2016年7月29日金曜日

距離と捉えかた

バリ。夕日にほんのり染まる空。8月に行われる大会に向けてみなが凧揚げに精を出している。


娘をフランスにいる家族に預けて、3週間半のフィールドワークに来ている。

今の正直な気持ちは、「遠い。長い。」

娘は大好きなパパやその家族と一緒にいるし、保育園もなし、いい環境で甘やかしてもらえて基本的に楽しい時間を過ごしているのだけれど・・・

1週間に1回くらい、なかなかよく眠れない夜があるらしく、そんな時は「ママ〜。ママ〜。」と泣いて私を求めるという。

それを聞くたびに、私自身がだんだん不安定になっていくのがわかる。

子供を預けて仕事に来ている罪悪感、とはちょっと違う。仕事に来ているのは娘も理解できているし、これは必要なことで、こうやって柔軟にフィールドワークに来られる環境にあることはとってもありがたく思っている。

ただ、「会って抱きしめてあげたい、安心させてあげたい。」と思う気持ちと、それができない距離の狭間で葛藤しているせいで不安定になっているのだと思う。

普段は「ママはインドネシアにお仕事行ってくるからね。帰ってくるまで、パパたちと一緒にいるんだよ。」と言うと「う〜ん、わかった〜。」と不服そうながらにも承知する娘が、私が出発する前日の夜には「ママ、行かないで〜。」「ママと一緒にいたいもん〜。」「ママ大好きだもん・・・。」と、止めていた感情が溢れ出たようにずっと泣きながら繰り返す彼女を見た時は、真剣に渡航を中止しようかと考えた。
こちらに来てから苦しかった時に、インドネシア人の同僚(彼女は2人の子供をインドネシアにおいて、半年ほどオランダで一人で研究していた)に相談すると、「わかるよ。私も最初の1ヶ月は毎日泣いてた。友達に話を聞いてもらったり、仕事に没頭したりして、なんとかしてた。それに、子供は、実は親が思ってるよりも強いよ。」と言われた。

本当に、これで研究に集中できずにフィールドワークでできる全てをやって帰らなかったら、彼女と離れているこの期間の意味までなくなってしまう。

それに、一人の時だからこそ自分の為にできることもたくさんある。

オランダに来てからなかなか時間がとれていなかった体づくり(水泳と長距離走)や、ずっと読みたかった本、じっくりと友達と出かけて話をする時間、 自分の頭の中を整理して文字にすること。


"Parting from people we love is never easy and it always feels like an act of violence - even when it's temporary. But occasional separation is inevitable and it can make us more conscious of the loved ones and their role in our life."
(「愛する人と離れることは、例えそれが一時的であっても、決して簡単なことではなく、暴力の一種のように感じられる。でもたまに離れることは避けられないことであり、それは愛する人のことそして自分の人生の中で愛する人たちがどのような役割を担っているのかということを意識できる機会にもなる。」)

そういえば、飛行機の中でみた映画(「人生の約束」というタイトルの邦画)で印象的だった台詞の一つが、「失くしてから気づくことばっかりやな、人生は。」というのがあった。

「失くす」というのは些か大袈裟だが、確かに一度「失くす」経験は、そのものの大切さを教えてくれる貴重な機会にもなる。そして気づいた瞬間から、それを精一杯大切にする努力を、していくきっかけにもなる。

こうやって愛する人たちがいて、その人たちも私を大切にしてくれ、日々が過ぎていく。普通に過ごしていても、それは決して普通で当たり前なことじゃないから、一日一日を大切にしていきたい。

2016年7月25日月曜日

庭の手入れと基礎づくり

泊めてもらっていた家の庭。

バリでは2週間、知人の家に泊めてもらっていた。なかなか眠れなかったパリからのフライトで疲れていた初日、広いベッドで思う存分寝かせてくれ、次の日の朝ごはんにお粥(インドネシアではbuburといい、朝ごはんとしてはかなりメジャー。揚げた玉ねぎや、鶏肉、鶏肉からとったスープなどと混ぜて食べる。)を出してくれた時には本当に心も身体も温まった。「ああ私の身体はこれを欲してたんだなあ」というのがよくわかった。
その知人というのは、オランダ人でインドネシアの歴史を研究してきた女性。彼女はバリ人の男性と結婚しバリにもう数十年住んでいる。これからバリが研究をしていくフィールドになるのだけれど、今回バリが初めてだった私に、バリの慣習(アダットadatという)を見せてくれ、毎晩質問する私に説明してくれた。たまたま重なった私の誕生日には、美しいビーチに連れて行ってくれ、冷たいビールを飲み、それから彼女の家族お気に入りの日本料理店に連れて行ってくれた。久しぶりに納豆と、えび天丼、ほうれん草のおひたしなどを食べた。

バリでの最後の日、何かお礼がしたくて、彼女の家の大きな庭の手入れを手伝わせてもらった。彼女の庭の土は雨が降るとすぐに固まってしまうらしく、定期的に肥料と混ぜて土を柔らかくする必要があるそうだ。木や植物の根っこを傷つけないように気をつけながらシャベルで庭の土をほぐし、買ってきた肥料と混ぜ、またほぐして整えていく。ジリジリと照りつける太陽の下で、汗だくになりながら、カエルとか赤いアリと戦いながら、黙々とする作業は、なんだか心地よかった。作業をしながら、こういう基礎作りをするための作業を私はちゃんとしてきているだろうか、と疑問に思った。私は、目標を決めてそれに向かって速く、速くと足を進めていく方で、「生き急いでいる」と言われたこともあった。それは私が努力をする原動力になっているわけだけれど、はやくあそこにたどり着きたい、と思うばかりに寄り道をしたり、足元をみながら一歩一歩歩いていくことをしてこなかったのではないか。でも・・・。こうやって作業をしていると、庭の木が、植物が大きく育ち長く生きるためにはしっかりとした土台が必要なのだとわかる。そしてその土台づくりという地味な作業も、やってみると心地良い。

そんなこんなで夢中になっていると、2−3時間がたっていた。「おかげではかどった。ありがとうね!」と言われたけれど、お礼を言いたいのは私の方だった。



2016年7月23日土曜日

私にとっての「書く」ということ


ある人のブログを読む。彼女の人生に想いを馳せるだけじゃなく、自分の日々の生活についても考えさせられる。一日一日、追われるように過ごしているけれど、実はその一日は思っているよりももっと豊かで大切なものなのではないか。日々することや、考えること、起こること、そして人とする会話。そういうことを横目に早歩きしているけれど、そういうことに目を向けることが人生を豊かにするのではないか。書くことは、日々の小さな出来事に目を向けることを助けてくれる。私が写真が好きな理由と同じ。

書くことは、私にとって大きな意味をもつ行為である。書くということは、communication to the othersだけでなく、communication to myselfでもある。Communication to the others。メールを一通書くにしても、論文を書くにしても、「こう書いたら読む人もわかりやすいかな」「こう書いたらこういう風に解釈されてしまうかもしれないな」なんて、読む人のことに想いを巡らせながら書くプロセスも好き。Communication to myself。書くことで自分の考えや感情に気づかされることが多い。人間は自分のボキャブラリーにないコンセプトを思考化することはできない。だからジョージオーウェルの「1974」が描く国民がコントロールされた独裁国家では、政府に都合の悪い単語は使用を禁止され、だんだんと人の生活から、そして頭から消えていく。

せめてこうやって一人でフィールドワークをしている間だけでも、たわいもないことでもいいからブログをちょっとづつ書いていこう。ライデンに戻って娘との慌ただしい生活に戻ってからは、どれだけできるかわからないけれど。