2014年12月31日水曜日

2014年の振り返りと2015年の抱負。


Pelabuhanratu(女王の海)のビーチでの夕日。



インドネシアの交通渋滞は、自他ともに認める社会問題である。


人々は、常に渋滞状況を考慮に入れて行動しなければならないし、渋滞のせいで遅刻なんて日常茶飯事(もはや本当に渋滞のせいなのか、渋滞が言い訳に使われているのかわからない)、ジャカルタの人が早起きなのも渋滞を避けるためだそうだ。

でも、実は私は渋滞が嫌いじゃない。

というのも、渋滞に巻き込まれた交通機関の中では、「考える」こと以外にできることがないから。

乗り物酔いをしない人は、ガタガタ揺れるバスの中だって本を読んだりできるのかもしれないが、三半規管が敏感な私では5分でダウンしてしまう。

だから、常に生産的なことをしていたい私も、この状況には逆らえない。じっとしてじっくり考え事ができる、かなり贅沢な時間なのだ。

最後のインタビューを終え、ガタガタ揺れるバスの中で7時間、年末にいつもしようと心がけている今年の振り返りと来年の目標設定をしていた。



今年は、試行錯誤の年だった。

は、親になると、1人から、ふたでひとりになる。

ひとりふたりになると、今までの自分のあり方を一度壊さなければいけなくなる。

自分のアイデンティティーを、一から作り直すような感覚だ。

特に子供が小さいうちは、どこにいくのも子供と一緒だし、一緒でない時も、人は子供と自身の2人を「セット」としてみる。

保育園にいくと先生達はみな「○○ちゃんのお母さん」と呼ぶし、大学に行くとまず「○○(娘の名前)元気?」と尋ねてくれる。

振る舞いも、頭の中も、計画だって、親になる前の「私」がしていたようでは通用しない。

今年は、そんな自分に戸惑いながら、失敗ながら学び、少しづつ土台のようなものを築きあげた年だった。

新しい土地で、一から人間関係と信頼を築いた年でもあった。

来年は、その築いた土台から、飛躍する年にしたい。

ということで今年の抱負。


1)アグレッシブにいく。
こんなことを抱負にあげると、「アグレッシブは十分だから、ちょっとは落ち着け。子供もいるんだし。」という声が聞こえてきそうだけど・・・
 子供がいることで、守りの態勢に入りがちだからこそ、あえて自分にこれを言い聞かせたいと思う。

2)自分に正直になって、自分を理解する。
最近になって、自分のことを理解することが、選択だらけの人生において自分の道を歩むために大切で、同時に難しいことであることにも気づいた。
自分のいる環境、周りにいる人に順応、適応する努力も必要だけど、嫌いなものは嫌い、違和感は違和感、と自分に正直になることは自分を理解するために必要なことだと思う。

3)他人にポシティブフィードバックをする。
私は他人を理解するのが好きで、努力しなくてもポジティブな面と、同時にネガティブな面が見えてしまうことが多い。今年はこの能力をうまく使いたい。
ポジティブなことは、照れずに意識的に相手に伝える。
ネガティブなことは、必要なときは相手にとって効果的な言い方を考えて伝える。

4)生活はシンプルに。
優先順位の低いものはできるだけシンプルにしてルーティーン化する。
そうすることで優先順位の高い大切なことに集中できる。



また半年先にどこにいるかわからないような生活をしていますが、離れていても、どこにいても、自分にとって大切な人を大切にできるようにしたいと思っています。2015年もよろしくお願いします。

2014年12月19日金曜日

変わることと進むこと


5年ぶりのインドネシアに向かう飛行機でこれを書いている。

関空で搭乗時間ギリギリまで母と他愛ない話をし、駆け足でゲートに向かいながら、胸の中に小さな不安を感じた。

この不安のはっきりした理由はわからないが、5年ぶりに同じ土地に舞い戻るということは5年前の自分と今の自分との違いを直視しなければいけないということであり、そして自分でそれを知る良い機会であるように感じた。

5年前、初めての海外長期滞在の地として降り立ったジャカルタは、無垢だった私にとって新鮮でこの上なく刺激的だった。

英語は日常会話レベルも怪しかったので、電子辞書を持ち歩き、それを使いながらなんとか同僚たちと会話した。

ホストファミリーとの食事では、英語が堪能なホストブラザーたちが発する英語のジョークがわからずに、申し訳ない気持ちになった。

語学もままならず、スキルも知識もなかった大学1年生の私は、それでも自分にできることは何かを必死に考え、日本の四大公害病である水俣病のポスターをまるめて持って行った。そして、水俣病を通して環境啓発をしようと水俣展を企画した。

そういえば、そのとき、自分にもっとスキルがあれば、もっと知識があれば、専門があれば、人に助けてもらうだけじゃなくて人に役立つことができるのに、と思ったのが、それから学問を続け、留学もした理由だった。

そして今気がつけば、研究者としての道を選びインドネシア法を専門にしようとしている。

研究者として、どうしたら社会に貢献できる研究ができるのか。

これはマスターコースに入ってからずっと問い続けてきた問いである。

私は研究という行為が好きだと思う。

机に座って、本を読み、頭で考え、書くことが好きだし、自分のやりたいことを、価値があると思うことを自分の裁量でできるところが自分に合っていると思う。

ただ最近、研究者でいるだけでは物足りない、と感じている。

教授方にはまだ研究者として一人前でもないのに生意気な、と言われるかもしれないが、研究をしているだけでは満足できない。

私は自分の研究を活かして、直接的な支援がしたい。

国際社会は当たり前のように、「child marriageは撲滅すべきだ」というけれど、それは西洋中心にした1つの物差しでみた価値観なのではないか。

当たり前と思いがちなことを当たり前にせず、本当に当事者が、そしてその社会・コミュニティが必要なことを理解して、彼女がそれらを得られるように手助けをしたい。


こんなことを考えながら、あと数時間でジャカルタに降り立つわけだが、空港にもホストシスターが迎えに来てくれるというし、フィールドワークに際しても現地のアシスタントが同行してくれるし、手助けをするどころか助けを十分過ぎるくらい受けて今回の滞在が成立している。

今回受ける恩を返せるような研究にしなければ。と、機内でもらったKOMPAS(インドネシアの全国紙)から単語をひろいながら、読み進める。