2014年3月7日金曜日

海外でビジネスをする時に心得ておきたいこと


実は今、フィリピンのセブ島で1ヶ月間のインターンをしています。

1ヶ月、娘をフランスに連れて帰りたいというパパと相談し、1ヶ月預けることに決め、その間娘と離れることになり(このことについても、預けることを決めた理由など後で記事に)、その間授業もなく、さて私は何をしようとなった一ヶ月。

私にとって、きっと大変で(1ヶ月娘と離れることになるのは辛い)、でも貴重な1ヶ月。

どうやって使おうか迷っていることを大学時代の友達に相談したら、面白そうなインターンがあるよと紹介をされたのが、「セブでの美容院の立ち上げ」というなんとも私とかけ離れたインターンだった。

東京の大学時代の、東京在住の友達に、東京で会った時にたまたま紹介されたインターンだったのだが、なんと面接に来てくださいと言われた事務所は名古屋。

しかも私の名古屋の家から車で10分。 

保育園に預けている朝〜夕方までは研究に使うと決めていたので、「夕方に子供を連れて伺ってもいいですか?」と、無茶なお願いをしたのに、「どうぞ」とあっさり承諾。

何者なんだと思っていると、面接の場で「私も18歳の時に子供を産んでるから」と理事長の女の方。

彼女は、子供が19歳になった今、アメリカやタイでのリーダーシップフォーラムに参加したり、フィリピンで美容院を始めたりと、自由に各地を飛び回っている。

「この歳になると、周りがみんな子育てで必死な時期でしょ。この歳の女性で海外に身軽に海外に行ける人っていないんだよね。だから全部私にまわってくるの(笑)」と語る理事長。

私が「私が22歳で出産することを決めた理由」で書いた、子供を育ててから自分のやりたいことを自由にするという「逆転のキャリア」を実践、そして証明している人だった。




何か言いたかったのかというと、つまり、運命みたいなものを感じてしまったのだ。

全く私と関連性のない「フィリピン」「美容院」というインターンで、出発1週間前に現地でトラブルが起こってプランが全て変更になったにも関わらず行くことに決めたのは、もう運命を感じてしまっていたからなのかもしれない。




こちらに来て1週間。私がいる1ヶ月の間に美容院を再建しなければいけない、ということで、課題問題は山積みなのだけれど、何よりも困っているのが

面接に現れない現地人たち

リクルートメントが一番の課題なので、求人広告を出せるだけ出して1日に何本も面接をしているわけだが、アポイントメントをとっても半分以上が現れない。

来ないから電話をしても出ない。メールを送ってみると数時間後に電話がかかってきて「いやあ今日は体調が悪くて」。「それなら先に言わんかい」とツッコみたくなる。

アポをとったら、他の予定もそれに合わせて調整しているのだから、きちんと来てくれないと困る。

それが数日続いて、こちらでお世話になっている現地ビジネスマンに「約束してるのに面接に現れないのは困る」と愚痴をこぼした。

すると、彼が「彼らは目上の人にNoと言えないんだよ」と言った。「だから、無理な時間帯でも、面接をする人が提案した時間にはOKとしか言えないんだよ」。



それを聞いて、前にインドネシア語の先生に聞いた話を思い出した。

日本に短期研修に来たインドネシア人グループが、日本人トレイニーの授業を受け、そのトレイニーが明日の予定を決めるために「では、明日は9時にここでどうですか?」と皆に聞いたところ、異論がなかったので、「ではまた明日」と別れたのだそうだ。

それが、次の日、9時になっても、10時になっても、誰も現れない。

彼女が怒って他の先生にこのことを報告したところ、「その日は9時から他の先生の授業が入っていたんです」とのこと。

私たちの感覚なら、「それならそう言えよ」とツッコみたくなる。

しかし、彼らにとっては目上であるトレイニーの彼女に「No」と言うことが失礼でできなかったのだ。




「途上国ビジネスあるある」の1つとして片付けられる程度のことなのかもしれないが、私は、この裏に 未知の土地でビジネスをする時の一番の難しさが隠れていると思う。

異文化の土地で生活していると、日々起こる出来事の1つ1つにいわゆる「文化の違い」というやつが潜んでいると思って生活しないといけない。

外国人の友達が、土足で家に上がってきても、日本人が同じことをした時のように怒ってはいけない。

外国人の彼彼女が、何かカチンとくることを言っても、その言葉の裏になにかしらの文化の違いがあるのではないか、誤解があるのではないか、と理由を考えなければいけない。

面接に現れない日本人はまず不採用にしていいと思うが、外国ではひとクッション置いて理由を考えなければいけない。

この「ひとクッションおく」とはイコール「call your common sense into question」、つまり「自分の常識を当たり前と思わずいつも自分に疑問を投げかけること」。

これを、日々起こる無数の出来事の1つ1つに対してしていかなければいけないのだ。

それが、海外でビジネスに成功するための秘訣でもあると思う。

2014年2月26日水曜日

子育てと仕事の両立が大変じゃない理由

私の娘は、毎月約1週間、パパのところで過ごす。

娘と離れて過ごす1週間。普通のママなら、喉から手が出るほどほしい“休暇”かもしれない。

私の周りの人も、「今のうちにゆっくり休んでおきなよ」とか、「いい骨休みになるね」という反応をする。

でも大抵、娘がいなくなると私は、針をぷすっとさされた風船のように、しぼんでしまう。

娘のいない生活と、娘のいる生活を毎月経験する私は、その2つの違いがよくわかる。

子供の世話というのは、たしかに時間はかかるし、体力も使うし、精神力も必要だ。

「大変だね〜」「よくがんばってるね」と労いをかけられたり、「スーパーウーマン」を呼ばれたりするという周りの反応も、当たり前なことなのかもしれない。

残念ながら、私はスーパーウーマンじゃないし、子育てはそんなに大変じゃない理由を説明してみる。

1.     子育てに費やすエネルギーにまさるエネルギーを、子供がくれる。
朝、娘のためにいつもより2時間早く起きる。でも娘と食べる朝ご飯はどんな豪華な朝ご飯よりもエナジーチャージになる。

2.     子供と過ごす時間を生活に組込むことで、努力しなくてもライフとワークのバランスがとれる。
私はもともと、ワークに100%費やしたい人間で、ライフの部分を意識的につくるのが下手だった。でも子供ができたことで、保育園のお迎えの時間である6:30には、どんなことがあっても仕事を終わらせることになった。子供を保育園に預けている時間はワークに集中し、その後は子供との時間でリラックスすることで、ワークも効率的にできるようになる。

3.     みんなが手を差し伸べてくれる。
娘を連れてみんなで食事なんかをすると、頼む前に誰かが娘を抱いて遊んでくれている。娘の取り合いになって、みんな娘の気をひこうと必死になっていたことなんかもあった。

4.     子供とともに、あなたも成長する。
精神的にも、体力的にも、親になったばかりの頃は自分の「キャパシティ」に不安になることもあると思う。実際、私も、人を一人「つくり」「育てる」ということの重大さに圧倒されていたこともある。正直に言うと、今でも、ある。でも、私はどんな親でも、親になる前にその準備ができていた人なんていないと思う。最初は誰だって不安だと思う。でもそれでも子供は産まれる。そして、大きくなっていく。親は、それに追いつこうと必死にもがく。そうしているうちに、知らないうちに、親も成長し、先ほど言った「キャパシティ」というのも大きくなっていくものだ。と思う。


こういった理由で、私がスーパーウーマンだからいわゆる「両立」ができているわけじゃない。親ならば、そして環境を整えれば、誰でもできることだもん。


大学の友達の1人に、ウズベキスタン人がいる。

その子と話していて研究しながらの子育ての話になった時、彼女がなんともなく「いいなー」と言った。「羨ましいな」と。

この話題になった時は、「すごいね」と賞賛の言葉をかけてくれる人が多いから、新鮮だった。そしてなんだか、しっくりきた。

だから、「すごいね」よりも、「いいなー」が正しいし、嬉しい。



もちろん、子供をもつことで失ったこともある。

娘のいない生活と、娘のいる生活の違いとしてよく思うのは、娘がいる生活は「大きな荷物を背負って行動している」ようなもの、ということだ。

言葉通り、10kgの子供を抱えて行動しているわけだけれど(笑)、そういう意味ではなくて、「行動に制限ができる」ということ。

どこかへ行くにも、子供と行けるところ、時間、方法でないといけない。

仲のいい友達に飲み会に誘われても、子供の体調や寝る時間を優先して行かないと決める時もある。

そして、何よりも、自分のことを考える時間をとるのが難しくなる。

でも、不思議なことに、今の私はそれらを子供のために自分が払っている「犠牲」だと感じていないこと。

それくらい、自分の子供というのは、愛しいもの。

他の何よりも誰よりも大切で、その人のために失ったものも犠牲とも思わないような人間が私にできるなんて、私にそんなふうに人を「愛する」能力があるなんて、知らなかった。

そして、そんな存在がいること自体が幸せで、それほど、幸せなことはないと、今率直に思う。

娘は、私の「幸せ」の定義を変えてしまった。

2014年1月4日土曜日

2014年:あけましておめでとうございます。

-->







写真は、写真を撮る人が見る世界を可視化してくれる。

だから私は、人が撮った写真をみるのが好きだし、自分も写真を撮るのが好きだ。
写真を撮るのが好きな理由が、もう一つある。

カメラを持って歩くと、普段見過ごしている美しいものや面白いものに気づかせてくれるから。

カメラは、ありふれた日常を、ありふれた道を、ありふれた風景をもっと面白くしてくれる能力を持っている。



2013年は、4月に人生のビッグイベントがあった。

それ以降自分が撮った写真を見返していると、見事に娘の写真ばかり。

私の頭の中が娘のことでいっぱいになったのが、よくわかる。

実際に、自分の子供の成長をみることほど、幸せなことはないと思う。

もしかしたら知り得なかったかもしれない、この幸せのことを思うと、出産を決意した自分を褒めてやりたくなる。

こんなことをいうと親バカと馬鹿にされるかもしれないが、私は、彼女に夢中なのだ。

ただ、一つ気になるのは、娘が産まれる前はもっと他の写真を撮っていたなあ、と気づいたこと。

美しい風景、面白い出来事、大好きな人たち、他に世界に溢れる美しいものたち、面白いものたち。

娘が産まれてからというもの、そういったものたちに目を向けている時間と余裕がなかったように思う。

子供が産まれたらその子のことで頭がいっぱいになるのは至極普通のことだ。

忘れ物も多くなるというし、他のものや人に気が届かなくても、仕方がないと許されることも多いと思う。

でも、私は思う。この世界にある美しいものや面白いものに目を向けさせてあげるのも、親の大事な役目なのではないかと。

そして、母親は子供にとっての一番のインフルエンサー。

自分自身が、この世界にたくさんあるポジティブなものをみる視野を持たないと、子供にそれらを見せてあげることはできない。

Life is beautiful. 私は娘にこう伝えたい。そのためには、自分もそう信じて行動したいと思う。

だから、今年の目標第一は、写真を撮ること。

カメラを持ち歩いて、普段見過ごしている美しいものに目を向けること。

それは、普段の人生で見過ごしている美しい出来事、人の優しさ、自分がいる環境の良さに気付き、感謝し大切にすることに通じる。と思う。



目標第2:人のことを大切にする。 

2013年は、人に頼らざるを得ない妊娠後期〜産後初期から始まり、特に人に助けてもらうことが多かった。

もう、娘も、8ヶ月半。私も娘と一緒の生活にも慣れ、新しい土地にも慣れ、少し余裕がでてきた。

これからは少しずつ、娘以外の人たちのことに気を配り、大切にしていこうと思う。

「相手が何を考えているのか、どう感じているのか、何を求めているのか」

これを考え、相手が困っている時には助けの手を差し伸べ、人を幸せにできる人間になりたい。



目標第3:全ては継続。

そうなのです。全ては継続。何か思い立っても、目標を決めても、継続しないと意味がない。

上にあげた目標2つを始め、自分が変えたいところもプロジェクト運営も、やるといったことは継続させてやっていきたい。

そのためには日々の生活の決めごとに落とし込んでやっていかないといけないと思うので、まずは
フランス語とインドネシア語の単語を毎日1回ずつはすること
寝る前は娘に絵本を読むこと
から始めよう。


実はもっと目標に掲げたいことがあったけど(柔軟性、寛容性とか)、とりあえず今年は3つにとどめておこうかな。

現状の自分に満足していない時のフラストレーション、結構好きです。これからまだまだ向上する余地があるっていうことだから。




と、毎年やろうと決めている抱負の公言でした。

目標2。人を大切にすること。

こんな私を支え、励まし、たまに叱ってくれる皆様。大好きです。

今年もよろしくお願いいたします。


2013年12月24日火曜日

シリアへの思い

クリスマス1週間前。フランスから小包が届いた。

フランスのおじいちゃんおばあちゃん、PapouMamouから、娘へのちょっと早めのクリスマスプレゼント。





(右上のスカーフは、私へのプレゼント。クリスマスプレゼントをもらって喜ぶ歳でもないよな、と思いながらも、嬉しい。)

今思えば、娘が産まれた時も、世界中から友達が祝福してくれた。

こうやって世界中に愛してくれる人がいる娘は、本当に幸せものだ。



Mamouはフランス人で、Papouはシリアから移住してきたフランス人(血は100%シリアだけれど、フランス在住歴の方が長くフランス国籍も持っている)。

Papouは、よくシリアの話をしてくれる。

彼はもともとアレッポという学生の街の出身。そこで人生の20年以上を過ごしている。

アレッポにある石鹸屋さんの話。大きなオープンレストランの話。大学で勉強していた頃のこと。

そんな話を聞く度に、戦闘地となっているアレッポの現在の状況のことを考えずにはいられなくなる。
(ジャーナリストの山本美香さんが銃殺されたのも、この街。http://www.youtube.com/watch?v=dg6Lo-8GpHU


もともと皆でアレッポに住んでいたPapouの家族は、今ではレバノンやエジプトに避難してちりぢりになっている。

アレッポに残っているのは、Papouの妹とその夫、そして娘2人。

連日のニュースで伝わってくる悲惨な状況。なのに、“なぜ避難しないの?”。

何度も、何度も、尋ねてきた質問である。

返ってきた答えは、予想もできなかったものだった。

「娘の大学入学のための試験が来月にあるから」

試験と、命と、どちらが大切なのか、と問いたくなるような答えだ。

でも、選択肢は「試験か命か」ではないのだと気づく。

その街で産まれ、育ち、学び、家を持ち、働く人たち。

彼らにとって、生活はそこにしかないのだ。

避難所にうつったとしても、そこでは暴力や窃盗、不安が待っている。

彼らにとっての選択は「命か、生活か」だったのだ。



クリスマスプレゼントが届いた後、Papouと話をした時にこんなことを聞いた。

「先日、アレッポにいる妹にM(娘の名前)の写真を送ったら、それを拡大印刷して壁に飾っているそうだよ」

「よっぽど嬉しかったのか、“今月で一番嬉しい出来事だった”と言ってたよ」

ショックだった。

戦闘地の、暗い毎日では、娘の写真が、1ヶ月で一番嬉しいニュースなのか。

今は寒いのではないかと聞くと、

「毎日、夜寝る前にお祈りをして寝て、朝起きると命あることに感謝して」

「その日一日をどうやって生き延びるかを考えて生きる日々」

だという。

「アレッポの周りの難民キャンプでは赤ちゃんが死んでいる」

小さな赤ちゃんを胸にかかえながら、自分の子供が力つきていく母親の気持ちを想像するには、たいした想像力は要らないと思う。


You who tomorrow are still alive, what are you waiting for? Why don’t you love enough? You who have everything, why you are so afraid?
「明日も生きることができるあなたが、何をそんなに躊躇しているのか、なぜ十分に愛さないのか。あなたは全てを持っているのに、なぜそんなに恐れているのか?」

シリアにいる女性ジャーナリストが書いた記事の、最後の文章である。

あたたかい家がある幸せを、おいしいご飯が食べられる幸せを、そして愛する人がいる幸せを、そして愛する人を守ることができる幸せを、毎日かみしめて生きようと思った。






何か、何か。

私にできることはないか、と考えていた時に見つけたのがこれでした。

団体側にも電話をして、ちゃんとした団体だということも確認したので、今名古屋では衣服を集めています。

寄付できる衣類がある、という方は、ご連絡ください。


2013年11月24日日曜日

Women really can't have it all?






自分の人生が、他者を中心として回っている、というのは、

奇妙な感覚である。

娘が産まれてから、いやたぶんもう少し前から、私の人生の中心は自分自身ではなく、小さな小さな娘になった。

Why Women Still Can't Have It All

「女性が未だにすべてを手に入れることはできない理由」

これは、アメリカで2012年に最も読まれた記事である。
アメリカの国務省のディレクターになった女性がキャリアと家庭について書いている。

私は妊娠中にこの記事を読んだ。たぶん、妊娠五ヶ月の頃だったと思う。

その時私を震撼させたのは、「But I realized that I didn’t just need to go home. Deep down, I wanted to go home. I wanted to be able to spend time with my children in the last few years that they are likely to live at home, crucial years for their development into responsible, productive, happy, and caring adults.」という言葉だった。
その時の私は、キャリアを追い求める女性にとって子供は(聞こえは悪いが)「負担」であり、その負担を背負いマネージしながら自分のやりたいこと(仕事)との両立をしているものだと思っていたから、子供との時間を過ごしたくて仕事を放って帰りたくなる、という心理が理解できなかったのだ。

皆、働く母親は時間になると子供を迎えに「帰らなければならない」ものだと思っていた。それをまさにキャリアウーマンの典型である著者が、子供との時間のために「帰りたい」というのか?

これは私にとって恐怖でもあった。

子供が可愛くなって、自分の人生、キャリアを追い求めるのをやめてしまうのが怖かった。子供ができて働き始めた時に自分がどう感じるか、予測できなかった。



大学院での研究が始まって二ヶ月。

今、著者の言葉がよくわかる。

毎日、6時頃になり、そろそろ娘を保育園に迎えに行くという時間になると、私はそわそわし始める。

やらなければいけないことはいくらでもある。家に帰ると勉強なんてほとんどできないので、お迎えの前の30分の時間で少しでも多くのことを終わらせたい。

しかし、それと同時に、30分でも早く娘に会いたいという気持ちがむくむくとでてくるのである。

夕方、保育園で娘の顔を見て抱き上げる瞬間が、一日で一番幸せな瞬間といってもいいと思う。

疲れている時も、彼女の顔を見て、抱き上げ、お互いのぬくもりを共有すると、不思議と彼女がパワーをくれる。

自然と、「産まれてきてくれて、ありがとう」という言葉がでてくる。





先日、初めての試みをした。

国際人権法の学会に娘を連れて行ったのである。

選択肢は3つだった。
1.娘を誰かに任せて、一人で出席する
2.娘を連れて出席する
3.出席しない

当日になっても、迷っていた。

任せることもできたし、家に帰ってゆっくり過すこともできた。

学会の雰囲気もわからなかったし、ベビーカーが入れるスペースがあるかどうかもわからなかった。

でも、娘を連れて出席すると決めたのには2つの理由がある。

一つ目は、これからこういった娘を連れて行かないといけない機会もあるだろうと考えたこと。周りの人の反応、娘の反応、そして自分自身の反応もみてみたかった。

二つ目は、周りの人に「見せる」ため。でもこれにはリスクも伴った。うまくいけば「子供を連れてでも学会に来られる」というイメージを与えることができるが、うまくいかないと反対に「やっぱりだめじゃん」となるからである。

娘をベビーカーに乗せ、会場に入る。

元欧州裁判所裁判長のコスタ氏の講演を兼ねていることもあり、続々と人が入ってくる。ほぼ満席である。

周囲の視線を感じながら、私は「連れてくるのが当たり前」のような顔をしようと努めていたが、内心はかなりナーバス。

講義中も、娘が少し声を出す度にすかさずおしゃぶりを咥えさせたり、お茶をあげたり...

極め付けは、泣いたら外に出るつもりで近くに座っていた扉が、いざというときになぜか開かない。

ぐずる娘を抱えて扉に向かうが開かず、すごすごと席に戻って娘をあやす...そんな姿を見て、良いイメージを持つ人なんていないだろうな...と情けなくなり...

今日娘を連れて出席するとという選択を後悔しはじめていた。

なんとか休憩時間になり、その後は会場の外で娘をあやしながら途切れ途切れに聞こえる講義を聞いていた時。

会場から一人の女性が出てきた。名札をみると、弁護士とある。

「頑張ってくださいね」と声をかけられた。

「私も昔は子供を連れて学会に行っていたから」

見知らぬ女性の一言で、これほど勇気づけられるとは思わなかった。

後悔が、来てよかったという思いに変わり始めた瞬間だった。

そして、「懇親会、お金払ったんだけど行けなくなっちゃったから、よかったらどうぞ」と譲ってくれたチケットで向かった懇親会でさらに意外なことが。

女性の参加者が次々と「私も◯歳の子がいるからよくわかります」「こういう風に、ちゃんと連れてきているのを見せてくれたら、他の人も以後やりやすくなるからね」「いつも人に任せられるわけじゃないし、かといって学会に行かないとチャンスから遠ざかってしまうしね」と声をかけてくれるのだ。

迷惑に思っただろうなと思っていたコスタ氏も私に近づいて一言「Congratulations!」(おめでとう)「She is the youngest one ever who attended my lecture!」(私の講義に出席した中で最年少だよ)と。

更には主催者の一人も「いや、あなたも赤ちゃん連れてきてるし、次からはやっぱり託児所をつけないとね」と。

...なんだか、いつのまにか出席したことが意外にも良い影響を与えていたみたいだ。

もちろん、励まし、賛同してくれる人だけではないのはわかっている。

学会に子供を連れてくるなんて、と批判的にみていた人もたくさんいると思う。

ただ、私はあの弁護士の女性のように、「私もやってたから」と、他の女性の選択肢と可能性を広げる一つの例になりたいと思う。

私自身は批判されることもあるだろうし、冷たい視線をあびることがあってもいい。

「常識」からが外れた自分の行動を周りに見せることが、人々の可能性を広げられれば、本望である。




Women can't have it all?

女性は全てを手に入れることができないか。

私の意見は、そんなのNo one can have it all. でも、Women can have it both.

子育てか、キャリアか。

どちらかを選ばなければならない時代は、もうおわり。

どちらも、諦めなくていい。
いつまでも欲張りな私はそう思う。

2013年5月22日水曜日

私が22歳で出産することを決めた理由

2013年4月18日、22歳の春に、私は母親になった。

その9ヶ月前に既に母親になっていたのかもしれない。その時に「母親になることを決めた」というべきか。

出産後、家族や友達と話をしていると「なぜ妊娠がわかった時に、出産することを決めたのか」という理由説明することが多い。

まず、この質問の裏には「なぜ中絶を選ばなかったのか」という問いがある。

もちろん中絶に伴う肉体的精神的苦痛がこわかった、というネガティブな理由も1つだ。

実際に、(中絶せずに)出産を決めた後で、確認のために産院で受けたエコーの写真に写った小さな黒い点(これが生命の始まりなのである)を見た瞬間、

「ああ、これは中絶すると決めていたとしてもできなかっただろうなあ」と思った。

しかし、出産を決めた本質的な理由は、若い歳での出産をポジティブにとらえる理由を見つけることができたことにある。

私は、自分のやりたいことを仕事として、趣味として、実現することに自分の人生の意味を見いだしていた。具体的には、発展途上国で現地の開発のための活動に携わること。そして国内国外を周りいろんな世界を見ること。

それに子供だって欲しかった。

この2つをどちらも実現したいと思う女性、いわゆる「キャリアウーマン」が選ぶ道は、大抵、若いうちは働き、遊び、それらにある程度満足がいったら結婚し、出産し、専業主婦(もしくはパートタイム)になり子育てをする、というものだろう。

しかし22歳で決断を迫られた私はその時、考えた。

子供をもつ、ということは一生のうち子供が自立するまでの少なくとも15年間はある程度の制約とともに生きていくということ。でも、それが今大半のキャリアウーマンが選んでいるように35歳からの15年間である必要があるのだろうか。どうせ子供を育てるなら、その15年間を22歳から37歳の間に費やすのが、なぜできないのか。

個人的には40歳からが女性にとっての最盛期だと思っているので、その最盛期も「自分だけのために」使うことができる。 私の場合は、その15年間を勉強や研究(実は会社で働いたりするよりも子育てとの両立がしやすい)に費やせば、その後の「実務」に活かすこともできる。





これが私が出産を決めた理由だったわけだが、出産からの15年間、母親に自由がないというイメージにも疑問がある。

妊娠中のこと。親戚が集まるお正月の場で、親戚の1人から「人生で一番遊びたい時期を子供のために捧げるのだから、頑張ってね。」と声をかけられた。

もちろん彼女は意地悪で言ったのではなく、母親として頑張ってほしいという応援の言葉として言ってくれたのだが、私はその時妙な違和感を感じたのを覚えている。

その後、妊娠後期(大学でのテストを終え、実家に戻って出産準備をしていた9、10ヶ月目)に読みあさっていた外国での妊娠出産や子育ての捉え方に関する本で、その違和感の正体がわかった。

子育てにおける母親の役割について、欧米の中でも特異な社会的概念が存在するフランスでは、「子の人生は一人の人間としての人生、母親の人生も一人の女性としての人生である」のが通念である。だから、女性は母親になった後も「女性」であることを当たり前としそれを主張する。

その考え方にしっくり来た私は、「子供に自分の人生を捧げる」という言葉に対して感じた違和感を思い出した。

総体論になって申し訳ないが、現在の日本社会では「母親が自分を犠牲にして子供の世話をする」ことで「子供に人生を捧げる」ことが美徳とされているように感じられる。

しかし、本当に母親が自分を犠牲にすることが子供を幸せにすることに繋がるのだろうか。

こんな話がある。

ある女性は、女医として働くまさに「キャリアウーマン」だった。そんな彼女が中年になり、出産した時に彼女は仕事をやめ、専業主婦として子育てに専念することに決めた。それは彼女の母親が彼女にしてくれたこと(彼女の母親は専業主婦であった)を自分の子供にもしてあげたいと考えたからであった。そして、医者という仕事をやめて母親という仕事に「転職」した瞬間、彼女は皆から尊敬され羨ましがられる「キャリアウーマン」から「どこにでもいる子連れの主婦」になり誰からも評価されなくなってしまったのだ。そんな彼女のストレス発散方法は、週一回子供を連れてカラオケにいくこと。

決断は各人の自由だが、なんだか彼女の才能が勿体ないような気がしてならない。

さらに彼女は自分が周りから評価されなくなった分、自分の娘に期待をかけるようになった。子供に対する評価=自分の母親業に対する評価、になってしまい、結果子供に悪いプレッシャーを与えることになっている。彼女の娘は、学校でも簡単なことしかしようとしないという。失敗して「ママの期待に応えられない」のがこわいのである。

本当に子供を幸せできる「よき母」に必要なのは、母親が子供のために自分を犠牲にすることではなく、母親も幸せでいることではないだろうか。





子供のために自分を犠牲にすることが美徳になっていることのディスアドバンテージは、まだある。

女性が子供を持ちたがらないのだ。

実際に私の友達でも、「子供はほしくない。自由に生きたい。」という女性もいる。

それはそれで個人の選択なので評価するつもりはないが、「自由を制限されるから子供はほしくない」というのはなんだか悲しい。

第一子の出産平均年齢は30.1歳。、現在の日本の出生率は1.39。

人口を維持するのに必要な出生率2.1を遥かに下回っている。



そして子供を持つことを選ぶ女性は、仕事をやめてしまう。

日本の女性が働くようになれば、1人あたりのGDP4%アップすると言われるように、日本の経済力強化のためには女性の労働力が必要になっている。


日本が直面するこの2つの問題、出生率と出産後働く女性の率をともに上昇させる、つまり母親による仕事と家庭生活の両立を実現させることはできないのだろうか。

ヨーロッパ諸国の例を見てみると、北欧諸国等手厚い社会政策(出産・育児休暇制度、三歳児未満を対象にした託児施設の数や質の改善、企業や公共セクターにおける柔軟な勤務時間制度、長期育児休暇に職場に復帰しやすくすること)を実施しているところでも出生率は1.9と2.1には届かない。

例えばスウェーデンでは、男性の育児への参加を促進しようと、男性が育児休暇をとることを可能とする政策を実施しているがその制度を利用しているのは全体の10%にも満たないという。

それらに比べ、ヨーロッパ諸国の中で最も出生率の高いフランスは何が違うのか。

子供の養育費の多くを国が負担しているなど政策面の特徴も見られるが、ここで言及したいのは上でも説明した「母親の役割」についての社会的認識に特徴があること。

出生率ヨーロッパトップに貢献しているのは実際に30代の就労女性であり、また実際に一生のうちで子供をもたないと決断する女性はフランスでは圧倒的に少ないそうだ。

安倍内閣が働く女性を増やそうと、出産育児中の就労を可能にする政策を推し進めていることはもちろん大切だが、それよりも大切なのは、「母親は子供のために自分を犠牲にするべき」という社会的認識を変えることなのかもしれない。





日本では、赤ん坊は生後1ヶ月になるまでは家の外に出してはいけないと言われる。(感染症予防のためと言われるが、これは日本だけで、他の国ではある程度免疫をつけるために出産後すぐに外に出すことが多いという)

そして母親は当然のように、赤ん坊の側にいて授乳をしおむつを替え、何かあったときのために見張っていなければならない。

ということは、当然母親も家の中から出られないことになる。

「外の空気を吸いに散歩したい」
「カフェに座ってゆっくり本を読みたい」
「美容院に行ってきれいになりたい」
「友達とちょっとご飯でも行きたい」

まずはじめに、こういった自分の欲望に蓋をしなくてはならない。

その後も、自分の欲望やエゴと子供の成長を願う自分の矛盾が消えることはない。
そして何より、その矛盾が存在することを言えない辛さ。
子供のためを思う「良き母親」であるためには、こういった欲望がなかったことにしなくてはならないのだ。




子供をもったこと、そのことで自由を奪われ「こんなはずじゃなかった」と後悔している母親、そしてそれを言えない母親。これが今一番救われるべき者であり、そういう母親がうまれないように何かが変わらないといけない。

私は、幸運なことに、出産後、自分の子をもつということは素晴らしいことだなあと日々実感している。

というのも、母親そして女性という概念についていろいろな考え方をもつたくさんの人に囲まれ、「こうでなければならない」という単一の社会が生み出す「良き母親像」にとらわれなくてすんでいるからだ。

母親は子供と共に成長する。

こんな尊い機会を、「自由がなくなっちゃうから」という理由で逃すのは勿体ない、と私は思う。

自分の住む社会とは違った社会からみた「良き母親」を知る事、そしてその違いが存在することを知る事だけで、矛盾をかかえた母親は少し救われるのではないだろうか。そしてそれが、今の日本が出生率をあげるために、女性の労働力で経済力を強化するために、そして満たされた気持ちで子供をもつことができる女性が増えるために必要なことなのではないだろうか。