「国際人権規範」が一番大切なものなのだろうか、とよく考えさせられる。

「国際人権規範」なり、自分なりの理想や規範をもって、その理想や規範に基づく変化を起こそうと躍起するのもいいけれど、私はまず自分がもつ理想や規範に疑問を呈したいと思った。価値観や物事の見方は、生まれ育った環境や文化によって違うから。それを一概に「私たち(西洋・発展社会)と違うから劣っている」とするのには疑問を感じずにはいられないのだ。

実際に今世界で起こっている問題も(ニュースを見るたびに憂鬱な気分になってしまう)、「価値観の押し付け」によって起こっている問題が多いのではないかと感じる。人間は、自分と「違う」ものを恐れ嫌う生き物だ。

「違い」を「悪い」ものとしてとるのではなく、ただの「違い」として受け入れることができたら、世界は今よりも平和な場所になるんじゃないか、なんて、考えている。



そんな研究で、この4年間で成し遂げたいこと、目標を考えてみる。

1)教えられるようになる。(オランダ語で・・・はちょっとambitious過ぎる気がするので、とりあえず英語で・・・)

2)今同僚と進めているプロジェクトで期待以上の成果をだす。

3)インドネシア語で”operate”できるようになる。(インタビューを含めて、プロジェクト運営とかもインドネシア語でできるように)

4)Academic Englishは、他の人の書いたものを読んでフィードバックできるまでになる。

5)もちろん、論文を期限通りに仕上げる。(4年間で仕上げた人は、ほぼいないそうだけれど・・・)




ライデンでPhDを始めてから気付けば5ヶ月になる。

最初の数ヶ月は、手探りをしながらよたよた歩いているような感覚だったけれど、最近は指導教官に会うたびに “youre growing” と言われる。

最近は研究機関のブログの一部を任されたり、突然Children's Rightsのマスターコースで教える機会が舞い込んだりと、だんだんと信頼してもらっている手応えが感じられることも多くなった。

そういえばこのポジションにアプライする時に書いたmotivation letterにも、「I am aware that I might not be the candidate with the greatest past experiences and skills. However, I am confident that I am a candidate with great margins of improvement.」と書いた。

成長しているね、という褒め言葉は、何よりも嬉しい。

2016年8月24日水曜日

ニュースを見ることと自分達にできること


 仲のいい友達で、ニュースの類を全く見たり読んだりしない人たちが数人いる。
彼らは機会がなかったり面倒くさいからという理由で読まないのではなく、読まないという決断をして読まないのだけれど、その理由が簡単にいうと「僕がニュースを見たり読んだりすることで何も変わらないし、自分が変えられない悲劇をみても自分の無力感が増すだけだから。それなら自分の近くの人や物事に関心を向けたい。」というようなもの。

たしかに、私たちがニュースを通して世界で起こっていることを知ることで、直接それらの問題に変化を起こすことはできないのかもしれない。
シリアの内戦で、爆撃の被害にあった5歳の子供のショッキングな映像をみながら、同僚とそんな話をしていた。

シリアのニュースには、ここ数年で何度泣かされたことか。聞く度に無力感と悔しさに襲われ、怒りも湧いてくる。
「でも、この世界で起きていること、全ては繋がっているでしょう。」彼女はいう。
たしかに、シリアの内戦の原因は(少なくとも、こんなにも長く悲惨な戦争になっている原因は)他の国によるところが大きい。政治、パワーゲーム、国家の富・・・そういった大きな波に翻弄され被害を受けているのが、戦地になっているシリアの人たちなのだ。
そして、身を守るため、将来を守るため、国を逃れた人たちは難民として他の国、私が住むオランダにも逃れてきている。
こうやって同じ国、同じ地域に住んでいる以上、もう「自分には何もできない遠い国の悲劇」ではなくなる。少なくとも彼らのために、自分ができることはあるはず。これが彼女のいう「全ては繋がっている」ということなのだろう。

また、彼女は「それに、ニュースを見たり読んだりすること自体が、大変な状況にある彼らに自分の注意を向ける、という意味のあることじゃない?彼らや、この世界に起こっていることに注意を向けずに自分や自分の周りにだけ注意を向けて生きて行くのは、自己中心的にみえるけど。」という。
彼ら自身にとっては私たちが注意を向けているということは直接関係のないことだし、直接の利益にもならないことだけど、それでもそれは意味があること、という彼女の主張は一理ある。

そういえば、最近駅前で募金を募っていた団体(汚水を浄化する薬品を難民キャンプに届ける活動をしているといっていた)のメンバーに話を聞いた後、募金をすると、「最後に1つ質問があります。なんで募金しようと思ったんですか?」と聞かれたとき、思い出したことが二つあった。
1つは、Peter Singerの「The Life You can Save」(要約はこのビデオで:https://www.youtube.com/watch?v=onsIdBanynY)。
もう1つは、映画「Blood Diamond 」で戦地にいる女性ジャーナリストが苛立って言ったこの言葉。“It might make readers cry, but it’s not enough to make this stop! I am sick of writing about victims but that’s all what I can fucking do!”
日々無力感に襲われながらも、「自分にできることがあるからやってるんだよくそくらえ」というのは、月々僅かな額だけれどその団体に募金をすることに決めた心情をよく表してくれている。

まっすぐ生きること


最近の出来事。教会で娘と散歩していた時に、「娘さんと、教会をバックに、写真を撮らせてくれませんか?」と頼まれ、いいですよと軽く引き受けた。
一緒にいた友人が曇った表情を見せたので、
You think that I trust people too easily?」と聞いてみる。
すると、「You’re always honest and sincere, so you think that other people are also like that.」と言われる。
疑うことを知らない、というような純情で無垢なわけじゃないと思う。
世の中には人を騙そうとする人や嘘をつく人、そして他人を傷つける人もいることも、承知しているつもりだ。
もしかしたらこの人は嘘をついているのかもしれないな、悪意や裏があるのかもしれないな、という思いがよぎることもよくある。
でもそういう思いがよぎった時に、私は直感的に「それでも信じてみる」ことを選んでいるのだと思う。
それは、裏切られて傷つくリスクをとってでも、人を信じられるような人生を生きていきたいからなのだと思う。

「まっすぐ生きすぎる」「体当たりで行きすぎる」
そんなクリティカルな意見を受けることもたまにある。
遠回しな表現とか、根回しをするとか、所謂diplomaticなコミュニケーションは好きじゃないし、得意でもないのだけれど、あまりにまっすぐすぎる態度や表現は、人をひるませたり困らせたり最悪の場合傷つけたりすることもあるのかもれしれない。

2016年8月5日金曜日

「頑張る」癖とプレッシャー

最近、人間関係で悩んでいたことを妹と母に相談すると(LINEには私の家族のグループチャットがある)、妹に「お姉ちゃんがなんでも頑張るのはすごいことだけど、それを相手にも求めるのは酷」だと言われた。たしかに、そういわれてみると思い当たることはいくつか・・・。共同研究をしていても、 大抵私は計画通りに進め、期限に十分間に合うように仕上げていく。それなりの結果が求められている時はそれに集中するし、目標に向かって努力もする。だからマラソンとか、努力すればその結果がみえるものが好きだったりする。

けれど、それがチームワークとなると、私一人が頑張っていてもだめだ。中高時代にやっていたテニスのダブルスを思い出す。私はどちらかというとシングルス向きで、自分自身もシングルスの方が気が楽で好きだったけれど、もちろんダブルスをする必要がある時もあった。そんな時は、パートナーのことを理解して、彼女の弱みと強みを知り、彼女の弱みをカバーしそして強みを活かせるようにと応援しながら試行錯誤したのを覚えている。

最近の例でいうと同僚と一緒に学術記事を書いていた時、その同僚が書くことが苦手で(知識はとっても豊富なのだけれど)できる限り後回しにすることを知っていたので、私は自分のパートを仕上げつつ、「今日はここまで進んだよ。どう思う?」と逐一報告して、彼女が書くのをencourageしているつもりだった。決して「なんで書かないの?」とか「私がやってるんだからあなたもやってよ」と言ったりはしなかったけれど、もしかしたらそういうものは態度で感じ取るものなのかもしれない。私が「頑張る」こと自体が相手にプレッシャーを与えることになる・・・のか?

そういう私の姿を「inspiring」といってくれる人もいる。励まされた、とか、モチベートされたとか、鼓舞されたとか。でもそれは私と「チーム」じゃない人が外から私を見て言ってくれているだけだ。それならプレッシャーなんて、関係ないから。
私の「頑張る」癖をやめる必要はないと思うけれど、同じ「チーム」にいる人にプレッシャーを与えないような頑張り方って、あるのだろうか。

付き合っていた人に、「君についていけるほど僕は強くなれなかった」と言われたことがある。友人の日本人男性からも、「君のライフスタイルは、日本人の男性の理解の範囲を超えてるんじゃない?一人で子供育てて、そのうえ外国で働いたり。」と言われたり。友達にも、“You’re the strongest woman I have as a friend.” “After I met you I told my friend how strong you are. PhD is hard, and being a single mother is hard, but you're facing them both and managing so well.”(あんまり、"manage"できている感覚はないのだけれど・・・)なんてことをよく言われる。私に本当の強さがあるなら、それを「チーム」内の人を支えるためのものにできればいいのにな・・・。

テニスに夢中だった頃に何回も何回も読んだ「エースを狙え!」の最後の巻(もしくは最後から2巻目)で、海沿いに立っているお蝶夫人を見守る男性(名前思い出せないけど、お蝶夫人に想いをよせている人)が涙を流しているのを見て、お蝶夫人が「なぜ泣いているのですか?」と聞く。男性は、「あなたの強さが悲しいのです」と答える。その時はよく意味がわからなかったシーンだったのだけれど、今はちょっとわかる気がする。