2016年11月16日水曜日

この一球は絶対無二の一球なり




最近、何かとスポーツをする機会に恵まれている。


期間限定でオーストラリアから来ている研究者のJは最高のテニスパートナーだし(同じくらいのレベルのプレーヤーで、しかも場所と時間が合う人を見つけることはなかなか難しい)、

職場のランチタイムを使ってスタッフ総出の卓球トーナメントが開催されていたり

他のPhDの学生と仕事終わりにスカッシュをする機会ができたり。

本当は、その仕事終わりの1時間も惜しいくらいやることが多いのだけれど、そういうストレスフルな時期こそスポーツをたまにするのは大事だと思って機会を見つけては参加している。



どんなスポーツでもそうだと思うけれど、自由に打ち合いをしている時と、試合でプレッシャーの下プレイする時では、打て方が全く変わってくる。

どう違うかというと、プレッシャー下でプレイする方が、遥かに思い通りに打てない。

つまり、勝ち負けが決まる試合をする時は、普段のレベルにプラスして、心を平静に保つこと、余計なことに気を散らさないことが必要とされるからだ。

毎日テニスに明け暮れていた頃、コーチがこう言っていた。

「練習で10回中10回入るまでになって、初めて試合でそれが入るようになる」

その時はテニス以外は頭になかったし生活のほぼ全てをテニスに捧げられたからそういうやり方もできたししていたけれど、今の生活ではもちろんそれはできないしやるつもりもない。

でも、試合となるとやっぱり負けたくはないので、それなりに頑張るのだけれど、同レベルくらいの相手と試合をすると、最初はリードしていてあと一歩で勝ちが見えるというところで、追いつかれるという自分のパターンに気づく。


なんでなんだろう、と考えていると一つのことに気づく。

一球一球をその一球だけに集中してプレイしていれば、リードしていても追いつかれてもプレイがぶれることはないはず。

リードしたとき、追いつかれている時に、先を想像したり、点数を気にするから、打ち方が変わってしまうのだ。


この一球は絶対無二の一球なり
されば心身を挙げて一打すべし
この一球一打に技を磨き体力を鍛え
精神力を養うべきなり
この一打に今の自己を発揮すべし
これを庭球する心という


もともと福田雅之助というテニス選手が残した言葉なのだけれど、テニス選手の間では語り継がれている有名な言葉。

この言葉がすごく好きで、大切な試合の前には全文を呟いていた。試合中にもプレッシャーに負けそうになった時には、最初の一文を呪文のように唱えていた。




人生にも同じことが言えると思う。

この一日は、絶対無二の一日なり

この一日に今の自己を発揮すべし



不安なことはいっぱいあるけれど、後でも考えられることは今は忘れてもいい。

3歳7ヶ月28日目の娘と一緒に過ごせるのは、今日しかないから。3歳の娘と一緒に過ごせるのは365日しかないから。

4年間しかないPhDは、1日1日が大事だから。

いっぱいいっぱいで生きていても(もうこれは否定できない)、一日一日を丁寧に大切に生きることはできるから。

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