なぜ私は茨の道を行くことを選ぶのだろう
皆が歩いている舗装された道を行けばいいじゃないか
敷かれたレールを辿ればいいだけではないか
普通に、良い大学を出て、人気の会社に入って、
普通に、自分の慣れた土地で、昔からの友達と付き合い、家族と支え合いながら、
普通に、良い人をみつけ、結婚して、その人の子供を産み、育て、その土地の学校に入れ、
普通に、入った会社で定年まで働いて、子供を大きく育て、孫を授かり、老後を平和に過ごせばいいじゃないか。
そういった選択をしてきたら、どれだけ楽だっただろう。
なぜ私は、人が通らぬ、厳しい道を、選んで通るのだろう。
思いもよらない、自分ではどうにもならないことが起こることも、人生だからある。私の人生にもあったし、そのアクシデントのせいで厳しい道を通らざるをえなくなったという事もできる。
でもそのアクシデントに際して、容易な道ではなく、あえて厳しい道を選んだは、私だったのだ。
1人で育てる、という道を選んだのは、私だった。
経済的に自立しながら勉強も続ける、という道を選んだのは、私だった。
日本に残るという選択肢もあったのに、あえてオランダ行きに挑戦したのは、私だった。
子供の父親とやり直す機会もあったのに、それを選ばず、自分の納得できる関係を築きたいと苦しみながら道を模索している。
自分が決断したことだから、
自分の行動と選択に責任をもって、
と自分に言い聞かせるのだけれど
弱音をはきたくなる時も
普通の道を行っていればどんなに楽だったろうと思う時も
辛い時も孤独な時もある
子供にも普通の人生を送らせてあげられないことを悔しく、情けなく思う時もある
幸い、幸せに賢く強く優しく溌剌と育ってくれている娘がそばにいる。
でも、弱気になっている時は不安になる。今はよくても、この先、普通じゃない人生を送らせたツケが来るのではないか。彼女の人生に、何かしらの悪い影響が及ぶのではないか。
道なき道を行く私には、答えがない。
彼女を幸せにできているのだろうか?この道これから、私は歩き続けていられるのだろうか?
答えは出ず、他の人の助言をできる限り集めながら、躓きながら、疲れた時は立ち止まりながら、後ろを振り返り来た道を時折懐疑的に眺めながら、
私は歩き続ける。