2016年4月11日月曜日

決断






前にこのブログで「強さ」の話をした時によく”You’re strong”(「あなたは強いね」)と言われるということを書いたけれど、最近はそれが”You’re brave”(「あなたは勇気があるね」)に変わってきている気がする。

そう言ってくれるのは、「強い面」だけでなく、「弱い面」も含めて私のことをよく知っている人たち。

ある人によると、”Being brave does not mean you do not have fear.”(勇気があるということは、必ずしも恐れや不安がないとは限らない)のだそうだ。

そしてその人は”Not many people can choose more difficult paths just because they are more true.”(ただそちらの方が「正しい」という理由で、より険しい道を選べる人は多くない)という。



braveなのかただoverly optimisticなのかわらかないけれど、確かに私はそうやって険しい道を自ら選んで通ってきたし、これまで険しいながらもなんとかなってきた。

そんな私でも(?)とってもとっても迷った、とってもとっても大きくて大切な決断を、最近ついに、することができた。

娘を連れて、オランダとインドネシアでこのPhDを進めるのか、それとも娘を娘のパパに託してフランスで住ませるか。

私が今まで生きてきた中で一番大きくて難しい選択だった、といっても全く過言じゃない。

私は選択をするのが苦手じゃない。

というのも、大学一年生の頃に、誰かが「大事なのはどちらの道を選ぶかではなく、選んだ道でどう生きるかだ。」と言っていたのに妙に納得して、その考え方がすっと身についたから。そもそも、後悔するのは建設的じゃないので好きじゃない。

だから、何においても選択に拘るよりは、(もちろんある程度の比較や考慮はするけれど)どれかに決めてしまってその選択で自分のベストを尽くす、という生き方をしてきた。

でも今回の選択はそのいつものルールが当てはまらなかった。

こちらの方がいいのでは、と片方に傾けば、でもこれでは後で後悔するかもしれない、という悪いイメージが浮かびでて、やっぱりこっちの方が・・・と、2つの選択肢の間でぐるぐるぐるぐる行ったり来たりを繰り返してしまうのだ。この状態が3ヶ月くらい続いていた。
というのも、まずこのPhDにアプライを決めた時は、娘を連れてもちろんオランダにも、そしてフィールドワーク(インドネシア)にも行くつもりだった。そのつもりで予定をたてて、リサーチプロポーザルも書いた。

だけど、それと同時に娘のパパがジュネーブでの仕事が決まり、彼と住めば娘は4−5年間、ジュネーブ近くのフランスで、学校も言語も環境も変わらず安定した環境で過ごすことができる、という別の選択肢ができてから、私は迷い始めた。

私が彼女を連れていくとなると、彼女は何度も学校や友達、環境を変えその都度適応していかなければならないということになる。言語も同じで、今まで日本語+フランス語(+少しの英語)で過ごしてきた彼女が、私についてくるとなるとそれにオランダ語+英語+インドネシア語もピックアップしていかなければならないということになる。

名古屋を出る時に、仲が良かった友達や家族に別れをいうことの辛さを経験させ、それが彼女に与えた影響を見てからは、

「やっぱり私について来させることは彼女には酷なのではないか」

そして私と2週間離れてパパとその家族と平気で過ごしたり、私といるとパパ、パパと常に話したがる彼女を見て、

「彼女にとって、必ずしもママだけがprimary caretakerというわけではなさそうだ。彼女にとってパパもママも同じくらい安心できて、同じくらい大好きな存在なんだ。」

と感じ、「彼女にとって一番いいのは、パパと一緒にフランスで暮らすことだろう」とほぼそう決断を下しかけていた。

子供にとってのattachmentの意味や、母親と離れることの影響、引っ越しの影響など、本やサイトを読みあさったり、いろんな人の意見を聞いた。

すると何人かの友達から、「他の人のために、っていうのを考えるのもいいけど、自分のために何がいいのかもちゃんと考えなよ」と言われた。

私は、彼女と一緒にいたかった。

だから、「彼女にとって一番いいのは、パパと一緒にフランスで暮らすことだろう」とわかっていても、そう考えると、心の奥は痛かった。



その痛みに蓋をしながら、ほぼ決定で、それに沿っていろいろとアレンジをしなければ・・・と思っていた頃に、指導教官(前の記事でも書いた、5年前から知っている私が一番尊敬する教授)にその話をすると、”You cannot do that.”(そんなことしたらだめだよ)と驚いた顔で言われた。

“I will do everything possible to make your stay with (my daughter’s name) possible.”(あなたと娘が一緒にいられるように、私にできることはなんでもするから)。

彼は、私と娘が一緒にいるのを何度も見ていて、「(私の娘)には私という母が絶対に必要だ」と主張する。

「それに、自分のこともちゃんと考えなさい」。彼には、私の心の奥にある痛みを、私自身が見るよりもよく見えていたのだろう。



その日の帰り道、娘を乗せて漕ぐ自転車のペダルが、いつもよりも軽く感じられたのを覚えている。

娘を連れていく、という道が開けたような、そして、それがまさに、”more true”な選択だと感じられたのだ。


正直、不安だらけである。仕事(+保育園)を始めてから1週間でひいた風邪から、まだ咳が1ヶ月続いているし(医者に行く時間・・・というか、心の余裕もなかった)、家のこと、学校のこと、フィールドワークのこと、必要なアレンジや不確定要素は山積みで、圧倒されることもある。正直、今でも「やっぱり無理だし、娘はフランスにおいていくべきでは・・・」という思いがよぎることもある。

でも、少なくとも、”more true”と感じられる道を選んでいる。これがある限り、大抵のことはやるつもりだし、その覚悟はできてきた。

周りの人にもっと頼る努力をしながら(私の得意分野ではない)、そして感謝を十二分にしながら、できるだけやってみようと思う。さて、明日からまた新たな1週間がはじまる。