実は、私は今、2人分の生命を背負っている。
というのも、崖の底に落ちそうになっている愛する彼女の片手を握り、もう片方の手で崖っぷちをつかんでいるようなスーパーヒーローを思い浮かべないでもらいたい。
今の私は、そんな強いもんじゃない。
精神的にも、身体的にも、めっちゃよわっちい。
ホルモンのせいで精神は不安定だし、お腹も大きくなってきて、身体のいろいろなところに影響がでてきている。
そう、妊娠ってそういうもの。
卒業のための単位のために毎日学校に通いながら
卒論を仕上げながら
卒業のかかったテストを受けて
将来の進路としての海外大学院へのアプリケーションを仕上げる
一人暮らしの東京で、パートナーはアメリカ。
しかも、結婚はキャンセルになりこれからもどうなるかわからない。
この状態でこうやっていろいろなことを全部できる、全部やってやるっていうのは
「子供を産むという決心をしたことを、自分自身で誇りに思いたい」
という思いに駆られているんだと思う。
でも
親は、そして社会は、
「子育てはそんなに甘くない」
という戒めを、私に向かって何度も投げかける。
将来のことを考える時も
「子供をつれて、ひとりで海外に行って、勉強するなんて言語道断」
「出産したら数年はつきっきりを覚悟するべき」
がひっきりなしにとんでくる。
たしかに、1つの命を預かりながら、同時に自分のキャリアも追い求めようとするのは
私のわがままなのかもしれない。
「出産を誇りに思いたい」というのも
ただのエゴなのかもしれない。
こんなことを言うとまた社会的にどうだとか言われるかもしれないが
出産も、決して計画したものではなかった。
突然妊娠していることがわかった時は、ミャンマーでのインターンシップのために日本を出発する5日前だった。
1日で出産を決め、
親に「産むから」と伝え、
インターンシップ先の会社にも、妊娠の事情を伝えた上で行かせてほしいと頼んだ。
親や家族はもちろん心配していたし
インターン先の会社、社長、他のインターンたちにも心配をかけただろうと思う。
特につわりの時期だったので、 ベストパフォーマンスからはほど遠い貢献度だったと思う。
特に現地で企画したビジネスプランコンテストの前3日間ほどは吐き気がすごく、食べても吐くことを繰り返し、本番はふらふらの状態で司会をつとめた。
それでも、私は行ってよかったなあと思う。
妊婦という身体でミャンマーでのビジコンを一から成し遂げた
というとそれっぽく聞こえるが
私が行ってよかったなあと思うのは、その達成感のためだけじゃない。
私がそのインターンシップをあきらめていたら
自分が赤ちゃんのためにキャリアを犠牲にした、と少なからず感じていただろう。
自分が幸せでないと、他人を幸せになんてできない。
自分が赤ちゃんのために犠牲になり、不幸せになれば、赤ちゃんだってきっと幸せになれない。
それに、今回のインターンシップで、私が子供をかかえた女として他の同僚や上司と働いたことで
「女だってやればできる」
「妊婦だってここまでできる」
ということを証明できたのではないかと思う。
ここで私が言いたかったのはつまり
「自分の人生に、自分自身で期待することほど、そしてその期待に応えるべく進むことほど、勇気ある決断と勇敢な行為はない」
ということ。
これは実は、そのインターンシップ先の社長が、私が辛かった時に贈ってくれた言葉である。
世間体を恐れていては
無理だと最初からあきらめてしまっていては
人に助けを求めることをためらっていては
自分の人生への期待に応えることなんて、できない。
だから私は毎日学校へ行くし
卒論も皆と同じ期限に仕上げる
アプリケーションも全力を尽くすし
テストが終わってからも、いろいろなことをやらかしてやるつもりだ。
ベビーシッターの会社も立ち上げたい
フランス語も勉強したい
留学サポートを仕事にしたい
この機会にwebの勉強をしてHPくらい自分でつくれるようになりたい
今まで読む時間のなかった本も読みあさりたい
妊娠している自分を
子供を抱える自分を
この大きなお腹を
誇れるようになりたい。
そうやって、他の女性たちにも、女としての可能性は思っているよりも大きいことを示したい。
そして何よりも
産まれてくる子供が大きくなったら教えてあげたい。
ままはあなたがお腹にいる時にミャンマーで仕事してたんだよ。
ままはあなたが産まれる2ヶ月前まで毎日学校に行ってたんだよ。
ままはあなたがまだお乳を飲んでいる時にも働いていたんだよ。
そしてそれは、ぱぱや、ままが尊敬する人たちや、ままの友達や、ままの家族の、理解と助けがあったからなんだよ。
って。
というのも、崖の底に落ちそうになっている愛する彼女の片手を握り、もう片方の手で崖っぷちをつかんでいるようなスーパーヒーローを思い浮かべないでもらいたい。
今の私は、そんな強いもんじゃない。
精神的にも、身体的にも、めっちゃよわっちい。
ホルモンのせいで精神は不安定だし、お腹も大きくなってきて、身体のいろいろなところに影響がでてきている。
そう、妊娠ってそういうもの。
卒業のための単位のために毎日学校に通いながら
卒論を仕上げながら
卒業のかかったテストを受けて
将来の進路としての海外大学院へのアプリケーションを仕上げる
一人暮らしの東京で、パートナーはアメリカ。
しかも、結婚はキャンセルになりこれからもどうなるかわからない。
この状態でこうやっていろいろなことを全部できる、全部やってやるっていうのは
「子供を産むという決心をしたことを、自分自身で誇りに思いたい」
という思いに駆られているんだと思う。
でも
親は、そして社会は、
「子育てはそんなに甘くない」
という戒めを、私に向かって何度も投げかける。
将来のことを考える時も
「子供をつれて、ひとりで海外に行って、勉強するなんて言語道断」
「出産したら数年はつきっきりを覚悟するべき」
がひっきりなしにとんでくる。
たしかに、1つの命を預かりながら、同時に自分のキャリアも追い求めようとするのは
私のわがままなのかもしれない。
「出産を誇りに思いたい」というのも
ただのエゴなのかもしれない。
こんなことを言うとまた社会的にどうだとか言われるかもしれないが
出産も、決して計画したものではなかった。
突然妊娠していることがわかった時は、ミャンマーでのインターンシップのために日本を出発する5日前だった。
1日で出産を決め、
親に「産むから」と伝え、
インターンシップ先の会社にも、妊娠の事情を伝えた上で行かせてほしいと頼んだ。
親や家族はもちろん心配していたし
インターン先の会社、社長、他のインターンたちにも心配をかけただろうと思う。
特につわりの時期だったので、 ベストパフォーマンスからはほど遠い貢献度だったと思う。
特に現地で企画したビジネスプランコンテストの前3日間ほどは吐き気がすごく、食べても吐くことを繰り返し、本番はふらふらの状態で司会をつとめた。
それでも、私は行ってよかったなあと思う。
妊婦という身体でミャンマーでのビジコンを一から成し遂げた
というとそれっぽく聞こえるが
私が行ってよかったなあと思うのは、その達成感のためだけじゃない。
私がそのインターンシップをあきらめていたら
自分が赤ちゃんのためにキャリアを犠牲にした、と少なからず感じていただろう。
自分が幸せでないと、他人を幸せになんてできない。
自分が赤ちゃんのために犠牲になり、不幸せになれば、赤ちゃんだってきっと幸せになれない。
それに、今回のインターンシップで、私が子供をかかえた女として他の同僚や上司と働いたことで
「女だってやればできる」
「妊婦だってここまでできる」
ということを証明できたのではないかと思う。
ここで私が言いたかったのはつまり
「自分の人生に、自分自身で期待することほど、そしてその期待に応えるべく進むことほど、勇気ある決断と勇敢な行為はない」
ということ。
これは実は、そのインターンシップ先の社長が、私が辛かった時に贈ってくれた言葉である。
世間体を恐れていては
無理だと最初からあきらめてしまっていては
人に助けを求めることをためらっていては
自分の人生への期待に応えることなんて、できない。
だから私は毎日学校へ行くし
卒論も皆と同じ期限に仕上げる
アプリケーションも全力を尽くすし
テストが終わってからも、いろいろなことをやらかしてやるつもりだ。
ベビーシッターの会社も立ち上げたい
フランス語も勉強したい
留学サポートを仕事にしたい
この機会にwebの勉強をしてHPくらい自分でつくれるようになりたい
今まで読む時間のなかった本も読みあさりたい
妊娠している自分を
子供を抱える自分を
この大きなお腹を
誇れるようになりたい。
そうやって、他の女性たちにも、女としての可能性は思っているよりも大きいことを示したい。
そして何よりも
産まれてくる子供が大きくなったら教えてあげたい。
ままはあなたがお腹にいる時にミャンマーで仕事してたんだよ。
ままはあなたが産まれる2ヶ月前まで毎日学校に行ってたんだよ。
ままはあなたがまだお乳を飲んでいる時にも働いていたんだよ。
そしてそれは、ぱぱや、ままが尊敬する人たちや、ままの友達や、ままの家族の、理解と助けがあったからなんだよ。
って。