2015年8月11日火曜日

ある偶然と道の話


最近、「ああ、幸せだなあ」、と感じることが多い。

それは修士課程を無事終えることができたからなのか、博士課程で研究を進められることになったからなのか、娘が2歳になって「赤ちゃん」ではなくなってきたからなのか、自分の中で長い間蟠っていた問題が解決に向かいつつあるからなのか、それとも単に夏だからなのか。よくわからない。

でも、きっとそれはいろんなことの積み重ねなんだろう。

子供ができて、大学院で研究を始めてからの2年間育ててきたいろいろな種が一斉に蕾をつけているような感覚で。でもそれはまだまだ蕾で。でもだからこそこれからどんな花が咲くのかが楽しみで。

とにかく、一区切りなのだ。
 

そうやってできた修士論文を発表するべく参加した学会で、思いがけず、同じところを目指して頑張っていると思えるような人と出会った。

研究テーマも、興味も、将来携わりたい仕事も、なんだか似ていた。

学会の後でお礼のメールを送った時、ふとその人の名前をメールボックスで検索すると、予想外に3年前のメールが出てきた。


オランダに留学していた頃に出会った、私が最も尊敬する女性からのメールだった。

そのメールには、「あなたと似た相談を受けて、今日ある日本人の方とおしゃべりしてきたところです」とあり、「もしよかったら連絡をとってみてください。」とその「ある日本人の方」の名前とメールアドレスが書かれてあった。

そう、その「ある日本人の方」が、今回の学会で出会った「同じところを目指している女性」だったのだ。

 
3年前の私は、大学院に行くべきか、就職するべきか、JICAの青年海外協力隊に応募するべきか、迷っていたようだった。

そしてその「最も尊敬する女性」に相談していたのだ。

「ある日本人の方」も、3年前同じような悩みをもち、彼女に相談をし、3年間前に進み、そして3年後の今、大学院に所属し法整備支援に関する学会に出席していたのである。


信ずる道をむ者に信ずる人との出会いがある 

3年前のあの時こそ連絡しなかったものの、同じところ見つめて歩いていれば、きっと会うべき人とは会うべき時に会うようにできているのだなあと思った。

「最も尊敬する女性」は、私よりも職務経験も文章力も知識も人間力も何をとっても敵わない(だからこそ最も尊敬する女性なのだから)し、その「ある日本人の方」も、私よりも職務経験も、きっと知識もずっと豊富だし、同じところにいるなんて思わない。

それでも、何よりも嬉しかったのは、「ひとりじゃないんだ」と感じられたからだった。

私の進む道は「多くの人が通る道」ではない。

今まで、1人で 茂みをかき分けながら進んでいたような感覚があった。

彼女と出会って、こうやって道なき道を進んでいくのに、「ひとりじゃない」ということが、どれだけ心強く感じるか、どれだけの自信を与えてくれるか、わかった。
 

その女性は30代。私の尊敬する女性は40代。そして私は、25歳。





その女性たちの関連で、もうひとつ感慨深かったことがある。

実は、4年前オランダで「最も尊敬する女性」と初めて顔を合わせた後、「娘が大きくなったら、この人みたいな素敵な女性になってほしい、と思えたのは初めてでした」と、私には勿体ないような言葉をもらっていた。

その時、私はなぜそんな風に言ってもらえたのか全くわからず、「この人はきっと優しい人で、皆に同じような素敵な言葉をかけているんだろうなあ」と思ったくらいだった。

時を重ねて「最も尊敬する女性」を知っていくにつれて、意味のない お世辞や安易なことは言わない人だということがわかったのだが、それでも私の中の何が「娘が大きくなったら〜」と思わせたのかは未だにわからない。

でも、あえて質問をしないのは、4年前のその言葉が今でも私がalways be better than yesterdayでいるためのモチベーションとなっているからだ。

「彼女は、今の私をみても、おなじように思ってくれるだろうか」

特にここ2−3年は、そんな風に自分をけしかけて前に進んできた。

 
それが、学会で「ある日本人の方」に出会った時、ふとその言葉を思い出して、「娘が大きくなったら、この人みたいな素敵な女性になってほしい、と思えた」というのはこういうことなのかな、と考えていた。

その人みていると、自然と自分の娘が大きくなったら・・・という想像がふくらんだ。


そのあと、「最も尊敬する女性」からのメールを見つけて予想外の繋がりがあったことを知った時、隣で積み木遊びをしている娘を見ながら、この不思議な偶然に思わず涙した。
いきなり泣き始めたママに、娘は不思議そうな顔をして「どうしたの?痛いの?大丈夫?」と心配している。

私は「ママね、嬉しいの。」と答えた。


ああ、私は、尊敬する女性に「娘が大きくなったら彼女のように」と今でも思ってもらえるように恥ずかしくない生き方をしよう、そして娘が「ママみたいに素敵な女性になりたい」と思えるような強い生き方をしようと思って今までやってきたんだ、ということを、この偶然が気づかせてくれたようだった。





いつのまにか秋が終わり、冷たく暗い冬を乗り越え、春の花が散ったと思えばもう夏の花が咲いている。

時の流れを感じさせてくれる四季は美しい。

この夏も、またすぐに終わってしまう。

時の流れの早さに負けないように、もっと前進したい。

もっと早く、もっと遠くまで。




 


の前に道はない

の後ろに道は出来る

ああ自然よ

父よ

を一人立ちさせた大な父よ

から目をさないで守る事をせよ

常に父の魄(きはく)をに充たせよ

このい道程のため

このい道程のため


詩:高村光太郎

2015年4月23日木曜日

見えない天井はどこにある?


数年前、ミャンマーでインターンシップをしていた頃の経験を基に書いた記事がある。


「政府の目はどこにある?」

検閲から解放されたはずのミャンマー市民が、いかにその影から逃げられずにいるかという話。

「検閲」というものが物理的になくなっていたとしても、長年縛られてきたものを心理的に拭い去るには時間と度胸が必要なのだ。




日本社会はずっと、「ガラスの天井」があると言われてきた。

※「ガラスの天井」=(glass ceiling)
組織内で昇進に値する人材が、性別や人種などを理由に低い地位に甘んじることを強いられている不当な状態を、キャリアアップを阻む“見えない天井”になぞらえた比喩表現。

この言葉は特に女性の社会進出、昇進の厳しさを表す言葉として使われてきた。

実際にガラスの天井があって、上にいこうとする意欲のある女性が頭打ちになった時代もあったんだと思う。今でも、実際にそれが現実であるコミュニティーや会社、社会もあると思う。

でも、今の日本では、世界では、ガラスの天井はだんだんと破られてきているのではないか。

実際に、未だにガラスの天井があるのはどれくらいのコミュニティーなのだろう。

ガラスの天井という「ガラスの」と言われるのは、それが見えないことの比喩表現である。

見えないのなら、どうして、そこにまだあるのかないのかわかるのだろう。

私たちの先人がその「見えない」天井に頭打ちになっているのをみて、私たちは自身の頭の中に別の「見えない」天井を作ったのではないか。

本当にそのガラスの天井が今でも存在するとしたら、それは誰が確認したのだろう?

存在の是非を確認するには、誰かが頭を打つ覚悟で上に行く他にないのではないだろうか?

もしかしたら、そのままひょいっと、上にいけてしまうのかもしれない。

そしたらそれを見ていた他の女性も、きっと上に行ってみようという気になるのだろう。

実際に「confidence gap」という研究結果がある。
http://www.theatlantic.com/features/archive/2014/04/the-confidence-gap/359815/
(英語記事。長いです)

一部抜粋
"A review of personnel records found that women working at HP applied for a promotion only when they believed they met 100 percent of the qualifications listed for the job. Men were happy to apply when they thought they could meet 60 percent of the job requirements. "


「HP(ヒューレット・パッカード)社員の個人データの集積によると、女性社員はあるポジションが求める要件の100%を満たしていると確信した時にしか昇進願いを出さないことがわかった。それに対して男性社員は、要件の60%を満たしていれば意気揚々と昇進願いを出したという。」

つまり、能力のあるなし、結果がどうなるかに関わらず、女性は男性に比べてまずトライをする自信が少ないのである。それは、彼女たちの頭の中には見えない天井があるからなのではないだろうか。




今、私自身が日本社会で若い母親として過ごして感じるのは、ここではガラスの天井どころか「ガラスの箱」の中に閉じ込められている(と感じている)女性・母親が多いということ。

誰かがひょいっとでてしまえば他の人ももう少し自由になれるものを、画一的な社会や生き方がよしとされる日本社会ではなかなか、出る杭になって出て行こうとする人も少ない。

「母親なんだから」「女なんだから」「もう歳なんだから」

そんなガラスの壁たちを自分の周りに張り巡らせているのは、社会でもなく、男性でもなく、彼女たち自身なのではないだろうか。




と言っているのは、私自身がつい最近、自分で作っていたガラスの壁に気づいたからでもある。

私は名声とか地位とかは気にしない方なので、上に行きたい、(だから天井が気になる)というよりは、自分たちの(私と、娘の)世界を広げたい(だから壁が気になる)という欲望がある。

母親になっても、何歳になっても、その欲望は志として持っておきたいな、と思っていた。というのも、娘にも大きなスケールで世界をみていてほしかったから。

だから、娘ができてからも、妊娠中はミャンマーやアメリカに行き、名古屋で勉強しながら、夏はヨーロッパで過ごし、研究もオランダやインドネシアと名古屋を行き来しながら、機会があればフィリピンでインターンシップをしたり、東京に出かけたりと、他の母親や学生に言わせると「クレイジー」なくらい飛び回っていた。

そうしているうちに、名古屋での修士課程も終わる。論文を書きながら、その後のこともいろいろ考える。

博士課程に進むにしても、名古屋にいる必要はないという太っ腹なプログラムと、理解のある指導教官に恵まれているため、どこに住んで何をするかという選択肢は無限にある。

フランス、オランダ、インドネシア、アメリカ、イギリス、東京・・・。

その時、私は、いろいろな条件(保育園とか、金銭面とか)を考えた上での「できること」から「可能な選択肢」を見出し、そこからどの選択肢にしようかという方法で決めていたのだ。

私が勝手に持っている持論の中の1つに、「誰と過ごしたいか」(who)がわかっていれば、「どうやって」(how)は自然とついてくる、というのがある。だから例えば、遠距離恋愛だってへっちゃらだと思っている。

それならやりたいことだって一緒なはずじゃないか。なぜ、(自分のため、娘のため含めて)「やりたいこと」(what)から「どうすればそれができるか」(how))を考えていないのか。

それを気づかせてくれたのは、パートナーだった。

「でも、この選択肢だと保育園がどうなるかわかんないし」「名古屋でいれば安心安泰だし楽しくやれるし」

などと言っている私に喝を入れてくれ、「娘にとっていい道と、自分のキャリアと幸せにとっていい道」を両立できる「やりたいこと」を考えることからまずはじめて、そこから「それをするにはどうすればいいか」を考えることを思い出させてくれたのは彼だった。



「やりたいこと」から考えた結果がどうなるかはまだわからない。けど、少なくとも今の私の周りには、もうガラスの壁はないし、私がそのガラスの壁を突っ切っていく(実際にないんだから、「突っ切る」とも言わない?)ことで、同じような壁をみていた他の人にも、「勇気を与えられるような存在」になれればいいなと思う。

そして、こうやって「型」をやぶっていく女性、母親は、絶対に私だけじゃないから、そういう人たちに目を向けて、どんどん自分の頭の中の壁を壊していけばいいと思う。

そして、そんな型破りな人たちは、マイノリティーになることや、一部からの反発を恐れずに、どんどん発信していってほしいと思う。

2015年3月31日火曜日

子育てが大変なのは悪いこと?




この動画をみて、ふと気づいたことがあった。

ああ、私は頑張っていたんだ。
そして何より、頑張っていることをみんなに見せないように必死になっていたんだ、と。

そして、頑張っているところを見せたくなかったのは、きっと「子育ては大変」というネガティブなイメージを払拭したかったからなんだろうと思う。
「勉強との両立なんて大変だね〜」と言われるのが嫌だったから、人一倍効率的にやってきたし、「子供ができるとやっぱり自由と時間がなくなるんだね」と思われるのが嫌だったから、今まで通り外にもでかけたし、自分の時間もとるように心がけてた。

先日、ふと参加したイベントでたまたま会った人と話していた時に、彼が「子供をもつと幸せ度が下がるという統計結果がある」と、自分が子供を持つつもりがない理由として話していた。
社会学者として、そして一人の母親として、その統計の方法とサンプルの選び方と質問の仕方と結果を全部まとめて見せてから言いなさいと思ったけれど、そこで異常に反発(心の中でだけれど)している自分に気がついた。

子育てで大変な思いをすること=不幸せ 
という公式ができているような気がするのは私だけだろうか?
そして、そんな公式ができてしまっているのはなぜなんだろうか?

例えば、アスリートが寝る間も惜しんで、怪我なんかもしながら、他のことを全て犠牲にして練習する大変さは、「努力」として評価の対象になる。
もっと身近な例でいうと、高校の部活に情熱を注いで大変な練習を乗り越えていることは、みんなからの賞賛の対象だった。実際に私は中高テニス部で、テニス以外のことをしている時は食べている時か寝ている時かお風呂に入っている時くらいしかない、というような生活をしていた。その時は、本当に大変だったし、しょっちゅう泣いていたし、身なりなんて気にしている暇もなかった。でも、その時は周りの皆は「努力の証」として見ていた。

実際に、何かを成し遂げようと思ったら、それがどんなことであろうとも、大変なことや苦労は避けて通れない。成功も、達成も、充実感も、その大変さがあるからこそ価値のあるものになる。

それが、なぜ子育ての大変さとなると、子育て中のママが疲れていたり、寝ていなかったり、身なりを気にしていかなったりすると、「不幸せ」のイメージがつきまとうのだろう?

ひとつの違いとして思いついたのは、子育ては他のことと違って「途中放棄」ができないということだった。
他のこと、例えば部活の例だったら、辞めようと思えばいつでも辞められる。ということは、大変な思いをしながらも続けているのは、自分の意思と決断でしているということだ。
それと違って、子育ては途中でやめられないからいつの間にか「義務」とみなされるようになるのだろうか?

そういえば最近読んだ本の中に、「選択の科学」というものがあった。
その本の中で紹介されていた数ある実験の中の1つの結果に、「人は自分で選んでやっているわけではないと感じている物事をする時に、選んでいないということ自体に不幸感を感じる」というものがあった。

でも、子育ても、強制されてやっているわけじゃない。ほとんどの人が、産みたい、産もうと思って決断して産んだはず。なら、その決断を自分の選択として自信を持っていいはずではないか。

最近では、子育ての大変な面が異常にクローズアップされて、政府の子育支援・出生率上昇政策はその大変さを軽減するためのものばっかりだ。
たしかに、子育ては楽じゃない。それは自信を持って言える。
でも、子供をもつことは、子供をもってからしかわからない(少なくとも、私は子供をもつまでわからなかった)楽しさと、その苦労が全部ふっとぶような幸せを感じる瞬間がある。
それは、保育園にお迎えに行ったときに私の顔をみて「ママー!」と満面の笑みで走って来る娘を見た時だったり、彼女がもっているみかんの半分を「ママも!」と差し出してくれた時だったり、絵本を読みながら膝の上で寝てしまった寝顔を見ている時だったり。

自分の強みも弱みもわかったうえで、どちらもさらけだして「これが私で、そんな私が私は好きなの」と言える人はきもちいい。
それなら私は、子育ての大変さも楽しさも包み隠さず見せて、「子育てって、めっちゃ大変だけど、めっちゃ楽しいから、そんなふうに子供をもてることが本当に幸せ」って言えるようになろう。