最近、「ああ、幸せだなあ」、と感じることが多い。
それは修士課程を無事終えることができたからなのか、博士課程で研究を進められることになったからなのか、娘が2歳になって「赤ちゃん」ではなくなってきたからなのか、自分の中で長い間蟠っていた問題が解決に向かいつつあるからなのか、それとも単に夏だからなのか。よくわからない。
でも、きっとそれはいろんなことの積み重ねなんだろう。
子供ができて、大学院で研究を始めてからの2年間育ててきたいろいろな種が一斉に蕾をつけているような感覚で。でもそれはまだまだ蕾で。でもだからこそこれからどんな花が咲くのかが楽しみで。
とにかく、一区切りなのだ。
そうやってできた修士論文を発表するべく参加した学会で、思いがけず、同じところを目指して頑張っていると思えるような人と出会った。
研究テーマも、興味も、将来携わりたい仕事も、なんだか似ていた。
学会の後でお礼のメールを送った時、ふとその人の名前をメールボックスで検索すると、予想外に3年前のメールが出てきた。
オランダに留学していた頃に出会った、私が最も尊敬する女性からのメールだった。
そのメールには、「あなたと似た相談を受けて、今日ある日本人の方とおしゃべりしてきたところです」とあり、「もしよかったら連絡をとってみてください。」とその「ある日本人の方」の名前とメールアドレスが書かれてあった。
そう、その「ある日本人の方」が、今回の学会で出会った「同じところを目指している女性」だったのだ。
3年前の私は、大学院に行くべきか、就職するべきか、JICAの青年海外協力隊に応募するべきか、迷っていたようだった。
そしてその「最も尊敬する女性」に相談していたのだ。
「ある日本人の方」も、3年前同じような悩みをもち、彼女に相談をし、3年間前に進み、そして3年後の今、大学院に所属し法整備支援に関する学会に出席していたのである。
「信ずる道を歩む者に、信ずる人との出会いがある」。
3年前のあの時こそ連絡しなかったものの、同じところ見つめて歩いていれば、きっと会うべき人とは会うべき時に会うようにできているのだなあと思った。
「最も尊敬する女性」は、私よりも職務経験も文章力も知識も人間力も何をとっても敵わない(だからこそ最も尊敬する女性なのだから)し、その「ある日本人の方」も、私よりも職務経験も、きっと知識もずっと豊富だし、同じところにいるなんて思わない。
それでも、何よりも嬉しかったのは、「ひとりじゃないんだ」と感じられたからだった。
私の進む道は「多くの人が通る道」ではない。
私の進む道は「多くの人が通る道」ではない。
今まで、1人で 茂みをかき分けながら進んでいたような感覚があった。
彼女と出会って、こうやって道なき道を進んでいくのに、「ひとりじゃない」ということが、どれだけ心強く感じるか、どれだけの自信を与えてくれるか、わかった。
その女性は30代。私の尊敬する女性は40代。そして私は、25歳。
その女性たちの関連で、もうひとつ感慨深かったことがある。
実は、4年前オランダで「最も尊敬する女性」と初めて顔を合わせた後、「娘が大きくなったら、この人みたいな素敵な女性になってほしい、と思えたのは初めてでした」と、私には勿体ないような言葉をもらっていた。
その時、私はなぜそんな風に言ってもらえたのか全くわからず、「この人はきっと優しい人で、皆に同じような素敵な言葉をかけているんだろうなあ」と思ったくらいだった。
時を重ねて「最も尊敬する女性」を知っていくにつれて、意味のない お世辞や安易なことは言わない人だということがわかったのだが、それでも私の中の何が「娘が大きくなったら〜」と思わせたのかは未だにわからない。
でも、あえて質問をしないのは、4年前のその言葉が今でも私がalways be better than yesterdayでいるためのモチベーションとなっているからだ。
「彼女は、今の私をみても、おなじように思ってくれるだろうか」
特にここ2−3年は、そんな風に自分をけしかけて前に進んできた。
それが、学会で「ある日本人の方」に出会った時、ふとその言葉を思い出して、「娘が大きくなったら、この人みたいな素敵な女性になってほしい、と思えた」というのはこういうことなのかな、と考えていた。
その人みていると、自然と自分の娘が大きくなったら・・・という想像がふくらんだ。
そのあと、「最も尊敬する女性」からのメールを見つけて予想外の繋がりがあったことを知った時、隣で積み木遊びをしている娘を見ながら、この不思議な偶然に思わず涙した。
いきなり泣き始めたママに、娘は不思議そうな顔をして「どうしたの?痛いの?大丈夫?」と心配している。
私は「ママね、嬉しいの。」と答えた。
ああ、私は、尊敬する女性に「娘が大きくなったら彼女のように」と今でも思ってもらえるように恥ずかしくない生き方をしよう、そして娘が「ママみたいに素敵な女性になりたい」と思えるような強い生き方をしようと思って今までやってきたんだ、ということを、この偶然が気づかせてくれたようだった。
いつのまにか秋が終わり、冷たく暗い冬を乗り越え、春の花が散ったと思えばもう夏の花が咲いている。
時の流れを感じさせてくれる四季は美しい。
この夏も、またすぐに終わってしまう。
時の流れの早さに負けないように、もっと前進したい。
もっと早く、もっと遠くまで。
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄(きはく)を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため
詩:高村光太郎
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