2017年5月27日土曜日

母の日






フランス式では、明日が母の日。


バリでフランスの学校に行っている娘は、1週間ほど前から何やら学校で母の日のための準備をしているらしい。

You know mommy, I have a present for you on fete de maman! And it is a SURPRISE!
「そうなんだ(笑)What is the present then?
「えーっと・・・its a SURPRISE!
「(笑)Is it a flower?
No! It is a SURPRISE!

というようなやりとりを1週間ほどして、金曜日に学校から持って帰って来たのは綺麗にルミネートされた彼女の写真・手形にフランス語の詩が貼ってあった。

Maman, quand tu es en colère,
Je t’aime de travers
Maman, quand tu t’en vas,
Je t’aime couci-couça
Maman, quand tu es de bonne humeur,
Je t’aime de tout mon cœur
Maman, quand tu me cajoles,
Je t’aime sans parole
Maman, quand je te dis ce poème,
Comprends tu combien je t’aime ?
Bonne fete de maman!

簡単に翻訳要約すると、どんな時でもママが大好きだよ、ということを伝える詩。

帰りの車の中で、その詩を見て娘が暗唱し始めた。学校でみんなと何回も練習して覚えたのだという。完璧に暗唱し終わった後、英語に翻訳までしてくれた。

彼女がこれほどの詩を暗唱できるなんて思っていなかった私にとって、予想外のプレゼント。

母になってよかったなあ、と思う瞬間のひとつだった。





1年ほどかけて準備をしてきたフィールドワークを始めて約3ヶ月、中盤戦。

特にこっちにフィールドワークに来てからは毎日必死で生きている感覚なのだけれど、毎日必ず娘と一緒にいられる幸せを噛み締めている。

最初は、娘をヨーロッパに残し一人でしようと思っていたフィールドワーク。その方が住む場所を転々とすることもなく彼女にとって良いと思っていた。

でも、連れて行きなさいという指導教官の一言で決断することができた、娘と二人でフィールドワークに来ること。

ただでさえ不安だらけだった出発2週間前に、娘にホルモンの異常があり普通の健康状態ではないこととすぐに毎日の治療が必要なことがわかったこと。

皆が混乱する中で、きっと心配でたまらなかっただろう娘の家族も、私の決断を信じて「行くな」とは言わないでいてくれたこと。

同僚たちも、薬や注射の針を持ち運ぶのに必要な書類の作成にこぞって協力してくれたり、指導教官は心から心配して知り合いの専門家のお医者様と特別にアポイントメントをとってそれに同行して一緒に話を聞いてくれた。

もちろん、リスクを考えて、フィールドワークを中止あるいは延期することも考えた。そしてやっぱり娘をヨーロッパに置いていくことも。

でも、予定通り行くことに決めたのは、本当にいろんな人の協力のおかげである程度の安全な環境を築いてあげることが可能だと判断したこと、そして私のことを信頼し決断を任せてくれ、それをサポートしてくれる周りの人のおかげだった。





こちらに来てからまずすぐにバリで一番という評判の病院に行き、娘の安全のための必要事項を確認したにも関わらずそれがうまく全体に伝わっておらず病院が信頼できなかったり、同時に始めた研究がなかなか思う通りにいかずヤキモキしたり、時間と約束を守らないこちらの文化にがっかりしたり、 綺麗にしていてもネズミがでた棚を開けるたびに怖かったり、自分のインドネシア語がもっとできればと思うことがあったり、車を運転する度に命知らずで運転しているバイクたちに神経をすり減らされたり・・・と文句をあげればきりがないけれど。

でも、娘が学校でもすぐ友達をつくり毎日楽しく行ってくれて、たまに風邪をひいたり熱をだしたりしながらもまあ健康でいてくれて、気候や食事にもうまく順応してくれ、最初はそこらじゅうにいるトカゲ(ヤモリ?)などを怖がっていた娘が最近では触れるようになっていたり・・・。

幸運にも隣近所のお家にも同じくらいの年齢の子供がいて、私が朝寝ている間に隣に勝手にお邪魔して朝ごはんを一緒に食べているくらい仲良くなっていたり。

私の研究も、思うように進まなかった最初の1〜1.5ヶ月を過ぎたら、その間に用意していたクモの巣に獲物がひっかかってくるように、ポロポロと結果が得られたり。研究を手伝ってくれているアシスタントも、楽しんで研究を一緒にしてくれている。

こちらでかなりの人数から選んだ1人のナニーも、辛抱強くコミュニケーションをした結果今では彼女と娘を2人で残して夕方にインタビューに出かけることも安心してできるくらいに信頼できるようになった。



もちろんまだまだ課題や文句はたくさんある(インドネシア語がもっとできたらな、研究で頭がいっぱいの生活じゃなくて娘と向き合って楽しむ時間をつくらないとな、蚊にさされるのもデング熱が怖いわ、やっぱりみんないつも遅れてくる文化は私には合わないな約束は守ってくれよ、反対車線で猛スピードで突っ込んでくる車とかバイクとかは死にたいの?)けど、そういうのは二の次。



娘と一緒にいるのが当たり前で、助けてくれる夫や家族が近くにいるのが当たり前な家庭もあるのだろうけれど。

私はこうやってある意味特殊な道を選び、それでもこうやって娘と二人でいられるというシンプルな幸せが、本当に幸せ。

普通の道では決してない道だけれど、自分で選んだ道だから、何があっても進んでいける。