クリスマス1週間前。フランスから小包が届いた。
フランスのおじいちゃんおばあちゃん、PapouとMamouから、娘へのちょっと早めのクリスマスプレゼント。
(右上のスカーフは、私へのプレゼント。クリスマスプレゼントをもらって喜ぶ歳でもないよな、と思いながらも、嬉しい。)
今思えば、娘が産まれた時も、世界中から友達が祝福してくれた。
こうやって世界中に愛してくれる人がいる娘は、本当に幸せものだ。
Mamouはフランス人で、Papouはシリアから移住してきたフランス人(血は100%シリアだけれど、フランス在住歴の方が長くフランス国籍も持っている)。
Papouは、よくシリアの話をしてくれる。
彼はもともとアレッポという学生の街の出身。そこで人生の20年以上を過ごしている。
アレッポにある石鹸屋さんの話。大きなオープンレストランの話。大学で勉強していた頃のこと。
そんな話を聞く度に、戦闘地となっているアレッポの現在の状況のことを考えずにはいられなくなる。
もともと皆でアレッポに住んでいたPapouの家族は、今ではレバノンやエジプトに避難してちりぢりになっている。
アレッポに残っているのは、Papouの妹とその夫、そして娘2人。
連日のニュースで伝わってくる悲惨な状況。なのに、“なぜ避難しないの?”。
何度も、何度も、尋ねてきた質問である。
返ってきた答えは、予想もできなかったものだった。
「娘の大学入学のための試験が来月にあるから」
試験と、命と、どちらが大切なのか、と問いたくなるような答えだ。
でも、選択肢は「試験か命か」ではないのだと気づく。
その街で産まれ、育ち、学び、家を持ち、働く人たち。
彼らにとって、生活はそこにしかないのだ。
避難所にうつったとしても、そこでは暴力や窃盗、不安が待っている。
彼らにとっての選択は「命か、生活か」だったのだ。
クリスマスプレゼントが届いた後、Papouと話をした時にこんなことを聞いた。
「先日、アレッポにいる妹にM(娘の名前)の写真を送ったら、それを拡大印刷して壁に飾っているそうだよ」
「よっぽど嬉しかったのか、“今月で一番嬉しい出来事だった”と言ってたよ」
ショックだった。
戦闘地の、暗い毎日では、娘の写真が、1ヶ月で一番嬉しいニュースなのか。
今は寒いのではないかと聞くと、
「毎日、夜寝る前にお祈りをして寝て、朝起きると命あることに感謝して」
「その日一日をどうやって生き延びるかを考えて生きる日々」
だという。
「アレッポの周りの難民キャンプでは赤ちゃんが死んでいる」
小さな赤ちゃんを胸にかかえながら、自分の子供が力つきていく母親の気持ちを想像するには、たいした想像力は要らないと思う。
「You who tomorrow are
still alive, what are you waiting for? Why don’t you love enough? You who have
everything, why you are so afraid?」
「明日も生きることができるあなたが、何をそんなに躊躇しているのか、なぜ十分に愛さないのか。あなたは全てを持っているのに、なぜそんなに恐れているのか?」
シリアにいる女性ジャーナリストが書いた記事の、最後の文章である。
あたたかい家がある幸せを、おいしいご飯が食べられる幸せを、そして愛する人がいる幸せを、そして愛する人を守ることができる幸せを、毎日かみしめて生きようと思った。
何か、何か。
私にできることはないか、と考えていた時に見つけたのがこれでした。
団体側にも電話をして、ちゃんとした団体だということも確認したので、今名古屋では衣服を集めています。
寄付できる衣類がある、という方は、ご連絡ください。
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