2013年12月24日火曜日

シリアへの思い

クリスマス1週間前。フランスから小包が届いた。

フランスのおじいちゃんおばあちゃん、PapouMamouから、娘へのちょっと早めのクリスマスプレゼント。





(右上のスカーフは、私へのプレゼント。クリスマスプレゼントをもらって喜ぶ歳でもないよな、と思いながらも、嬉しい。)

今思えば、娘が産まれた時も、世界中から友達が祝福してくれた。

こうやって世界中に愛してくれる人がいる娘は、本当に幸せものだ。



Mamouはフランス人で、Papouはシリアから移住してきたフランス人(血は100%シリアだけれど、フランス在住歴の方が長くフランス国籍も持っている)。

Papouは、よくシリアの話をしてくれる。

彼はもともとアレッポという学生の街の出身。そこで人生の20年以上を過ごしている。

アレッポにある石鹸屋さんの話。大きなオープンレストランの話。大学で勉強していた頃のこと。

そんな話を聞く度に、戦闘地となっているアレッポの現在の状況のことを考えずにはいられなくなる。
(ジャーナリストの山本美香さんが銃殺されたのも、この街。http://www.youtube.com/watch?v=dg6Lo-8GpHU


もともと皆でアレッポに住んでいたPapouの家族は、今ではレバノンやエジプトに避難してちりぢりになっている。

アレッポに残っているのは、Papouの妹とその夫、そして娘2人。

連日のニュースで伝わってくる悲惨な状況。なのに、“なぜ避難しないの?”。

何度も、何度も、尋ねてきた質問である。

返ってきた答えは、予想もできなかったものだった。

「娘の大学入学のための試験が来月にあるから」

試験と、命と、どちらが大切なのか、と問いたくなるような答えだ。

でも、選択肢は「試験か命か」ではないのだと気づく。

その街で産まれ、育ち、学び、家を持ち、働く人たち。

彼らにとって、生活はそこにしかないのだ。

避難所にうつったとしても、そこでは暴力や窃盗、不安が待っている。

彼らにとっての選択は「命か、生活か」だったのだ。



クリスマスプレゼントが届いた後、Papouと話をした時にこんなことを聞いた。

「先日、アレッポにいる妹にM(娘の名前)の写真を送ったら、それを拡大印刷して壁に飾っているそうだよ」

「よっぽど嬉しかったのか、“今月で一番嬉しい出来事だった”と言ってたよ」

ショックだった。

戦闘地の、暗い毎日では、娘の写真が、1ヶ月で一番嬉しいニュースなのか。

今は寒いのではないかと聞くと、

「毎日、夜寝る前にお祈りをして寝て、朝起きると命あることに感謝して」

「その日一日をどうやって生き延びるかを考えて生きる日々」

だという。

「アレッポの周りの難民キャンプでは赤ちゃんが死んでいる」

小さな赤ちゃんを胸にかかえながら、自分の子供が力つきていく母親の気持ちを想像するには、たいした想像力は要らないと思う。


You who tomorrow are still alive, what are you waiting for? Why don’t you love enough? You who have everything, why you are so afraid?
「明日も生きることができるあなたが、何をそんなに躊躇しているのか、なぜ十分に愛さないのか。あなたは全てを持っているのに、なぜそんなに恐れているのか?」

シリアにいる女性ジャーナリストが書いた記事の、最後の文章である。

あたたかい家がある幸せを、おいしいご飯が食べられる幸せを、そして愛する人がいる幸せを、そして愛する人を守ることができる幸せを、毎日かみしめて生きようと思った。






何か、何か。

私にできることはないか、と考えていた時に見つけたのがこれでした。

団体側にも電話をして、ちゃんとした団体だということも確認したので、今名古屋では衣服を集めています。

寄付できる衣類がある、という方は、ご連絡ください。


2013年11月24日日曜日

Women really can't have it all?






自分の人生が、他者を中心として回っている、というのは、

奇妙な感覚である。

娘が産まれてから、いやたぶんもう少し前から、私の人生の中心は自分自身ではなく、小さな小さな娘になった。

Why Women Still Can't Have It All

「女性が未だにすべてを手に入れることはできない理由」

これは、アメリカで2012年に最も読まれた記事である。
アメリカの国務省のディレクターになった女性がキャリアと家庭について書いている。

私は妊娠中にこの記事を読んだ。たぶん、妊娠五ヶ月の頃だったと思う。

その時私を震撼させたのは、「But I realized that I didn’t just need to go home. Deep down, I wanted to go home. I wanted to be able to spend time with my children in the last few years that they are likely to live at home, crucial years for their development into responsible, productive, happy, and caring adults.」という言葉だった。
その時の私は、キャリアを追い求める女性にとって子供は(聞こえは悪いが)「負担」であり、その負担を背負いマネージしながら自分のやりたいこと(仕事)との両立をしているものだと思っていたから、子供との時間を過ごしたくて仕事を放って帰りたくなる、という心理が理解できなかったのだ。

皆、働く母親は時間になると子供を迎えに「帰らなければならない」ものだと思っていた。それをまさにキャリアウーマンの典型である著者が、子供との時間のために「帰りたい」というのか?

これは私にとって恐怖でもあった。

子供が可愛くなって、自分の人生、キャリアを追い求めるのをやめてしまうのが怖かった。子供ができて働き始めた時に自分がどう感じるか、予測できなかった。



大学院での研究が始まって二ヶ月。

今、著者の言葉がよくわかる。

毎日、6時頃になり、そろそろ娘を保育園に迎えに行くという時間になると、私はそわそわし始める。

やらなければいけないことはいくらでもある。家に帰ると勉強なんてほとんどできないので、お迎えの前の30分の時間で少しでも多くのことを終わらせたい。

しかし、それと同時に、30分でも早く娘に会いたいという気持ちがむくむくとでてくるのである。

夕方、保育園で娘の顔を見て抱き上げる瞬間が、一日で一番幸せな瞬間といってもいいと思う。

疲れている時も、彼女の顔を見て、抱き上げ、お互いのぬくもりを共有すると、不思議と彼女がパワーをくれる。

自然と、「産まれてきてくれて、ありがとう」という言葉がでてくる。





先日、初めての試みをした。

国際人権法の学会に娘を連れて行ったのである。

選択肢は3つだった。
1.娘を誰かに任せて、一人で出席する
2.娘を連れて出席する
3.出席しない

当日になっても、迷っていた。

任せることもできたし、家に帰ってゆっくり過すこともできた。

学会の雰囲気もわからなかったし、ベビーカーが入れるスペースがあるかどうかもわからなかった。

でも、娘を連れて出席すると決めたのには2つの理由がある。

一つ目は、これからこういった娘を連れて行かないといけない機会もあるだろうと考えたこと。周りの人の反応、娘の反応、そして自分自身の反応もみてみたかった。

二つ目は、周りの人に「見せる」ため。でもこれにはリスクも伴った。うまくいけば「子供を連れてでも学会に来られる」というイメージを与えることができるが、うまくいかないと反対に「やっぱりだめじゃん」となるからである。

娘をベビーカーに乗せ、会場に入る。

元欧州裁判所裁判長のコスタ氏の講演を兼ねていることもあり、続々と人が入ってくる。ほぼ満席である。

周囲の視線を感じながら、私は「連れてくるのが当たり前」のような顔をしようと努めていたが、内心はかなりナーバス。

講義中も、娘が少し声を出す度にすかさずおしゃぶりを咥えさせたり、お茶をあげたり...

極め付けは、泣いたら外に出るつもりで近くに座っていた扉が、いざというときになぜか開かない。

ぐずる娘を抱えて扉に向かうが開かず、すごすごと席に戻って娘をあやす...そんな姿を見て、良いイメージを持つ人なんていないだろうな...と情けなくなり...

今日娘を連れて出席するとという選択を後悔しはじめていた。

なんとか休憩時間になり、その後は会場の外で娘をあやしながら途切れ途切れに聞こえる講義を聞いていた時。

会場から一人の女性が出てきた。名札をみると、弁護士とある。

「頑張ってくださいね」と声をかけられた。

「私も昔は子供を連れて学会に行っていたから」

見知らぬ女性の一言で、これほど勇気づけられるとは思わなかった。

後悔が、来てよかったという思いに変わり始めた瞬間だった。

そして、「懇親会、お金払ったんだけど行けなくなっちゃったから、よかったらどうぞ」と譲ってくれたチケットで向かった懇親会でさらに意外なことが。

女性の参加者が次々と「私も◯歳の子がいるからよくわかります」「こういう風に、ちゃんと連れてきているのを見せてくれたら、他の人も以後やりやすくなるからね」「いつも人に任せられるわけじゃないし、かといって学会に行かないとチャンスから遠ざかってしまうしね」と声をかけてくれるのだ。

迷惑に思っただろうなと思っていたコスタ氏も私に近づいて一言「Congratulations!」(おめでとう)「She is the youngest one ever who attended my lecture!」(私の講義に出席した中で最年少だよ)と。

更には主催者の一人も「いや、あなたも赤ちゃん連れてきてるし、次からはやっぱり託児所をつけないとね」と。

...なんだか、いつのまにか出席したことが意外にも良い影響を与えていたみたいだ。

もちろん、励まし、賛同してくれる人だけではないのはわかっている。

学会に子供を連れてくるなんて、と批判的にみていた人もたくさんいると思う。

ただ、私はあの弁護士の女性のように、「私もやってたから」と、他の女性の選択肢と可能性を広げる一つの例になりたいと思う。

私自身は批判されることもあるだろうし、冷たい視線をあびることがあってもいい。

「常識」からが外れた自分の行動を周りに見せることが、人々の可能性を広げられれば、本望である。




Women can't have it all?

女性は全てを手に入れることができないか。

私の意見は、そんなのNo one can have it all. でも、Women can have it both.

子育てか、キャリアか。

どちらかを選ばなければならない時代は、もうおわり。

どちらも、諦めなくていい。
いつまでも欲張りな私はそう思う。

2013年5月22日水曜日

私が22歳で出産することを決めた理由

2013年4月18日、22歳の春に、私は母親になった。

その9ヶ月前に既に母親になっていたのかもしれない。その時に「母親になることを決めた」というべきか。

出産後、家族や友達と話をしていると「なぜ妊娠がわかった時に、出産することを決めたのか」という理由説明することが多い。

まず、この質問の裏には「なぜ中絶を選ばなかったのか」という問いがある。

もちろん中絶に伴う肉体的精神的苦痛がこわかった、というネガティブな理由も1つだ。

実際に、(中絶せずに)出産を決めた後で、確認のために産院で受けたエコーの写真に写った小さな黒い点(これが生命の始まりなのである)を見た瞬間、

「ああ、これは中絶すると決めていたとしてもできなかっただろうなあ」と思った。

しかし、出産を決めた本質的な理由は、若い歳での出産をポジティブにとらえる理由を見つけることができたことにある。

私は、自分のやりたいことを仕事として、趣味として、実現することに自分の人生の意味を見いだしていた。具体的には、発展途上国で現地の開発のための活動に携わること。そして国内国外を周りいろんな世界を見ること。

それに子供だって欲しかった。

この2つをどちらも実現したいと思う女性、いわゆる「キャリアウーマン」が選ぶ道は、大抵、若いうちは働き、遊び、それらにある程度満足がいったら結婚し、出産し、専業主婦(もしくはパートタイム)になり子育てをする、というものだろう。

しかし22歳で決断を迫られた私はその時、考えた。

子供をもつ、ということは一生のうち子供が自立するまでの少なくとも15年間はある程度の制約とともに生きていくということ。でも、それが今大半のキャリアウーマンが選んでいるように35歳からの15年間である必要があるのだろうか。どうせ子供を育てるなら、その15年間を22歳から37歳の間に費やすのが、なぜできないのか。

個人的には40歳からが女性にとっての最盛期だと思っているので、その最盛期も「自分だけのために」使うことができる。 私の場合は、その15年間を勉強や研究(実は会社で働いたりするよりも子育てとの両立がしやすい)に費やせば、その後の「実務」に活かすこともできる。





これが私が出産を決めた理由だったわけだが、出産からの15年間、母親に自由がないというイメージにも疑問がある。

妊娠中のこと。親戚が集まるお正月の場で、親戚の1人から「人生で一番遊びたい時期を子供のために捧げるのだから、頑張ってね。」と声をかけられた。

もちろん彼女は意地悪で言ったのではなく、母親として頑張ってほしいという応援の言葉として言ってくれたのだが、私はその時妙な違和感を感じたのを覚えている。

その後、妊娠後期(大学でのテストを終え、実家に戻って出産準備をしていた9、10ヶ月目)に読みあさっていた外国での妊娠出産や子育ての捉え方に関する本で、その違和感の正体がわかった。

子育てにおける母親の役割について、欧米の中でも特異な社会的概念が存在するフランスでは、「子の人生は一人の人間としての人生、母親の人生も一人の女性としての人生である」のが通念である。だから、女性は母親になった後も「女性」であることを当たり前としそれを主張する。

その考え方にしっくり来た私は、「子供に自分の人生を捧げる」という言葉に対して感じた違和感を思い出した。

総体論になって申し訳ないが、現在の日本社会では「母親が自分を犠牲にして子供の世話をする」ことで「子供に人生を捧げる」ことが美徳とされているように感じられる。

しかし、本当に母親が自分を犠牲にすることが子供を幸せにすることに繋がるのだろうか。

こんな話がある。

ある女性は、女医として働くまさに「キャリアウーマン」だった。そんな彼女が中年になり、出産した時に彼女は仕事をやめ、専業主婦として子育てに専念することに決めた。それは彼女の母親が彼女にしてくれたこと(彼女の母親は専業主婦であった)を自分の子供にもしてあげたいと考えたからであった。そして、医者という仕事をやめて母親という仕事に「転職」した瞬間、彼女は皆から尊敬され羨ましがられる「キャリアウーマン」から「どこにでもいる子連れの主婦」になり誰からも評価されなくなってしまったのだ。そんな彼女のストレス発散方法は、週一回子供を連れてカラオケにいくこと。

決断は各人の自由だが、なんだか彼女の才能が勿体ないような気がしてならない。

さらに彼女は自分が周りから評価されなくなった分、自分の娘に期待をかけるようになった。子供に対する評価=自分の母親業に対する評価、になってしまい、結果子供に悪いプレッシャーを与えることになっている。彼女の娘は、学校でも簡単なことしかしようとしないという。失敗して「ママの期待に応えられない」のがこわいのである。

本当に子供を幸せできる「よき母」に必要なのは、母親が子供のために自分を犠牲にすることではなく、母親も幸せでいることではないだろうか。





子供のために自分を犠牲にすることが美徳になっていることのディスアドバンテージは、まだある。

女性が子供を持ちたがらないのだ。

実際に私の友達でも、「子供はほしくない。自由に生きたい。」という女性もいる。

それはそれで個人の選択なので評価するつもりはないが、「自由を制限されるから子供はほしくない」というのはなんだか悲しい。

第一子の出産平均年齢は30.1歳。、現在の日本の出生率は1.39。

人口を維持するのに必要な出生率2.1を遥かに下回っている。



そして子供を持つことを選ぶ女性は、仕事をやめてしまう。

日本の女性が働くようになれば、1人あたりのGDP4%アップすると言われるように、日本の経済力強化のためには女性の労働力が必要になっている。


日本が直面するこの2つの問題、出生率と出産後働く女性の率をともに上昇させる、つまり母親による仕事と家庭生活の両立を実現させることはできないのだろうか。

ヨーロッパ諸国の例を見てみると、北欧諸国等手厚い社会政策(出産・育児休暇制度、三歳児未満を対象にした託児施設の数や質の改善、企業や公共セクターにおける柔軟な勤務時間制度、長期育児休暇に職場に復帰しやすくすること)を実施しているところでも出生率は1.9と2.1には届かない。

例えばスウェーデンでは、男性の育児への参加を促進しようと、男性が育児休暇をとることを可能とする政策を実施しているがその制度を利用しているのは全体の10%にも満たないという。

それらに比べ、ヨーロッパ諸国の中で最も出生率の高いフランスは何が違うのか。

子供の養育費の多くを国が負担しているなど政策面の特徴も見られるが、ここで言及したいのは上でも説明した「母親の役割」についての社会的認識に特徴があること。

出生率ヨーロッパトップに貢献しているのは実際に30代の就労女性であり、また実際に一生のうちで子供をもたないと決断する女性はフランスでは圧倒的に少ないそうだ。

安倍内閣が働く女性を増やそうと、出産育児中の就労を可能にする政策を推し進めていることはもちろん大切だが、それよりも大切なのは、「母親は子供のために自分を犠牲にするべき」という社会的認識を変えることなのかもしれない。





日本では、赤ん坊は生後1ヶ月になるまでは家の外に出してはいけないと言われる。(感染症予防のためと言われるが、これは日本だけで、他の国ではある程度免疫をつけるために出産後すぐに外に出すことが多いという)

そして母親は当然のように、赤ん坊の側にいて授乳をしおむつを替え、何かあったときのために見張っていなければならない。

ということは、当然母親も家の中から出られないことになる。

「外の空気を吸いに散歩したい」
「カフェに座ってゆっくり本を読みたい」
「美容院に行ってきれいになりたい」
「友達とちょっとご飯でも行きたい」

まずはじめに、こういった自分の欲望に蓋をしなくてはならない。

その後も、自分の欲望やエゴと子供の成長を願う自分の矛盾が消えることはない。
そして何より、その矛盾が存在することを言えない辛さ。
子供のためを思う「良き母親」であるためには、こういった欲望がなかったことにしなくてはならないのだ。




子供をもったこと、そのことで自由を奪われ「こんなはずじゃなかった」と後悔している母親、そしてそれを言えない母親。これが今一番救われるべき者であり、そういう母親がうまれないように何かが変わらないといけない。

私は、幸運なことに、出産後、自分の子をもつということは素晴らしいことだなあと日々実感している。

というのも、母親そして女性という概念についていろいろな考え方をもつたくさんの人に囲まれ、「こうでなければならない」という単一の社会が生み出す「良き母親像」にとらわれなくてすんでいるからだ。

母親は子供と共に成長する。

こんな尊い機会を、「自由がなくなっちゃうから」という理由で逃すのは勿体ない、と私は思う。

自分の住む社会とは違った社会からみた「良き母親」を知る事、そしてその違いが存在することを知る事だけで、矛盾をかかえた母親は少し救われるのではないだろうか。そしてそれが、今の日本が出生率をあげるために、女性の労働力で経済力を強化するために、そして満たされた気持ちで子供をもつことができる女性が増えるために必要なことなのではないだろうか。

2013年2月8日金曜日

感謝の念を込めて。


最近、素敵だなあと思う生き方をしている女性とお会いすることが多い。

ライデンで勉強した時にお会いした女性。
彼女はUNHCRで10年間程働いた後に子供を出産し、
子供が1歳になる頃からシングルマザーとして子育てをしながらライデン大学で国際法を勉強されていた。
10年間僻地で働いてこられた彼女が、
「あんなに大変なことをやったんだからもう何も怖くない」と思う程困難を伴う1年間を乗り越え、現在はまたUNHCRに復帰し途上国で娘さんと共に生活されている。
強い意志を持ち他の人が歩んだことのない道を行く女性は、とてもセクシーだと思う。

慶応での授業でお会いした女性は、慶応卒業後、会社勤務を経て、
ハーバードビジネススクールで留学。
その後仕事をしつつ産休をとり出産。
出産を期に、「自分が一番の顧客だった」というベビーシッターの会社を立ち上げられる。
今はお二人のお子さんをアメリカ留学へと送り、
ご自身は慶応の法学部で勉強しながら翻訳の仕事をされている。
才能があり、その才能を活かす術を知っている女性は、魅力的だと思う。

慶応で働かれている女性教授は、もう定年に達しながらも、
慶応の国際センターで授業を続ける傍ら、三田にある一軒家で異文化交流のためのイベントを毎週開催されている。
彼女には子供がいない分、「生徒たちが子供みたいなものかも」と言う。
いつまでも好奇心を忘れない女性は、いつまでも美しいと思う。

私が個人的にお世話になっている女性は、
私の祖母くらいの年齢であるにも関わらず、多趣味で、若い人たちと話すのが好きだという。
自分の娘の子供を代わりに育てたり、外国人留学生をご自身の家で受け入れたりと、面倒見が良過ぎるのではと心配になる程、「どうしても世話してあげたくなっちゃうのよね」というところが、皆に好かれて慕われる理由なのだろう。
何にでも挑戦することを忘れない女性は、いつまでも若いと思う。

この前収録に参加させてもらったNHKの番組( http://www.nhk.or.jp/asia-nadeshiko/special/index2.html)では、家族(夫)と自分の夢との間で悩みながらも進む女性たちに出会った。
タイで大好きなゾウの世話とガイドの仕事をしていた女性は、夫が仕事の都合で日本に戻らなければならくなった時、迷わず夫について日本に帰ることを決めた。
仕事場での同僚や愛するゾウとの辛い別れを経て、日本で暮らしている彼女は、今日本でタイの同僚やゾウたちのためにできることを探し出し実践している。
「いつか必ず戻りますよ。ゾウと一緒にいない自分なんて、考えられない」と語っていた。
対して、この春から長年の夢だったカンボジアでの仕事を始めるという女性は、日本で働く夫がいる。
彼女の夫は「2年間」という期限つきで彼女のカンボジア行きを承諾したという。
いつか欲しいという子供のことも考えて、彼らが出した結論だという。
彼女たちを見ていると、「家庭」と「仕事の夢」、どちらかを選ばなければならない、なんてことはない、と思う。
まず「家族と一緒にいること」を選んだうえで自分がおかれる「環境」でできる最大限のことを探すか(タイにいた女性)
まず「環境」を選んだうえで自分が大切にしたい「家族」とどう関係を築いていくか考えるか(カンボジアに行く女性)
という問題なのだ。
もちろんどちらの選択も当たり前にうまくいくことではなく、本人の努力と周囲の理解が必要だけれども、決して、不可能なことではない、と思う。
あ、ちなみにこの番組、今日(2/8)の23:00-NHKで放映されるので、是非見てほしい。
特に夢をもつ女性にとっては、inspiringな内容だと思う。

そして最近訪れた南伊豆の海岸沿いの家で夫とクラス、日本画家の女性。
彼女の夫は彼女の日本画の師匠であり、彼女の夫でもあり、そして今年98歳になる彼(彼女はまだ50代)の面倒を見ながら絵を描く、という毎日を送っている。
人里離れた田舎で98歳の夫の面倒を見ながら暮らす彼女は、「昔から隠遁生活に憧れてたの笑」という。
毎日、毎日、同じ部屋の同じ窓から見える同じ海の絵を描いていて、飽きないのかと訪ねた時、彼女は「一日として同じ海はないから」と答えた。
一日一日の些細な変化に気づき、それを楽しむことができる彼女は、自分が何をしたいのか、自分にとって何が大切なのか、自分が何をしているのか、をよどみなくわかっているような感じがして、なんだか羨ましかった。
彼女が人生に悩む私を見て「昔の自分を思い出した」と言って贈ってくれた絵が、一番上の写真。

こんなにもの素敵な人たちに囲まれて彼女たちのポジティブな影響を受けている自分の幸運に感謝しながら、私もいつかは他の人にその影響を与えられるような人間になりたい、と思う。

2013年1月1日火曜日

2013年元旦にて

20代の1年間での変化ってものすごく大きくて

毎年毎年1年を振り返る度に、1年前の自分と比べた自分の考え方や進んでいく道の変化にびっくりするけど

この1年は特に変化の大きな年だったなあ、と。

1年前の自分に、「1年後には、お腹の中に7ヶ月の子供を抱えてるんだよ」なんて言ったら、顔面パンチをくらいそうだ。



変化には決断がつきもので、言い換えれば決断をすることが多かった年だったとも言える。

自慢じゃないが、私は自分の決断に後悔したことがない。

日々の’決定’(レストランで何を頼むとか、特急電車に乗るか普通電車で座って行くかとか)は別として、人生における大きな’決断’に対しては、いつも

「この道を選んで、本当によかった」と思うことばかり。

ただ、それは私の選択能力が優れているから、という訳ではない。

自分の考えを整理するために書き出してみたり、人の意見を聞いたり、とりあえずのことはするけど

決断の瞬間は「えいっ」に任せて決めることが多い。

何事にも「正解」がないように、「正しい道」なんてないし、それを判断する方法もないんだから、

自分の選んだ道を「最高の道」にするのは、決断をした後の自分次第。

いろいろと状況の変化(プライベートなことなのでブログではこういう表現で。笑)があった時でさえ、出産の決断は一度も後悔しなかった。

それだけは、産まれてくる赤ちゃんに誇りを持って言える。

自分が選んだこの道を、最高の道にするための今年の目標をここで宣言しておこうと思う。

逃げ道をつくらないために。



1.人を心から信頼できる人間になる
私は人を信じやすい方だと思う。

人間そんなに悪い人はいない、と思ってるから、簡単に人を信じてしまう。

「そんなんじゃすぐ騙されるよ」って注意されたりもする。

けど、「信じる」「騙される」のレベルではなく、

本当の意味で心から人を「信頼」するのはとっても難しいこと。

「信頼」するというころは「裏切られる」「傷つけられる」リスクをとるということだから。

心から信頼している人から裏切られること程、傷つくことはない。

人は、誰でも、裏切られるのは怖い。傷つくのも怖い。

今年は、自分自身が家族を築く。

家族の基盤は信頼。

傷つかないために人を信頼するのを避けてきた自分をやめようと思う。

信頼することは相手に敬意を示すこと。

自分が信頼をしてはじめて、人に信頼をしてもらえる。

そう考えると、一生人を信頼できないまま生きて行くよりも、心から人を信頼して裏切れる方が、意味のある人生を送ることができるんじゃないかって。

人を信頼することで何が得られるかは、この目標を達成してからのお楽しみ、っと。



2.Stay hungry
っていっても、ダイエットするという意味ではなく。笑

あえて翻訳すると、「妥協しない」ってとこかな。

今、女性がキャリアを追い求め始めた日本の社会では、晩婚化、高齢出産化が進んでいる。

それは、キャリアを追い求める女性はまず働き、それにきりがついた30代、40代で結婚し子供を産むから。

何年間かバリバリと働き、その後出産し、「もう仕事には満足したから、家庭に入って子育てに専念します」という元キャリアウーマンを、何人も見てきた。

でも、私は反対もありだと思う。

寿命が伸び、高齢になっても元気でいられる現代社会では、40代が女の最盛期。

若くして出産し、子育てをしながらキャリアを積み、子育てが落ち着いてから自由に飛び回る。

22歳というこの年齢で出産するからこそ、まだまだやれる、まだまだやりたいこともいっぱいある、まだまだ諦めたくないという気持ちを維持できる。

物理学者として活躍している米沢富美子さんが、同じく物理学者であり大学の先輩であった今の夫にプロポーズされた時、旦那さんはこう言ったという。

「物理と僕の奥さんと、両方とることをどうして考えないの」。

その一言で彼女は結婚を決断し、子供を育てながら勉学に励んだという。

出産、子供でキャリアでやりたいことにリミットをつくりたくないし、つくる必要もない。

「両方とる」

貪欲に、妥協しない姿勢を忘れないでおきたい。



3.道をつくる
これは、産まれてくる子供と同じように自分にも言い聞かせたいこと。

「僕の前に道はない、僕の後に道はできる」

私たちが進もうとしている道は、決して足跡の多い道ではない。

他の人が残した足跡に従って進むことが難しいこともあるだろう。

でも。

迷わずに自分の選んだ道を進め。

道が見つからなければ、探せ。

探しても見つからなければ、自分で道を造れ。




なんだか壮大な2013年の抱負になっちゃった。

この抱負を達成するとまでは言わないけれど、

1年後のこの日に、ちょっとでも目標に近づけるように2013年を精一杯生きたい。